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がん教育を日本全国の子どもたちへ届ける–林和彦先生の取り組み

がん教育を日本全国の子どもたちへ届ける–林和彦先生の取り組み
林 和彦 先生

東京女子医科大学 がんセンター長 /化学療法・緩和ケア科 教授/診療部長

林 和彦 先生

この記事の最終更新は2017年07月22日です。

記事2『がん教育はなぜ重要か?がんを正しく理解してもらうための林和彦先生の試み』でご紹介したような取り組みを経て、現在東京女子医科大学 がんセンター長、林和彦先生は診療の傍ら日本全国で子どもたちへのがんの授業や、医療者や教員に対しての講演を行なっています。しかし、このような授業や講演を行えるようになるまでにはさまざまな困難がありました。

本記事では子どもたちへのがん教育のあゆみと、実際にがん教育を行なってみて気づいたことなどについて、林先生に直接お話を伺いました。

ある日私は病院で、抗がん剤の副作用により髪が抜け落ちた患者さんに対し、お孫さんが「おばあちゃん、気持ち悪い」といっているのを目にしました。「この子はなんてことをいうのだ!」と初めは驚き、とても悲しい気持ちになりました。

しかし、よく考えてみれば子どもたちはがんのこと、抗がん剤の副作用のことを何も知らないのです。何も知らなければ、髪が抜けることを奇妙に思うのも仕方ありません。この出来事は非常に衝撃的で、これが子どもたちへのがん教育の必要性を感じた瞬間でもありました。

がんを知らない子どもたちにがんに対する正しい知識を伝えるために私が考えたこと、それが学校でのがん教育です。私は自分自身が学校に赴き、子どもたちにがんの知識を伝えることを決心しました。

しかし、がんについて学校の生徒にお話する時間を設けるためには、多くの困難が待ち受けていました。その当時、学校の先生方はがん教育について、何もご存知ありませんでした。電話で教育委員会に電話で掛け合ってもたらい回しにされ、養護教諭たちにがん教育についてのプレゼンテーションをした際には、ただでさえ忙しいのに、これ以上仕事を増やすなといわんばかりの剣幕で否定されました。

しかし途方にくれる私に手を貸してくれたのはがんと深く向かい合った経験のある方々です。がんでお子さんを亡くした教育委員会の先生、元看護師の養護教諭の先生、がん経験者などが私の取り組みに賛同してくださり、共にがん教育を子どもたちに伝える活動に協力してくれるようになりました。今では多くの学校から「がん教育をうちの学校でもやってほしい」というご要望を頂くようになりました。

教師

学校へ赴き、先生や行政の方などと向き合ううち、私は自分自身が教育について何も知らないということに気づき、教育のことをもっと知りたい、そしてそれをがん教育に活かしたいという思いで、教員免許の取得を決意しました。

大学病院の仕事を今まで通りに行いながら、通信制の大学で学び、レポート、試験、そして1か月間の教育実習も行いました。週末も、夏休み冬休みもフルに使い、3年間かけて2017年にようやく保健科の特別支援学校、中学、高等学校の教員免許を取得しました。

大学に通い、一から教育を勉強することで、さまざまなことがみえて来ました。たとえば学生時代、日々なんとなく受けていた授業はすべて綿密に計画を立てられ、事前準備をきちんとされていたということ。また、生徒たちが授業に参加し、きちんと学問を身につけられるように先生がさまざまな工夫をされていること、そして学校の先生の業務量の多さにも驚きました。そして私が教員免許を取得し学校という現場の現状を正しく理解することによって、次第に周囲の学校の先生、行政の方なども心を開いてくださるようになりました。

現在私は、全国各地の小学校・中学校・高等学校で授業を行なっていますが、特に工夫していることは、地域や学校の実情に応じて、伝え方や授業の内容を組み替え、より生徒に関心を持ってもらえるような内容にすることです。

たとえば、進学校で医学部を目指す生徒の多い高校での授業では、がんの基礎知識や患者さんの苦しみだけでなく、医師としての意識や取り組みなどについて、私自身のキャリアパスを交えながら話すことにより、生徒が自身のキャリアを見つめ直す時間にもなります。

また、がん経験者に協力をいただき、実際のお話を生徒に聞いてもらうこともあります。生徒と歳の近い、20代のがん経験者の話は、生徒の心をに響くようで、最初は興味のなさそうだった生徒たちが、たちまち話に引き込まれていくのを目のあたりにしたこともあります。

小学生

がん教育を始めた当初、がん教育は難しいので、小学生には理解できないのではないかという人もいました。しかし実際に授業をしてみると、小学生でもがんを理解し、関心を持って授業を聞く生徒がほとんどです。

むしろがんについて知っている知識は大人とそう変わらないのではないかと思うこともあります。たとえば、授業前に小学生に行ったアンケートではこのような回答がみられます。

<がんについて知っていることを聞いた授業前のアンケートの一例>

  • 転移する
  • 死んでしまう
  • 辛い
  • 入院が必要
  • 若い人もなる
  • がん保険もある など

また、なかには「自分のおばあちゃんが膵臓がんになって発見が遅れて大変だった」などと、身近なところでがんを体験している子どももいます。

そして授業後にはきちんとがんの基礎知識を身につけ、そのうえで自分は何ができるのか、考えることができます。

実はがん教育の成果はすでに少しずつみえる形で結果が出てきています。それはがん検診の受診率の増加です。ある地域ではがん教育を初めてから7%も検診率がアップしているそうです。

これはがん教育を受け、検診の大切さを知った学生さんがご両親にその話をしてくれるからです。今まで検診に関心のなかった方でも、お子さんから「検診行ってる?行ったほうがいいよ」といわれれば、「行っておこうかな」と思ってくれるようです。

このようにがんを正しく理解した生徒たちが大人になって社会に出て行けば、記事1『知っておきたいがんの基礎知識-6割の患者さんはがんを克服できるようになってきた』で述べたような就労差別の問題も解決するかもしれません。「多くのがん患者さんは治って元気になる」ということを正しく理解していれば、周囲の方々も自然にがん患者さんをサポートしてくれるようになると思うのです。

国でもがん教育制度を取り入れようと、現在準備を進めています。2012年に計画された、がん対策推進基本計画のなかに新たにがん教育が加わり、文部科学省では2020年には全小学校で、2021年には全中学校でがん教育を行うことが目標であるとしています。

しかし、がん教育の全国展開は決して簡単なことではありません。全国には小学校が約2万校、中学校が約1万校、高校が約5千校ありますが、大学医学部は80校しかありません。地区医師会の先生方も専門外の場合が多く、外部講師としての医師の派遣や教育内容の標準化には、まだ多くの課題があります。東京都ではチームでがん教育を行うため、学校医、がん専門医、がん経験者、学校教育関係者らが一丸となり、2017年には「がん教育推進協議会」が発足しました。

また、今のところがんが身近でない方でも、がんがどのような疾患で、がん患者さんがどのような治療・生活を送るのかを学べるツールとして、私は『「がん」になるって、どんなこと?(セブン&ワイ出版)』という著書も出版しました。この本は、がんの基礎知識だけでなく、実際に罹患した3人の患者さんのそれぞれの治療や生活、想いをリアルに掲載することで、子どもだけでなく大人も理解を深め、考えさせられるような内容になっています。

【「がん」になるって、どんなこと?(セブン&ワイ出版)】

林先生

私は教育においても医療においても、現場で実際に自分が経験することが何より大切だと思っています。教員免許を取得したのもその表れでしたし、教授になった現在でも医局員とともに当直を行なっています。現場にいなければ、現場に勤める方々の苦しみや現状はわからないと思っているからです。

私は教育と医療、どちらの現場も経験することで、2つの共通点や課題を目の当たりにしてきました。私は学校と病院は非常に似ていると感じます。

学校はチルドレンファースト、病院はペイシェントファーストです。それぞれ、さまざまな職種の方が集まり、生徒や患者さんを支えています。そして、生徒さんにも患者さんにもご家族がいて、ご本人の意思だけでなく、ご家族にもそれぞれの考えがあります。また、教師や医師は教育、医療に全力を注ぎたくても、事務仕事に忙殺されなかなか思うように尽力できないことや、真面目な方が多いにもかかわらず、ほんの一握りの問題や事件で貶められ、社会的地位が低下してしまう……そんなところもよく似ていると思います。

私は医師であり、教師でもあります。今後も初心を忘れず、自ら学校に行くことで、教育と医療の橋渡しをしていきたいと思っています。

 

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  • 東京女子医科大学 がんセンター長 /化学療法・緩和ケア科 教授/診療部長

    林 和彦 先生

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