あの日目指した理想の医師になるために

DOCTOR’S
STORIES

あの日目指した理想の医師になるために

―患者さんやご家族の気持ちを大切にする仲瀬裕志先生のストーリー

札幌医科大学附属病院 消化器内科 教授
仲瀬 裕志 先生

医師を志したのは、なりたい医師像があったから

私の座右の銘の1つに「素志貫徹」という言葉があります。これはパナソニックの生みの親である松下幸之助さんの言葉の1つで、「常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある」という意味があります。

さらに、医師を志すきっかけとなり、医師となった今でもずっと大切にしている思いがあります。それは「患者さんやご家族の気持ちを大切にする医師になること」です。

最初に抱いた医師へのイメージはよいものではなかった

実は私は学生時代、弁護士を目指し、法学部を受験するつもりでいました。そんな私が医師を目指すことになったきっかけは、祖父の死です。

その当時、私は高校生で、病で倒れた祖父について医師が病状を説明する現場には立ち会えませんでした。医師からの説明があったあと、私が両親に祖父の病気について聞くと、両親はこういいました。

「医者がいっていることは難しい。説明を聞いても、よーわからんのや。」

結局最期まで、私は祖父が何の病気であるのか知ることができませんでした。そのとき、「患者さんやご家族の気持ちを大切にし、病気のことをわかりやすく説明するのが医者の仕事ではないの?」と思いました。そして、自分自身がそんな医師になるべく医学部受験を志すことにしました。

ところが、この頃すでに「医師嫌い」になっていた父は、この決意に対して大反対しました。京都の老舗蕎麦屋の職人であった父にとって、医師という職業はいい加減な仕事とみなされていました。

父の「医師嫌い」の理由

話は私が生まれる前にさかのぼります。私には兄がおりました。しかし、随分と幼いころに病気で亡くなっています。実はこの兄の死も、祖父と同じように何の病気が原因だったのかよくわからなかったようです。母から話を聞いたときには、当時の医師の説明は全く納得できるものではなかったとのことでした。

このときからすでに私の両親は医師を信用しなくなり、父は「医師は時間も守らない、上から目線で患者に偉そうに説明する。そんなに偉いんか?」とレッテルを貼ってしまったのです。加えて祖父の死は父の医師嫌いに拍車をかけてしまいました。

父の医師嫌いをみて、私はいつの日か「患者さんやご家族の気持ちを大切にする医師になりたい」という明確なビジョンを描くようになりました。そして最終的に私は父の反対を押し切って、医学部を受験しました。反対していた父も私の頑張りをみて、合格した際には喜んでくれました。

内視鏡の無限の可能性に魅せられて消化器内科へ

医学部を卒業し、内科医になることを決めた私は、まずはジェネラリストとして総合的な内科の知識を身に着けたいと思っていました。平成2年神戸大学医学部を卒業後、神戸中央市民病院(現:神戸市立医療センター中央市民病院)で初期研修を行いました。2年間の初期研修後、中央市民病院でチーフレジデントとして残留し、循環器の専攻医として勤務することが決まっていました。その時に、千葉勉先生(当時神戸大学老年科教授)から、『1つの病院にずっといるとようない、いろんな病院でいろんな経験するんや!』といわれ、「それもそうかな」と自分でも納得したうえで、千葉先生のご紹介により、愛仁会高槻病院で勤務することになりました。実は、このときは私はいわゆるGeneralistを目指していて、循環器、呼吸器、消化器、神経内科の4つの内科診療に携わる許可を頂きました。いま考えると高槻病院での勤務は、自分にとって本当によかったと思います。高槻病院での2年間の経験が、私の内科医としての礎になっていることは間違いがないといえます。

内科を学び始めた当初は循環器内科医や神経内科医を目指していました。しかし、高槻病院で内視鏡がとても上手な先生に出会い、その面白さに気づいたことで消化器内科医の道に進むことにしました。当時は内視鏡が脚光を浴び始めた頃で、電子内視鏡の開発とともにさまざまな可能性が広がっており、非常にワクワクしたことを覚えています。

研究の原点も患者さん

私は、患者さんを診療することはもちろん、臨床や研究から医療の発展に貢献することも医師の大きな役目であると感じています。医師として、臨床だけでなく研究にも従事してみると、大学院時代に研究で身につけた知識や物事の考え方(進め方)が患者さんの診療に大いに役立つことに気づきました。

たとえば、この患者さんにはどんな薬が有効か、今この患者さんはどうしてこんな訴えをしているのか、これらの疑問を解消し、今目の前にいる患者さんにベストだと思える提案をするためには、やはり物事をじっくり考える習慣をつけることが大事です。

この物事をじっくり考える習慣は、大学院時代に養われたものだと確信しています。ですので、若い先生方にはぜひ大学院で研究に取り組む時間をとっていただきたいと切に願っています。

また、日々の診療のなかで今の知識や技術ではどうしても治療が難しい病気を持つ患者さんに出会うこともあります。そんなときは悔しい思いや悲しい思いをすることもありますが、私はただ感情に流されるのではなく、「もっとよくなる方法はないだろうか」と考え、その思いを研究にぶつけるようにしています。このように日々の疑問を研究によって解決しようとすることで、診療にも研究にも高いモチベーションで挑むことができます。

消化器内科領域には解明されていないことも多く、私自身まだまだやりたいことがたくさんあります。2018年現在、私は小腸、大腸など下部消化管についての診療・研究を行っています。特に現在は、「家族性地中海熱関連腸炎を始めとする炎症性腸疾患の病態解明」に全力を尽くしています。

患者さんも人間。だからこそ、大切なのはコミュニケーション

医師になって数十年の月日が流れました。私は今でも「患者さんやご家族の気持ちを大切にする医師になること」を目指し、日々の診療・研究にあたっています。幸い、患者さんやご家族から「先生に出会えてよかった」「先生に出会えたのは運命だった」などと温かい言葉をいただくことも多く、そのたびに私は嬉しい気持ちになります。

札幌医科大学消化器内科学講座の教授となった今でも、私の医師としての基本は患者さんが笑顔になってくれるような外来診療を行うことです。治療とは、医師と患者さんが2人3脚で協力して行うものだと思っています。後進の医師たちにも、患者さんを笑顔にできるような診療を指導しています。

あたりまえのことですが、患者さんもそのご家族も感情を持つ人間です。医師として知識や技術だけでなく、心できちんとコミュニケーションを取ることが求められていると思っています。これからも患者さんやご家族が笑顔になれるような診療を実践していきます。

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