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核医学検査の歴史-CTやMRIの登場により放射線画像診断はどう変わったか?

核医学検査の歴史-CTやMRIの登場により放射線画像診断はどう変わったか?
井上 登美夫 先生

医療法人 沖縄徳洲会 湘南鎌倉総合病院 先端医療センター センター長

井上 登美夫 先生

この記事の最終更新は2017年09月13日です。

2017年10月、パシフィコ横浜(神奈川県横浜市)にて第57回日本核医学会学術総会が開催されます。アジア・オセアニア核医学会学術会議など、4つの学会が一堂に会する本大会にて大会長を務められる井上登美夫先生は、「国境や職種、専門領域を超えて人や技術を結びつける場としたい」とおっしゃいます。実際に、過去40年間にわたる核医学の歴史は、肝臓や心臓、脳疾患など、専門を異にする人と人の学際的な結びつきにより形成されてきました。幾度も衰退を繰り返しては持ち直してきたという核医学検査や画像診断の歴史について、井上先生にお話しいただきました。

横浜みなとみらい

2017年10月5日(木)~7日(土)の3日間、神奈川県横浜市のパシフィコ横浜にて、「第57回日本核医学会学術総会」が開催されます。

この度の日本核医学会学術総会は、放射線技師の方々の学会である「第37回日本核医学技術学会総会学術大会」、アジアとオセアニアの医師や化学者により組織される「第12回アジア・オセアニア核医学会学術会議(AOCNMB)」、そしてアジアの技師により構成される「第7回アジア核医学技術学会国際会議(ASNMT)」との同時開催になります。うち2つの国際会議については、日本学術会議が共同主催しています。

4団体共同開催の学術総会は、今回が初めての試みであり、国際色に溢れた学会となることが期待されています。

私はこのたび、医師として日本核医学会学術総会とアジア・オセアニア核医学会学術会議(AOCNMB)の大会長を兼任することとなりました。日本核医学技術学会総会学術大会の大会長は、横浜労災病院の放射線取扱主任者である渡邊浩先生が務められます。核医学の発展のために、職種や国境、学会の垣根を超えてタッグを組み、意義のある学術総会にしていきたいと考えています。

本会の日本語のメインテーマは「核医学の明るい未来に向けて」、英語のメインテーマは”Connecting people for the bright future of Asia-Oceania nuclear medicine”と致しました。

国際的な学術総会の開催にあたり、”Connecting people”という言葉をメインテーマとして掲げた背景には、核医学という学問分野が、人と人、あるいは技術と技術の結びつきにより発展してきたという歴史があります。

本記事では、私が放射線科医師として実際に体験してきたこの40年間の激動ともいえる核医学の歴史についてお話しします。

第57回日本核医学会学術総会の公式WEBサイトはこちら(外部サイトへ移動します。)

私は今から40年前の1977年に群馬大学の医学部を卒業し、核医学を専門とする医師としての道を歩きはじめました。核医学の歴史全体のうち、まさに最初の3分の1を過ぎた頃、私は核医学と向き合い始めたのです。

ちょうどその時期、核医学の世界では親核種と娘核種の分離操作を行なう装置・テクネチウムジェネレータが登場し、続けてアンガー型ガンマカメラが登場しました。アンガー型ガンマカメラとは、体に投与した放射性核種が放出するγ線(ガンマ線)を測り、体内分布などを画像化するための装置で、後述するシンチグラフィやSPECT検査の際に用いられます。

CT検査

時を同じくして、立体的な画像を得られるCT検査装置の開発が始まり、1970年代後半に入ると臨床現場でもCT検査が一般的に行われるようになりました。

1970年代~80年代にかけて、CT検査に続き超音波検査やMRI検査などの新たな検査技術が出てくると、それまで医療の現場で一般的に使用されていた核医学の技術は衰退していきました。衰退をみせた旧来の技術のなかでも最も顕著なものは、コロイド肝シンチグラフィです。これは、放射線コロイドという医薬品を用いた肝臓のシンチグラフィ検査のことで、肝臓の平面画像を得ることができます。

私が30代半ばの頃、肝疾患の検査はほとんどすべて肝シンチグラフィにより行われていました。しかし、先述したCT検査や超音波検査、MRI検査が出てきたことで、造影剤の投与による肝臓がんの診断も可能になり、コロイド肝シンチグラフィは行われなくなっていきました。当時の私と同年代である現在の若い医師の方々は、コロイド肝シンチグラフィをご存知ないかもしれません。

1970年代~1980年代は、放射線科における画像診断技術のルネサンス期といえるのかもしれません。古い技術が使われなくなり滅んでいく一方で、新規技術が立て続けに誕生し、そのなかで生き残ったものが核医学の歴史を作り上げています。先述した肝シンチグラフィの前には、脳シンチグラフィと呼ばれる核医学検査もありました。脳シンチグラフィも脳の異常を調べるために盛んに用いられていましたが、こちらも断層画像を得られる頭部CT検査の登場により衰退しました。「生きた状態で脳の断層画像を得られる」ということは、当時非常に画期的なことでした。

なお、放射性医薬品を体内に投与しながら断層画像を得られるSPECT装置(シングル・フォト・エミッションCT)が生まれたのは、ちょうどCT検査が隆盛を極め始めた頃です。

心臓

私たち核医学を専門とする者の間では、かねてから肝シンチグラフィと脳シンチグラフィの衰退に伴い、「核医学そのものが必要とされなくなっていくのではないか」という危機感がありました。

しかし、肝シンチグラフィや脳シンチグラフィの市場縮小とほぼ同時期にSPECT装置が登場したことで、201TlCl(塩化タリウム、放射性医薬品)を使った心筋シンチグラフィが可能になりました。この心筋シンチグラフィの登場により、心臓核医学が循環器内科を中心として隆盛を極め、核医学という学問領域自体も勢いを持ち直したといえます。

以上がイメージング(画像診断)の世界における、核医学の衰退と復興の歴史です。

続いて、核医学検査の歴史に目を向けてみましょう。肝シンチグラフィが盛んに行われていたのと同じ頃、採取した血液を試験管内で放射性医薬品と反応させることで、微量のホルモン値や腫瘍マーカーを測定するインビトロ核医学検査もまた注目を集めるようになりました。このインビトロ検査の代表である「ラジオイムノアッセイ」(RIA、放射免疫測定)は、その後、核医学の分野で非常に大きなマーケットへと成長しました。ラジオイムノアッセイとは、放射性物質でホルモンを標識する(印をつける)ことにより、その量を測定する検査法です。

ところが、その後、標識のために酵素を用いるエンザイムイムノアッセイ(EIA)が開発されたことで、ラジオイムノアッセイは急激に斜陽化していきました。

エンザイムイムノアッセイがラジオイムノアッセイに取って代わった理由は、放射線ではなく酵素を用いたほうが、コスト面においても安全面においても優れていたためです。

しかし、核医学の市場で重要な立ち位置を占めていたラジオイムノアッセイの勢いに陰りがみえ始めたときとほぼ同時期に、先述したSPECT装置が登場したため、インビボ核医学(生体内にRIを投与する核医学)そのものの市場が縮小することはなかったのです。

続く1990年代、2000年代初頭には、がん診療領域において核医学が重要な役割を担うことになります。次の記事『核医学の将来を見据えて-アジア・オセアニアで国際共同治験を行っていく時代に』では、今日も用いられているPET検査の誕生と臨床応用について詳しくお話しします。

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