遊び心と人間力を大切に。腎臓内科の面白さを伝え続けたい

「遊び心と人間力を大切に。腎臓内科の面白さを伝え続けたい」

時代の流れに身を委ね腎臓内科学の道を歩む向山政志先生のストーリー

熊本大学大学院生命科学研究部 腎臓内科学分野 教授

向山 政志 先生

生命の神秘を解きたい!― 医師という仕事に憧れて

「人の体は不思議だな」

なぜ夜になると決まって眠くなるのだろう?なぜ寒いときに鳥肌が立つのだろう?腕を曲げると力こぶができるのは、筋肉が押し縮められているだけだろうか?

小・中学校で勉強するうちに、人の体の不思議さ、奥深さに心惹かれていきました。進路選択の頃には「生命の神秘を解きたい」と心に決め、医師を志します。(正直な話、医師という仕事は単純にかっこいい!と憧れたのも事実です。)

これまで自分の興味を追求し続けた結果、現在の私があります。もちろん、患者さんの診療は大切なライフワークです。ただ、やはり幼い頃から興味を抱き続けた「生命の神秘」は、まず研究という扉を開きました。それは、必然的に患者さんの診療へとつながっているように思います。

「患者さんは教科書である」― 井村裕夫先生に医師として大切な心を教わった

1977年に入学した京都大学医学部では、かけがえのない人たちと出会いました。

なかでも、大学に入って3年目でお会いした井村裕夫(いむら ひろお)先生(1年のときから部活で入った医学部ESSの顧問になられた)には、医師として大切なのは何かを教わり、その後生涯にわたるメンターとして多大な影響を受けました。専門課程での系統講義(内科学、内分泌代謝学)のみならず部活の懇親会などにおいて、井村先生は、学生である私たちにもわかりやすい言葉でお話ししてくださいましたが、その中身はいつも非常に重みのあるものでした。

「患者さんは、教科書である」

私たち医師は、患者さんから多くを学びます。患者さんをよく診て、話を聞き、向き合うこと。それは医師として働くうえで絶対に欠かせない、欠かしてはいけないことなのです。医師としての礎を築く時期に井村先生に出会い、医師として大切な心を教わったことを、とても幸せに思います。

井村裕夫先生に贈られた言葉。今でも教授室に飾られている

遊び心を忘れるな ― 結果が予想できるものから大発見は生まれない

1983年に医学部を卒業し、3年間は内科のローテーター(京都大学医学部附属病院、松江赤十字病院)をしながら、大学に戻ったら井村先生のところへ、と決めていました。

1986年、京都大学大学院医学研究科博士課程(内科系専攻・第二内科)に入学。井村先生の著書で知った「神経内分泌」をはじめ、内分泌学が全身を統御するシステムとして新たな方向へと広がりつつある時代でした。また、当時、宮崎医大の松尾先生、寒川先生によってANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)と呼ばれる心臓から分泌される降圧利尿ホルモンが新たに発見され、レニン・アンジオテンシン系を含めて循環調節ホルモンの研究が日本を中心に進みつつありました。

私は、血圧調節にかかわる内分泌因子の研究に興味を抱き、中尾一和(なかお かずわ)先生が長を務めていた高血圧研究室に所属しました。このとき、私を中尾研に強く推薦してくれた研究室1年先輩の伊藤裕先生(現・慶應義塾大学腎臓内分泌代謝内科教授)にはたいへん感謝しています。

私に与えられた最初の研究テーマは、ANPに対するモノクローナル抗体を作製して、超高感度ANP測定法を確立することでした。西川伸一先生の研究室で手ほどきを受け、ほどなく抗体作製に成功しました。そして宮崎医大生化学第一教室などと共同で研究を行い、サンドイッチアッセイ法ができ上がりました。これは現在のANP ELISA測定法に発展しました。

その後、宮崎医大松尾・寒川先生研究室でブタの脳からBNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)というペプチドが新たに発見され、私たちはBNPの研究にシフトします。ところが、早速抗体をつくって測定しても、唯一イヌではBNPが測定できるが、ラットやヒトの血液、組織からBNPは測定できない。いろいろ試しても無駄で、1年近くが過ぎました。ラット、マウスやヒトにはBNPはないとささやかれ、まだBNPを研究しているのは世界でも少数になっていたと思います。

ところがついに宮崎医大からラット、ヒトと相次いでBNPの構造が報告され、ブタとかなり異なる構造をしていることがわかりました。そしてすぐにヒトBNPのモノクローナル抗体を作製して測定するのですが、我々の血液にはほとんど存在しない。当時はボランティアと称して元気な大学院生(私を含む)からその都度50~100 mLくらい採血し、濃縮して測定してやっとANPの1/6くらいの濃度ということがわかり、このままBNPの研究を続けていても芽は出ないかな、と思い始めていた頃です。

「心不全の患者さんは、BNPの血中濃度が上がっている!」

たまたま出会った心不全患者さん2人から十分量の血液をいただき、濃縮して測定してみました。濃度が振り切れるという結果に、私たちは驚きました。間違えたのかと思って再検しても同じです。もう一度希釈してやっと測定できました。

当時、第二内科のフリーザーのなかには、共同研究をしていた熊本大学循環器内科(泰江教授)からの血液サンプルの残りが大量に保存してありましたが、早速測定すると重症度に応じていずれもBNPが上昇していました。そして遂に、心不全ではBNPが著しく上昇するとの確信に至りました。さらに、BNPはおもに心室から分泌されるということが熊本大学との共同研究でわかりました。

実は、心不全で血中BNP濃度が著しく上昇するのはヒトくらいなのです。仮に動物実験を続けていたとしても、決して同じ結果は得られないでしょう。結果を予想したわけでもなく、たまたま心不全患者の血液を測定したからわかった―いわば「セレンディピティ(予想外のものを偶然に発見する)」ともいえる結果が、心不全診療における新たな発見につながったのです。

この経験は私に、研究における地道さと、先入観に囚われない遊び心の重要性を知らしめました。またヒトでの研究をすることがいかに大切かを知り、今に続く医師・臨床医学研究者としての信念を作り上げました。

国際ANPシンポジウム(1988年 京都)にて(左から4人目 向山先生)
国際ANPシンポジウム(1988年 京都)にて(左から4人目 向山先生)
ニューヨークでの国際学会参加時のひとコマ(伊藤裕先生と)
忘年会での余興のひとコマ(左側司会席 向山先生)
忘年会での余興のひとコマ(左側司会席 向山先生)
中尾一和先生ベルツ賞受賞祝賀会にて(最上段左に長男を抱く向山先生)
中尾一和先生ベルツ賞受賞祝賀会にて(最上段左に長男を抱く向山先生)

先のことはわからない ― 時代の流れが私を腎臓内科医にした

「ヒト心不全で血中BNP濃度がANP濃度をはるかに超えて上昇する」との成果を3編の論文に発表し、1991年に博士号を取得。翌月からは米国スタンフォード大学医学部心臓血管研究所に研究員として留学しました。

ここで、レニン・アンジオテンシン系研究の世界的第一人者であるVictor J. Dzau博士に師事し、アンジオテンシンII受容体のクローニング(cDNA単離と構造決定)に携わることになります。結果的にAT2受容体のクローニングを終えて3年後に京都大学に戻りますが、留学生活では日本各地から集まった新進気鋭のポスドク(博士研究員)と出会い、親睦を深め、現在の私の大きな財産となりました。

留学2年目で、井村先生の後任として中尾先生が第二内科教授に就任され、腎臓研究室を立ち上げる話を聞きました。また、この頃より、レニン・アンジオテンシン系がいろいろな疾患の増悪因子になっていること、腎臓病にも関係しそうなことがわかってきました。そこで、帰国後私はまだできたてほやほやの腎臓研究室に入ることを選択しました。

今でこそ私は腎臓内科の世界に生きていますが、こうして振り返ってみると、医師になって長らく、内科学、高血圧学、あるいは内分泌代謝学という幅広い領域で臨床と研究を続けてきたように思います。自分を腎臓内科の人間だと認識し、また周囲にもやっと認知され始めたのは、世紀が変わるくらいになってでしょうか。

内分泌代謝学の領域から始まった研究は、1980年代には新たな循環調節因子・ホルモンの発見、1990年代にはその作用機序解明と新たな作用の発見および診断への応用、1990年代後半から2000年代は治療への応用、というように研究は日々発展してきました。同時に、これらの研究は循環器病学、腎臓病学、糖尿病学へと垣根を越えて広がり、その時代の流れのなかで、腎臓という臓器の果たす役割の意義、学問としての腎臓病学の重要性が徐々に明らかになりました。

すなわち、内科学の大きな潮流があり、私はただそこに身を置いていたように思います。その時その時で、興味のわくこと、必要と思われることを追求してきた結果、私は腎臓内科の世界にいます。正直、誰も数年先のこと、ましてや10年、20年先のことなどわからない。自分の道をこうだと決めても、その通りにはいかないことも多いでしょう。

大切なことは、流れに逆らわないことです。立ち止まったっていい。再び波がやってきたとき、それに乗るのです。私はそのように生きてきました。

時折、「ここに来るまで、長い道のりでしたね」といわれることがあります。実のところ私自身は、特に遠回りや苦労をしたと感じてはいません。評価は人によって変わるのが当たり前ですが、医療に、研究に、真面目に向き合ってきたことは、自分自身が一番よく知っている。この想いが、心の支えになっています。

留学中、荒川規矩男先生、飯村攻先生を迎えて(左端 向山先生)
留学中、荒川規矩男先生、飯村攻先生を迎えて(左端 向山先生)
留学から帰国後、Victor J. Dzau先生を迎えて(右から3人目 向山先生)
留学から帰国後、Victor J. Dzau先生を迎えて(右から3人目 向山先生)
留学時代のボス、Victor J. Dzau先生と

サイエンス・アート・ヒューマニティ ― 常に大切に心がけていること

「医者として必要な3要素は、サイエンス、アート、そしてヒューマニティ」

よい医師であるためには、単なる医学知識(Knowledge)ではなくScienceの心が、単なる医術(Technique)ではなくArtの体得が重要である。そして何よりも、Humanity(人間力)がなくてはならない。井村先生から教わったこの考えは、私の座右の銘です。

医師という仕事は、患者さんはもちろん、研修医・医学生や病院のスタッフなどさまざまな人と必ず関わりを持ちます。人に対して興味を持ち、愛を持って接することができなければ、たとえどんなに優れた能力や技術を持っていても、よい医師にはなれないでしょう。

現在、熊本大学で教育に携わるなかで、私は自身の人間力を磨きながら、後進の医師たちにもその大切さを伝えていきたいと、常々思っています。

腎臓内科学は究極の総合内科学 ― 1人でも多くの優れた腎臓内科医を育てたい

数十年前、「生命の神秘を解きたい」という思いから始まり、興味を注ぎ続けた腎臓内科という分野。腎臓内科学は、単に腎臓の働きの異常にとどまらず、多様な臓器連関のなかで全身のあらゆる臓器と病態を総合的に診る能力、探究する心が求められます。いわば「究極の総合内科学」なのです。

これからも私は、腎臓内科の面白さを後進の医師たちに伝え続け、1人でも多くの有能かつ高い人間力をもった腎臓内科医を育てたいと考えています。

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医師のストーリー 医師には医師のドラマがある

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