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視神経脊髄炎の治療—視神経脊髄炎は完治するのか
視神経脊髄炎とは、視神経や脊髄に障害が起こり、急に視力が低下する、手足が動かなくなるなどの症状があらわれる自己免疫性疾患です。記事1『視神経脊髄炎の症状』では、視神経脊髄炎の症状についてお話しし...
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視神経脊髄炎の治療—視神経脊髄炎は完治するのか

公開日 2018 年 02 月 01 日 | 更新日 2018 年 02 月 02 日

視神経脊髄炎の治療—視神経脊髄炎は完治するのか
楠 進 先生

近畿大学医学部神経内科 主任教授

楠 進 先生

視神経脊髄炎とは、視神経や脊髄に障害が起こり、急に視力が低下する、手足が動かなくなるなどの症状があらわれる自己免疫性疾患です。記事1『視神経脊髄炎の症状』では、視神経脊髄炎の症状についてお話ししました。本記事では、視神経脊髄炎の治療について、近畿大学医学部の楠進(くすのき すすむ)先生にお話を伺います。

視神経脊髄炎は再発することが多く完治が難しい

視神経脊髄炎は治療しても再発することが多く、完治が難しい病気です。しかしながら、治療によって寛解(症状がある程度改善し、症状が悪化せずに落ち着いている状態)する症例もあります。

視神経脊髄炎の治療における基本方針

急性期には一般的にステロイドパルス療法を行う

視神経脊髄炎の治療では一般的に、まずステロイドパルス療法を行います。ステロイドパルス療法とは、短期間に多量のステロイドを投与することで自己免疫の機能を抑制する治療法です。急性期(症状が急激に変化しやすい、病気になり始めの時期)の視神経脊髄炎に対するステロイドパルス療法では、1,000mg/日のメチルプレドニゾロン点滴静注を3〜5日間行います。

ステロイドパルス療法が有効だった場合、1コース(1,000mg/日の点滴静注を3日間持続する)を2〜3回繰り返します。また、ステロイドパルス療法が無効の場合には、血漿浄化療法(単純血漿交換あるいは免疫吸着)を行います。

慢性期にはステロイドの量を減らし、経過を観察しながら治療を継続する

慢性期の治療では、比較的少量のステロイド(例えば10〜15mg/日のプレドニゾロン)の内服を持続します。症状の悪化と再発を防ぐことを目的として、患者さんの経過を観察しながらステロイドの量を決定し、治療を継続します。

慢性期治療が有効でない場合、血漿交換や免疫抑制薬を用いた治療を行うことがある

再発予防を目的とした慢性期の治療が有効でない場合、血漿浄化療法(血漿交換)や、アザチオプリンなどの免疫抑制薬を用いた治療を行うこともあります。

継続的にステロイドや免疫抑制薬を服用する場合、副作用が懸念されるため、定期的に通院をして、副作用の有無をチェックします。

リハビリテーションが必要になるケースとは?

足の筋力や動作が十分に回復しなかった場合など

視神経脊髄炎の治療後、足の筋力や動作が十分に回復しなかった場合や、体のバランス機能に障害がある場合、リハビリテーションによってそれらの機能回復を促します。また、急性期(病気が始まり、病状が不安定かつ緊急性を要する期間)に手足が麻痺して介助が必要な状態になった場合にも、関節の拘縮(動きが制限された状態)や血栓ができるのを防ぐために、リハビリテーションを行います。

視神経脊髄炎の治療における今後の展望

分子標的薬の導入によって治療に変化がもたらされる可能性がある

2018年現在、視神経脊髄炎の治療の研究において、さまざまな治験(新しい薬や治療法を開発するために、人で効果や安全性を調べる試験)が進められています。たとえば、リツキサン、トシリズマブなどの分子標的薬(細胞の特異的な性質を分子レベルで捉えて標的とする薬)を視神経脊髄炎の治療に導入しようとする動きがあります。このような研究が進めば、将来的には、視神経脊髄炎の一般的な治療に変化がもたらされる可能性があります。

視神経脊髄炎の患者さんへメッセージ

楠進(くすのき すすむ)先生

視神経脊髄炎は急に目がみえなくなったり、手足が動かなくなったりするため、患者さんは最初、非常に驚かれるかもしれません。しかし、視神経脊髄炎は早期に適切な治療を行うことで寛解(治癒したわけではないものの、症状が落ち着いて安定した状態)の可能性があります。まずは早期に診断を行い、その後は必要な治療を継続することで、症状の改善を目指しましょう。

 

視神経脊髄炎(楠進先生)の連載記事

1978年に東京大学医学部医学科を卒業後、東京大学医学部附属病院に勤める。1985年に医学博士を取得し、米国エール大学へ留学。帰国後は東京大学医学部神経内科へ。2003年より現職。

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