妊婦さんは案ずるよりも産むがやすし

「妊婦さんは案ずるよりも産むがやすし」

あらゆるリスクを想定し、妊婦さんの不安を一手に担う荻田和秀先生のストーリー

りんくう総合医療センター産婦人科部長

荻田 和秀 先生

「不安や心配は全部僕らが引き受けるから、お母さんは安心して産んで」

「かかりつけの先生から、赤ちゃんの発育が通常より遅いといわれて」

不安げな妊婦さんが、私のもとにやってきて口を開きました。

成長が普通の子より遅いかもしれない、まだ胎動を感じられない、予定日を過ぎても産まれない……。妊婦さんを襲う不安には限りがありません。それが初めての妊娠ならなおさらです。

「お母さんが心配なことや不安なことは、全部僕らが引き受けるからね。だからお母さんは安心して産んでください。案ずるよりも産むがやすし、ですよ」

産婦人科医の仕事は、妊婦さんの感じるあらゆる不安や心配を引き受けて、何かあったときに十分な対処ができるよう入念に準備をしておくこと。そして、母子ともに健やかな状態で赤ちゃんに産まれてきてもらうこと。

そのために私は、あらゆる事態を想定して、仮に最悪の事態に陥ったときでも冷静に適切な対処ができるよう、シミュレーションを欠かしません。

お産は奇跡。でも、奇跡だからこそ何が起こるかわからないのです。

何科に行くか悩んでいたころ、理想の医師に出会う

高校時代はミュージシャンを目指していたことから、まともに受験勉強をしませんでした。ところが、自分よりもセンスもテクニックもある人たちが音楽を諦める姿を目の当たりにして、「これは魂の切り売りだな」と思い始めて音楽の道に行くのは諦めました。

音楽を諦め、次はどうしようかと考えていたころ、父が産婦人科医であったことから、なりゆきで医学部に進学しました。しかし卒業が近づくにつれ、自分はどの診療科に行くべきか悩み始めました。興味があったのは、産婦人科と救急科。内科・外科双方をやりたい気持ちからこのふたつに絞ることはできましたが、最後を決めかねていたのです。

加えて、貪欲な私は研究者である叔父の影響もあって、基礎研究もやってみたいと思っていました。自分の適性はどちらの診療科だろう……。そう考えていたときに、今の私のキャリアを決定づける恩師と出会います。大阪大学産婦人科の木村正先生です。

木村先生は、一流の臨床の腕を持つ産婦人科医でありながら、有名な科学雑誌「Nature」にも論文が掲載された実績のある基礎研究者でもありました。

「私が目指したいのはこういう医師だ!」

そうして私は、木村先生の率いる大阪大学産婦人科に飛び込みました。

そんな木村先生に教わり、今となっても忘れずに大切にしている言葉があります。

「手術と話術が噛み合わさってこそ、本当の医術を施したといえる」という言葉です。

的確で患者さんの体を第一に考えた手術と、患者さんにきちんと状況を説明し、理解・納得してもらうため、そして安心してもらうための話術。どちらかでも欠けたらそれは本当の医療ではないと木村先生は事あるごとにおっしゃっていました。そして、「君はもっと話術を磨きなさい」と、落語家・桂枝雀さんのCDを貸してくださいました。

しかし当時を振り返ると、私もまだ青かった部分があったのでしょう。「僕はそんなもの、聞きません」とそのCDを受け取りませんでした(実は、私は桂枝雀さんの弟弟子(おとうとでし)である桂吉朝さんのファンで、桂枝雀さんの落語はあまり好みではなかっただけなのですが)。

木村先生の目には私は生意気な教え子にみえたでしょうが、それでも私にいろいろなことを教えてくれました。

「手術と話術が噛み合わさってこそ、本当の医術を施したといえる」

この言葉は、自身が指導する立場になった今でも、後進に伝えています。

「想定外」が想定できなかった

日本における妊産婦死亡率は、わずか0.003%。分娩数10万件につきわずか3件という極めて低い頻度です。医療の発展した日本において、大抵の妊婦さんは出産で亡くなることはありません。

出産の現場に立ち会うようになってから、もちろん妊娠高血圧症候群や前置胎盤などハイリスクの妊婦さんを担当することもありました。危険な局面に立ち会うこともありました。それでもできるだけ早くリスクを察知し、対処することで何とか命を救ってきました。そんなとき、頭をガツンと殴られるような症例に出会います。

専攻医で外来を担当していたある日、高血圧の妊婦さんがやってきました。「軽症妊娠高血圧」という、比較的ありふれた状況でしたが、本人が頭痛を訴えるため念には念を入れ入院してもらい、血圧の推移を見ることにしました。

そんなに心配はないだろうと思っていた矢先、その患者さんは入院した日の晩、脳出血を発症してしまったのです。別の病院に搬送し、一命はとりとめたものの、まさかそこまで重篤な状況に陥るとは想定できていませんでした。そのとき、「今回は助かったものの、自分は最悪な状況を想定して本当に行動できていただろうか」と強く自問したものです。

さらにその数年後、私は当直していた病院に運び込まれてきた産後大量出血の患者さんを失います。あのとき、私は患者さんを助けるため救急室で万全の準備をして待機していたはずでした。しかしながら到着時にはすでに心停止。「絶対に患者さんを助けたい!」と必死になって治療を施し、手を尽くしたものの、力及びませんでした。

大抵のお産は滞りなく終わる。でも、最後まで何が起こるかわからない

その患者さんが亡くなってからは、毎晩のようにその患者さんに輸血ポンピングをしている夢をみました。今ではだいぶ少なくなりましたが、それでもたまに同じ夢をみます。この出来事は本当に衝撃的で、自身の無力さを痛感しました。産婦人科医として経験を積むにつれ、私は「いくらリスクが高くても、妊婦さんが死ぬことはないだろう」とどこかでタカをくくるようになっていたのかもしれません。

救急受け入れの連絡がきたとき「心停止が起きるかもしれないな」という予想まではできていました。しかし、まさか亡くなるとは思っていなかったのです。そこまで思い至らなかった自分が浅はかで、悔やんでも悔やみきれません。

「赤ちゃんが無事に産まれても、お産は最後まで何が起こるかわからない。あらゆる事態を想定して、何が起きても判断を誤らないように準備できるようにならなければ、本当の産婦人科医にはなれない」

私は一人の患者さんの死から、医師として当然の、そしてとても大切なことを学んだのでした。

「もう二度とお産で誰も死なせたくない」

そうした強い思いを持って、日々のシミュレーションを欠かしません。たとえば、全国でもわずか6例しかない死戦期帝王切開(母体保護のために、心停止した妊婦を蘇生しながら帝王切開で胎児を取り出すこと)のシミュレーションを、年に何度も行います。そして分析をして、本当にこの対応でよかったのかをチームで話し合います。

このシミュレーションが生かされる確率は相当低いかもしれません。しかし、妊産婦死亡は医療が発達した今でさえもゼロではなく、いつかは誰かがこの確率にあたります。だからそうした局面に遭遇したときでも納得のいく治療ができるように、何度でもシミュレーションをするのです。

お産はいつでも幸福にあふれたものであってほしいし、妊婦さんには安心して赤ちゃんを産んでほしいから―。大量出血で亡くなったあの患者さんと同じ目に、もう誰も遭わせたくないのです。

産婦人科医は、次世代へ命をつなぐ介添人

私をモデルとした漫画が世の中に出て、ドラマ化されたことで「一流の産婦人科医」としてメディアに取り上げられることも増えてきました。でも私はこれまで自分のことを一流の産婦人科医だと思ったことは一度もありません。常に最善を尽くしてきましたが、自身の診療がどこか的から外れている気がすることもあります。だからチームを組んで、とことん話し合って答えを模索します。私は凡人ですから、何十倍も努力をしないといざというときに対処できません。

ネガティブだといわれるかもしれないですが、私は常に悪い方向に考え、どうすべきかシミュレーションしています。どんなことがあってもお母さんと赤ちゃんを救いたい。ただその一心です。

お産の多くは、滞りなく終わるものです。お産が順調に済み、その後の1か月検診でお母さんと赤ちゃんの笑顔がみられるケースでは、私たち産婦人科医の出る幕はほとんどないかもしれません。その一方で、無事に帝王切開で赤ちゃんを産み、母子ともに元気そうだったにもかかわらず、数日後、突然亡くなってしまうこともあります。

産婦人科医は、普段は見守りながらも妊娠・出産がうまくいかないときに介入して、お母さんと赤ちゃんが健やかでいられるようにサポートすることが仕事だと思います。次の世代へ命をつなぐ介添人とでもいうのでしょうか。

今までの人生で約4000件のお産に立ち会っていますが、いまだに赤ちゃんを取り上げるときは感動します。赤ちゃんの元気な産声を聞くと、いろいろな苦労がすべて吹っ飛んでしまうのです。

これからも、妊婦さんには「案ずるよりは産むがやすし」と声をかけながら、自身はとことん案ずることで最後にはお母さんと赤ちゃんが健やかでいられるよう、最善を尽くしていきたいと思います。

 

医師のストーリー 医師には医師のドラマがある

ストーリー一覧