インタビュー

脳卒中リハビリテーションと街づくり―酒向正春先生の取り組みとは

脳卒中リハビリテーションと街づくり―酒向正春先生の取り組みとは
酒向 正春 先生

医療法人社団健育会 ねりま健育会病院 院長、医療法人社団健育会 ライフサポートねりま 管理者

酒向 正春 先生

この記事の最終更新は2015年07月25日です。

酒向正春先生は、リハビリテーション医として多くの脳卒中患者さんのリハビリに携わりながら、「街づくり」を通してより広い視点から患者さんの回復に貢献されています。酒向先生のこれまでの歩み、現在の取り組み、そしてこれからへの展望についてお話をうかがいました。

私はもともと脳神経外科医で、脳が壊れたとき・脳が病気になった時にどう治療するかが私のベースでした。その中で、特に脳卒中という病気を専門にして、脳卒中を治療する脳神経外科医として医療に携わっていました。

そんな中で、ある日思ったことがあります。脳卒中の脳外科的治療をするという日本のトップランナーの先生は多くいらっしゃいます。けれども、患者さんは「治療してもよくならないぐらい脳が壊れている」「治療したけど良くならない」あるいは「治療したらもっと悪くなった」という方もいらっしゃいます。そうした方に対して脳神経外科専門医が何をできるかというと、残念ながら「脳外科的治療は終わりました」ということで話が終わってしまうのです。「では、そういう方は何処に行ったらよくなるのだろう」という疑問が残ります。私がそれを感じたのは、1996~2000年の頃でした。当時、それを治してくれる場所はなかったのです。

でもその頃、私は脳神経外科に一生懸命だったので、脳神経外科をさらに続けていました。そして、ご縁があって2003年に東京女子医大の脳神経外科に移りました。その時は患者さんが非常にたくさんいらしたので、障害が悪くなった方に対してどうするかが議論されないままに新しい患者さんがどんどん入ってくるという現実がありました。結局、そういう患者さんを良くする医療というものになかなか出会えませんでした。しかし、医学というものを考えたとき、そのような患者さんを良くするのはどこかというと、「リハビリテーション」のはずです。

2000年までのリハビリは一般的には、「こんなに重症だから、これはちょっと仕方ないですね」というリハビリテーションがほとんどでした。「これだけ重症だけど、この機能は何とかなるかもしれない、残存能力を引き出そう」という発想はあまりなかった。重症の患者さんやご家族も、どこで治療を受けられるかもわからない、ある意味、暗黒の時代があったわけです。

しかし私としては、重症の患者さんをいつも見ているわけですから、そのような患者さんを良くするために座らせる・立たせるということにためらいはない。管がいっぱい入っていようが、どんな状態であってもです。しかし、私がリハビリの先生に頼んで何とかしてもらおうとしても、そういう「攻めのリハビリ」ができない時代でしたので、自分がやったほうがいいのではないかと考えるようになりました。2000年くらいから段々とそのように考え始め、意を決して、2004年からリハビリ医療に移ったのです。そのときに脳外科医からリハビリテーション医に変わり、ここ11年ほど攻めのリハビリをやっています。

私は脳卒中データバンクという臨床研究で急性期リハビリテーションを解析しており、2000年以前から現在まで約11万人の患者さんを解析しました。この中でリハビリ記載があった方が約85,000人です。この方々の最近の動向では、24時間以内にリハビリを開始できているという割合が20%、24時間~3日以内にできているケースが55%で、合計75%。発症から3日以内にリハビリに移れる方が75%以上いるということです。2000年以前は24時間以内リハビリが約6%、3日以内が約40%でしたので、現在の急性期リハビリの状況は劇的に変化しています。

急性期病院にはかつて、土曜日・日曜日には急性期リハビリができないという状況がありました。そこで回復期は365日毎日リハビリをするという制度にしたのです。リハビリテーションは生活の一部ですので、基本的に休みなしです。日曜日は、外来診療は行いませんが病院は動いていますから、入院リハビリは行っています。もちろん元日も行っています。ですから、回復期リハビリテーション医療制度は医療の革命だったのです。

病床数(患者さんの受け入れ可能数)はだいぶ増えてきました。「回復期リハビリテーション医療制度」が2000年にできて、人口10万人あたり50床必要だと考えられてきました。つまり、日本全体に約6万床が必要となります。これを目標に病床を増やしてきて、2011年にやっと6万床に到達して、ようやく最低限のベッドをカバーできました。現在は約7万床です。

全国的に見ると、山梨や高知など10万人あたり100床以上あるという県もあります。多くの病床ができているのですが、それでもそれらの病床は十分機能しています。
これを踏まえて、今の少子高齢化の中でのリハビリについて考えると、10万人当たり100床というのは、現実的に考えなくてはいけない病床数になってきています。つまり、回復期リハビリテーションのための病床数が、日本には合計12万床程度必要ということになります。

ここで、世田谷記念病院のある東京都世田谷区について考えてみます。世田谷区の人口は89万人です。ということは、単純計算で最低約450床が必要であり、900床ほどあってもいいと思われます。しかし2012年の段階で、世田谷区には45床ほどしかありませんでした。そこで、我々の病院が回復期リハビリテーションのベッドを95床作りました。それでも合計140床ですから、まだ全く足りません。これが世田谷区の現状です。

一方、渋谷区は人口20万のところにすでに220床ほどがありました。さらにこの4月、新しく原宿リハビリテーション病院ができて、300床増加。つまり、人口20万のところに500床以上のリハビリ病院ができたわけです。通常これは、自治体完結型で考えると回復期リハビリ病院が破たんするくらいの病床数です。ただ東京は一つの自治体だけで成り立っているわけではなく、周辺地域から中央に患者さんが集まりますので、成り立つことが予測され、渋谷区周辺地域でリハビリが必要な患者さんには大変有利な状況となりました。

慢性期の患者さんに対して医療が関われることは限られています。そこで、病院や医療を頼らず、外に出て歩き活動することによって身体機能を上げて、人とコミュニケーションすることによって精神や高次脳機能を上げて、その人らしく快適に地域で生活していただくことが大切です。そして、このための社会資源である共有スペースが必要です。
そのスペースは、できればシンプルであり、そして、おしゃれでアーティスティックなほうがいいですね。そういう環境を提供する街づくりが、私のライフワークです。

2008年に、国土交通省で委員会を2つ立ち上げました。そこで6年間かけて、「健康・医療・福祉のまちづくりの推進ガイドライン」(参考:国土交通省サイト)というものをまとめ、去年の8月1日に国土交通省から出しました。これは、コンパクトな街づくり、つまりハンディキャップ・障害者の方や超高齢者、そして、子育て世代の皆さんも街に出られるような街をつくるためのガイドラインです。

地方都市のまちづくりモデルの一つに富山市があります。富山市は地方都市の代表的なコンパクトシティで注目されており、「健康・医療・福祉のまちづくりの推進ガイドライン」に基づいたモデルです。

さらに、私達が行った事業としては、東京の山手通り整備事業における初台ヘルシーロードがあります。山手通りの8.8キロにわたる大整備事業を東京都が行いました(参考:「初台プロジェクト NPO法人健やかまちづくり(pdf)」)。そこで、東京都とコラボさせて頂き、「24時間365日、安心・安全・快適に散歩ができる道」を実現し、夜間にも光の帯によって道を明るくし障害者の方も散歩ができるようにました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの時に、世界中の方がこんな大都会のど真ん中に、こんなに治安が良くて安心安全に散歩ができる道がある現実に驚くのではないでしょうか。これがひとつの事業です。

もうひとつが二子玉川の大規模開発です。これは東急による街づくりにコラボさせて頂きました。二子玉川駅から世田谷記念病院までの大部分が快適な歩道(二子玉川ヘルシーロード)となりました。私達の病院を退院した後に、二子玉川ヘルシーロードに行けば元気になるよというモデルを作りたかったのです(※世田谷記念病院は二子玉川から徒歩圏内)。退院された患者さんが外出する動機となり、そこに行って、そこを歩いて買い物して、公園の方に行ったり、屋上庭園に行ったりして、気持ちよく歩くことで知らぬ間に体力がつき元気になってもらうことを期待しています。

さらに定期的なイベント、たとえば健康のイベントでもファッションのイベントでも、文化的であれ芸術的であれ、そうしたイベントに出かけて行って、ちょっと季節を感じていただき、気持ちに刺激を与えて元気を保っていただく。
つまり、身体機能を上げる運動(活動)のアプローチと、コミュニケーションして精神面を刺激していくというアプローチの両方が必要なのです。そのためには、二子玉川開発のスペースである「面」が必要になります。

これに対して山手通りの事業は、「線」のモデルであり、公園的歩道空間を目指しました。線のモデルだけでは運動のみがベースになって、コミュニケーション機能が弱くなります。一応10m程度の幅の歩道があるので、簡単なコミュニケーションはできますが、そのためには自治体や企業、NPOや地域住民の協力が不可欠です。また、お店がないと、ショッピングはできません。その意味では、二子玉川の開発の方がやりやすかったですね。初台ヘルシーロードでは、NPO「健やかまちづくり」を立ち上げ、今後10年間の沿道の変化や活動の変化を調査しています。

そのほかには、オリンピック・パラリンピックの委員と、国家戦略特区の構成員をやっています。2020年に向けて自治体レベルで新しい健康医療福祉の街づくりを行うというのが次のプロジェクトです。
こうした事業は、口で説明しても伝わりにくいものです。実際のモデル都市を作って初めて、イメージがわき、必要な事業が動いていきます。それを実現していくのが私達の仕事だと考えています。

 

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    酒向 正春 先生

    1987年愛媛大学医学部卒業後、同大学脳神経外科学教室へ入局し、脳卒中治療を専門とする脳神経外科医となる。その後病気の治療のみならず、患者の残存能力を引き出し回復させていくことの重要性を感じ、2004年脳リハビリテーション医に転向。2012年より世田谷記念病院副院長および回復期リハビリテーションセンター長を務め、豊富な経験と深い知見から高い成果をあげている。2013年NHKプロフェッショナル~仕事の流儀~第200回に「希望のリハビリ、ともに闘い抜く リハビリ医・酒向正春」として特集される。またライフワークとして「健康医療福祉都市構想」を提言、超高齢化社会を見据え、高齢者や障害者(認知症・フレイル・サルコペニア)、子育て世代を含めた全ての世代に、街なかでリハビリテーションに取り組めるタウンリハ活動による優しい街づくりに尽力している。2017年3月より医療法人社団健育会 ねりま健育会病院院長・ライフサポートねりま管理者を務める。

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