インタビュー

愛知県がんセンターが目指すプレシジョン・メディシン-病気の早期発見や予防のための個別化医療とは

愛知県がんセンターが目指すプレシジョン・メディシン-病気の早期発見や予防のための個別化医療とは
木下 平 先生

愛知県がんセンター 名誉総長

木下 平 先生

この記事の最終更新は2017年02月04日です。

アメリカのオバマ前大統領が2015年1月20日に一般教書演説で触れた”Precision Medicine Initiative”は日本の医療界でも重要なテーマとなっています。プレシジョン・メディシンは日本語で「精密医療」または「個別化医療」と呼ばれますが、がん領域においては、患者さんが持つがんの遺伝子変異に基づく個別的な医療と位置づけられます。愛知県がんセンターでは今後、プレシジョン・メディシンを強く意識した「個別化医療センター」の開設を予定しています。愛知県がんセンターが目指す個別化医療について、木下平(きのした たいら)総長にお話をうかがいました。

遺伝子医療

最近は新しい薬剤が登場したことによって、がんに対する薬物治療が非常に充実してきています。従来の抗がん剤による化学療法だけでなく分子標的薬が使えるようになり、免疫チェックポイント阻害剤の適応となるがんの種類も広がっています。愛知県がんセンター中央病院では、薬物療法部や呼吸器内科などそれぞれの部門において先進的な標的治療に対する努力を行っています。

たとえば肺がんについては、よく知られるEGFR遺伝子変異のほか、ALK融合遺伝子など数種類のさまざまな遺伝子変異を一括して検査する体制を整え、他の医療機関からの検査もサポートしています。また、大腸がんについてもRAS遺伝子変異などの検査に関する情報を他の医療機関に提供するといった連携を行っています。

プレシジョン・メディシンのもっとも大きな柱は「個別化治療」です。たとえば遺伝子を解析して、ある遺伝子異常から薬剤の効果を予測できるということもそのひとつですが、それだけではなくゲノム(遺伝子)医療の中では、「予防」が早期発見と並んで重要なポイントになります。

そこで、今後重要になってくる予防や早期発見の部分を強化するために、愛知県がんセンターに新しくプレシジョン・メディシン・センターを作りたいと考えました。すでにがん研究会でも同様の理念に基づく「がんプレシジョン医療研究センター」が発足していますが、「プレシジョン・メディシン」という言葉はまだ一般的ではありません。そこで愛知県がんセンターでは、一般の方にもより理解していただけるよう「個別化医療センター」という名称で新部門を立ち上げる予定です。治療だけではなく研究も含め、プレシジョン・メディシンを意識した活動を行っていく拠点として、2017年度(平成29年度)の開設を目指しています。

愛知県がんセンターには個別化医療の基盤となる疫学研究の歴史があります。研究所の疫学・予防部では1988年からがん予防・治療のための大規模な病院疫学研究を行ってきました。その名称を「愛知県がんセンター病院疫学研究(HERPACC : Hospital-based Epidemiologic Research Program at Aichi Cancer Center)」といいます。

HERPACC(愛知県がんセンター病院疫学研究)の図
愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部ホームページより引用

この疫学研究では、愛知県がんセンター中央病院を受診された初診の患者さん10万人以上を対象に、過去20年以上にわたり調査を実施してきました。そこではがん患者さんだけでなく、実際にはがんではなかった患者さんのデータもバンキング(登録)して研究に役立てています。遺伝子多型(いでんしたけい・遺伝子配列の個人差)なども含めて患者さんの情報をしっかりと把握できるデータバンクを先進的に持っていたことが、今日の「個別化予防」の概念につながったのです。

たとえば、ある遺伝子異常の組み合わせを持っていて、なおかつある生活習慣の人には、なりやすいがんがあるということを明らかにしていくこともそのひとつです。愛知県がんセンターではこうした「ゲノム疫学」に現在力を入れています。

ある年齢以上のすべての人を対象とするような従来型のがん検診ではなく、これからは個別化予防が大切になってきます。ご自分が優先的に受けるべきがん検診のターゲットは何なのかということを知っていただき、その部分については濃密に検査を行っていくようにメリハリをつけなければ、効率化はできません。それが個別化予防であり、愛知県がんセンターとして目指すところであると考えます。

HERPACCにおけるデータの収集はいったん終えましたが、これまで蓄積したデータを元に、今後も研究所として生体試料を使って個別化治療の研究を発展させていくため、2015年度(平成27年度)から愛知県がんセンター中央病院でバイオバンク事業を立ち上げました。

HERPACCで集めていた既存の検体はバイオバンクに移行し、その上にこれから新たに検体を集めていきます。現在、研究所の生物工学棟の設備を改修してバイオバンク用のスペースを作っているところです。

愛知県がんセンター中央病院で遺伝子病理診断部のトップを務めている谷田部 恭(やたべ やすし)部長は、肺がんの個別化治療を確立した第一人者です。個別化医療センターではその谷田部部長をセンター長とし、あらゆる個別化治療を網羅して、すべてに対応できるようにしたいと考えています。

遺伝子病理診断部では、谷田部部長が肺がんの遺伝子異常の検査を全面的に請け負い、さらに外部の病院の分の検査にも協力しています。こうした努力の積み重ねがデータとして蓄積されています。

現在取り組んでいる課題のひとつは、免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブの非小細胞肺がんに対する効果予測の実現です。悪性黒色腫(あくせいこくしょくしゅ)の治療薬として注目されたニボルマブは、2015年に非小細胞肺がんの治療薬として追加承認されましたが、医療費が非常に高額になるため、本当に効果が高いのはどのタイプの肺がんなのかということが世界中で研究されています。遺伝子病理診断部でもこの点について懸命に取り組んでいます。

また、同じく愛知県がんセンター中央病院の中には、化学療法の分野でトップランナーとして知られる臨床腫瘍医の室 圭(むろ けい)部長が率いる薬物療法部という部門があります。この薬物療法部も、個別化医療センターと連携していくことによって、かなりいろいろなことが実現できると考えています。そして分子疫学や予防の面でも関っていくような状況になれば、先にご紹介した研究所の疫学・予防部との交流も進むのではないかと期待しています。

薬剤

遺伝子解析の結果に基づいた個別化治療では、まれな遺伝子異常を持つ患者さんに対して、より有効かつ効率的な治療を行うと同時に、薬物治療で重大な副作用が起こることを回避できる可能性があると期待されます。

本来であれば適応がない薬剤、つまりそのがんには効かないはずの分子標的薬であっても、ある特定の遺伝子変異を持っているなど、一定の条件下であれば効く可能性があります。遺伝子解析によってそれを明らかにしていくこともプレシジョン・メディシンのひとつです。

このような取り組みを産学連携のもと、全国レベルで実施しているのが「SCRUM-Japan」というプロジェクトです。これは2013年に開始した希少肺がんの遺伝子スクリーニングネットワーク「LC-SCRUM-Japan」と、2014年に開始した大腸がんの遺伝子スクリーニングネットワーク「GI-SCREEN」を統合したがんゲノムスクリーニングです。

その一方で、患者さんの遺伝子変異によっては、通常よりも重い副作用を引き起こしてしまうことがあります。しかし個別化医療によって、そういった副作用の問題もカバーできる可能性があります。今後開設する個別化医療センターでは、そういったことも含めたプレシジョン・メディシンへの取り組みを行っていくべきであると考えています。