ピンチを切り抜けるにはどうすればよいか?

「ピンチを切り抜けるにはどうすればよいか?」

常に患者さんや自身と向き合う消化器外科医・土岐祐一郎先生のストーリー

大阪大学医学部附属病院消化器外科 診療科長

土岐 祐一郎 先生

不本意だった医師への道

医師を目指すきっかけは、自分の意志ではなく、父の意志でした。

私の父は田舎の進学校の数学教師で、私も父の勤務先である高校へ通っていました。父は、私のテスト成績から進路まで、何かと「こうしなさい」と言ってくるような人で、思春期だったこともあり、私は父に反発心がありました。

今思えば、学業の成果を形にしたい、将来性がある、という考えだったのでしょう。しかし、私はどうしても納得できませんでした。当時の私は、文学や数学や建築学など、創造的な仕事に結びつきそうな学問に興味がありました。それに対して、医師という仕事は、創造とは反対の日常業務が中心の仕事で面白くなさそうだと感じていたのです。

自分の希望する進路を選びたいと、幾度か粘りましたが、最後に父が発した一言で私は折れることになります。

「医学部でないなら、自分のお金で大学に行きなさい」

そうして、私は大阪大学医学部に入学しました。

当然といえば当然なのかもしれませんが、大学入学後は学問には身が入らず、娯楽に耽る日々でした。何度も留年の危機にさらされながらも、なんとか大学を卒業しました。

一瞬の油断が患者さんを危険にさらす

外科を選んだのは「かっこいいから」というただそれだけの理由でした。しかし、実際に外科医としての一歩を踏み出すと、学生時代のような生半可な気持ちではいられません。

油断をすると、患者さんを危険にさらしてしまう。実際に外科の現場に足を踏み入れて、やっとそのことに気がつきました。

最初に医師として働きはじめた病院の上司は、とても手術の上手い先生でした。ピンチのときにその先生が入ると、一瞬のうちに場の空気が変わります。

出血は止まり、停滞していたがんの切除が進み、助手も看護師も生き生きと動き出すのです。もちろん、術後の合併症もありません。

「術者によってこんなに手術は違うのか」と私は驚きました。

また、上司は自分にも患者にも厳しい先生で、自分の病気と真面目に向き合わない患者には外来で罵倒を浴びせて追い出してしまうこともありました。上司は、頭脳は極めて優秀な一方、感情的に行動することも多い人でした。特に若手の努力や誠実さには敏感で、ときに叱咤してくれました。

上司の指導のもと、朝6時から深夜0時まで患者を診て、臨床研究をするという日々を送るうちに、私のなかで変化が訪れました。仕事の充実感がすべてに勝るようになってきたのです。

夢を追うのではなく、日々の宿題を切り抜ける努力が原動力

医師という仕事は、死を目の当たりにすることを避けることはできません。一生懸命に手を尽くしても、どうしても救えない命がある。

食道がんの手術を担当するようになってはじめて、手術合併症の肺炎で患者さんが亡くなるという経験をしました。

「適切に対応していたら救えたかもしれない」

私は自責の念から逃れられず、二度と同じことは繰り返したくないと術後管理について死に物狂いで勉強しました。そして、レスピレーター、気管支鏡、循環管理、輸液、透析など「ひとりICU」といわれるまで全身管理の達人になりました。

術後管理の努力を認められて、しだいに食道がんを執刀するチャンスをもらえるようになりました。ある日、手術で切除したはずの場所に、リンパ節からのがん再発を発見したのです。

「自分の手術が下手だから再発したのではないか。自分より上手な人の手術を受けていれば助かっただろう」と悩む日々が始まりました。しかし、悩んでばかりはいられません。再発部位の検討や手術手技の見直しなど手術について徹底的に勉強しました。

早期がんの患者さんを手術して感謝されることも、もちろん嬉しいです。しかし、嬉しいことだけではなく、悲しいことからも医師は学ぶことが多いのだと感じています。合併症や再発で救えなかった患者さんと、それを悲しむ家族の姿をしっかり目に焼き付けることで、私は変わったのだと思います。

もう同じ目に遭わせたくない。私の原動力はそこなのだと思います。私の場合は「夢に向かって邁進する」というよりも「患者さん、ご家族、上司や同僚から、叱られたくない、責められたくない」と、いつも怯えながら、その重責から逃れたいという思いで、ひたすらに体を動かしていた気がします。

私は、嫌なこと、苦手なことがあると、まずそこから逃げる方法を考えます。しかし、逃げられないと腹をくくったときには、言い訳をしないために精いっぱいの努力をします。たまたま、運よくその努力が実って、一人前の外科医になったのかなと感じています。

逃げるから創るへ

私は、逃げるために創ることを続けてきました。

自分の限界に挑戦せずに、自分をごまかしながら医師を続けていく方法もあります。一方、自分をごまかせない私のような医師は、自分を追い詰めて、限界を超えるために苦しむこともあります。それは、自分をごまかして患者さんを見捨てるのではなく、どんなに厳しい局面であっても自分をごまかさずに最後まで患者さんを救いたいからです。

私は、進行食道がんの治療の限界を超えるために、3剤併用術前化学療法、気管大動脈合併切除など、誰もが避けてきたリスクの高い治療に取り組んできました。

自身を振り返ると、「この患者さんを見捨てるのか?」という問いから逃げるために新しい治療に取り組んできたような気がします。真剣に逃げるために創ることが必要です。その結果、新しいことに取り組めたのだと思います。

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