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高校3年生で突然の進路変更!東大医学部受験を決意、そのきっかけ

高校3年生で突然の進路変更!東大医学部受験を決意、そのきっかけ
髙久 史麿 先生

公益社団法人 地域医療振興協会 会長、日本医学会 前会長

髙久 史麿 先生

この記事の最終更新は2016年12月26日です。

医師を目指す理由は人それぞれです。小さな頃、病気を治してもらったことがきっかけという方もいれば、医師家系に生まれたからという方もいるでしょう。なかには高久史麿先生のように、進路に迷い消去法を採用した結果、「医学部しか残らなかった」という人もいるのかもしれません。今回は、地元九州ではなく東京大学受験を決意した驚きの理由と、大学時代の思い出について、お話しいただきました。

授業を受けている男子高校生

卓球三昧の生活を送り、高校三年生時点での成績は227人中109位。そんな私にも、進学先を決める時期がやってきました。

私はもともと数学が好きだったので、大学では理論物理を専攻しようと考えていました。ところが、いざ五高の物理の講義を受けてみると、とても面白いとはいえない、否、つまらないと断言してもよいもので、私は高校三年生にして進路変更を余儀なくされたのです。

結果、医者になろうと決めた私を、相変わらず母は反対もせずに応援してくれました。

後にこのときのエピソードを自治医科大学の卒業式で話したところ、おそらく自治医科大学の物理の講義も面白くなかったからでしょう、学生たちは笑いに笑っていたものです。

さて、医師を目指すという発言を聞き、母は当然私が地元・九州大学の医学部を目指すものと思っていたようです。しかし、そんな母の期待も虚しく、高校三年生の夏、私は突然東京大学医学部志望へと転じます。

きっかけは、その夏広島県の宮島で開かれたYMCAの大会です。五高の代表として参加した私は、そこで東京の学生たちと出会い、彼らの立ち居振る舞いの格好良さに大きな衝撃を受けました。

標準語での洗練された会話。都会的な出で立ち。それに比べ、自分たちの方言のなんと田舎くさいこと。

大会を終え、宮島から熊本へと帰る汽車の中で、既に「東大第一志望」の決意は固まっていました。

受験会場

第二志望の九州大学の試験内容は比較的やさしいもので、得意の英語は15分で解き終えることができました。

しかし、やはり日本一といわれる東大の試験は難しく、英語の試験ですら答案を埋めるために丸1時間かかってしまった記憶があります。確たる手応えも得られなかったため、試験終了後も合否がどうなることやら皆目検討はつきませんでした。

試験会場を出た私は、ぽつねんと佇む顔色の悪い男に出会います。不審に思いどうしたのかと聞くと、昨晩一睡もできず、結局試験を受けることすらできなかったとのこと。

プレッシャーを感じやすい学生にとっては、東大受験の壁はなかなか高いものなのかもしれません。

大学進学に伴い私が上京したことで、子育てに一段落ついた母は、なんとも言えない寂しさに襲われたようです。『母の手記』を読むまで全く知らなかったのですが、そこには東京にいる私を思い詠んだ短歌が5首綴られていました。

母が九州で始めた商売を一度も手伝うこともなく、また、歌を始めたことすら知らない息子でしたが、母の没後、つらつらと手記を読み進めていると心にしみ入るものがあります。

しかし、当時の私は母の胸中などいざ知らず、卓球と新劇に凝りに凝っていました。

 

東京大学医学部学生時代のご友人と高久史麿先生のお写真
東京大学医学部学生時代 ご友人と 写真提供:高久史麿先生

新劇に興味を持ったきっかけは、東大YMCA寮の真向かいに、ある劇団のサロンと化した喫茶店があったからです。店の名前は「南米コーヒー店」、劇団名は「ぶどうの会」。脚本家が五高出身だったこともあり、私はぶどうの会の芝居に足繁く通ったものです。五高時代に知り合った熊本女子大の学生の誘いを受け、彼女が舞台装置をやっているという俳優座のこけら落とし公演を観に、六本木へと出かけたこともあります。

ここまでお読みになって、もうおわかりになるかもしれません。私はほとんど講義に出ない学生だったのです。

東京大学医学部学生時代のベンチに座る高久史麿先生のお写真
東京大学医学部学生時代 写真提供:高久史麿先生

当時は、大学の試験形式も記述ではなく口頭試問。講義に出ないことをうるさく咎められる時代ではありませんでした。

ある時には、口頭試問を受けるべく、構内で教授室を探し歩いたこともあります。たまたま石炭ストーブに火を入れている男性と出会ったため、教授室の場所を問うたところ、彼は「あっちだ」と横柄な態度で示しました。

さて、無事にたどり着いた部屋で教授を待っていたところ、入ってきたのは先程の石炭ストーブの男!

1時間も出ていない講義でしたから、教授の顔すら知らなかったというわけです。

 

  • 公益社団法人 地域医療振興協会 会長、日本医学会 前会長

    日本血液学会 会員日本内科学会 会員日本癌学会 会員日本免疫学会 会員

    (故)髙久 史麿 先生

    公益社団法人地域医療振興協会 会長 / 日本医学会 前会長。1954年東京大学医学部卒業後、シカゴ大学留学などを経て、自治医科大学内科教授に就任、同大学の設立に尽力する。また、1982年には東京大学医学部第三内科教授に就任し、選挙制度の見直しや分子生物学の導入などに力を注ぐ。1971年には論文「血色素合成の調節、その病態生理学的意義」でベルツ賞第1位を受賞、1994年に紫綬褒章、2012年には瑞宝大綬章を受賞する。