医学は研究によって進歩する

「医学は研究によって進歩する」

臨床と研究に人生を費やし、多くの血液内科医誕生を願う高折晃史先生のストーリー

京都大学大学院医学研究科 血液・腫瘍内科 教授

高折 晃史 先生

最初は循環器内科を希望

医学生のころ、血液内科医ではなく、循環器内科医になることを希望していました。京都大学を卒業後、初期研修を静岡の病院で行い、内科のさまざまな科をローテーションしました。そして、血液内科で学んでいる期間のことです。私はある患者さんに巡りあったのです。その患者さんの病気はすでに治療が困難なところまで進行してしまっており、その病院の医師も手を尽くし治療を行ったのですが、残念ながら、その患者さんは亡くなってしまいます。

しかし、私はその患者さんのご家族から多くの感謝の言葉をいただき、「先生!是非、血液内科の専門医になってください!」といってもらいました。私はこの言葉に大きく心を揺さぶられ、そのまま血液内科医を目指すことになったのです。

骨髄バンク創始者との出会い

研修医1年目に京大病院で最初に担当した患者さんは、2人の女性でした。1人は中学生の女性。そして、もう1人は、後に骨髄バンクの創始者となる大谷貴子さんでした。2人は共に慢性骨髄性白血病を患っていました。

慢性骨髄性白血病は当時難治性の病気です。現在(2017年10年)では、薬により命を救うことが可能になりましたが、当時は薬が開発されておらず、初期の段階で骨髄移植を実施しなければ命は助からない疾患だったのです。おまけに、骨髄移植のドナーは血縁者に限られていました。大谷さんは無事にご家族から移植を受けることができたのですが、中学生の患者さんは、ご家族とHLA*が一致しなかったため、骨髄移植ができず、残念ながら亡くなってしまったのです。

*HLA…ヒト白血球抗原といわれる、白血球の型

大谷さんは、彼女の死に大変なショックを受け、その後、家族以外からでもHLAの一致するドナーさんを見つけられるように、一念発起して骨髄バンクを設立します。大谷さんとは現在も交流があり、仲良くしています。

このように血液内科は、どれだけ治療に手を尽くしても、一定の患者さんは亡くなってしまう、そんな科です。そういった厳しい環境ですが、スタッフが一丸となって患者さんを救おうとする、そして、患者さんも自らの命のため懸命に頑張る。そんな現場で働けること自体が、私が血液内科の医師として働くひとつの活力です。

医学の進歩を目の当たりにし、研究の重要性を感じる

私の親は開業医だったので、自然と臨床医として働く未来を思い描いていました。しかし実際には臨床もやり、研究もするという人生を送っています。研究を続ける道を選択したきっかけは、海外留学しているとき、研究による医学の進歩を目の当たりにしたことです。

1995年、日本以外の国でも勉強をしてみたいと、米国UCSFグラッドストーン研究所に留学したのですが、そこで多くの刺激を受けます。研究者全員が自分の意見をはっきりと主張しデスカッションしたり、独特の感性を持っていたり。しかし、そのなかでも最も刺激的だった出来事はHIVの治療薬の発見でした。

当時、HIVの治療方法は確立されておらず、不治の病とされていました。研究所に隣接するサンフランシスコジェネラルホスピタルでも、多くのHIV患者さんが亡くなっています。研究所の研究者たちは、HIVの患者さんを救おうと、基礎研究・臨床研究に力を入れていました。そして、私が留学して1年が経った1996年のことです。HIVの進行をある程度コントロールできる薬が開発され、学会で発表されたのです。

それは研究者たちの勝利宣言ともいえる光景でした。

「医学は研究によって進歩する」

そのことを私が肌身をもって知った瞬間で、その光景は今でもはっきりと覚えています。その成果に影響された私は研究に力を入れようになり、臨床に役立つ研究はないかと常に考えながら、現在でも研究を続けているのです。

「自分の道は自分で切り開く」という教育方針 

私は現在、京都大学大学院医学研究科血液・腫瘍内科学教室の教授という立場にあり、教室員のマネジメントは重要な仕事のひとつです。しかし、教室員の進む道を私が決めることはありません。

自分自身で考え自主的に行動することが、京都大学の校風です。また、京都大学大学院医学研究科血液・腫瘍内科学教室の私の前任教授である内山卓先生も部下たちがやることに滅多に口を出さない教授でした。彼のもとで働いていたので、私も常に自分の道は自分で決め、すべて自己責任で歩いてきました。そのせいで苦しい思いをしたこともありますが、自由に行動させてもらえたことはすべて私の財産になっています。そういう意味でも内山卓先生にはとても感謝しています。

自分が教授となった今、やはり自分の教室員たちには、自分の道は自分で切り開くという姿勢でいてほしいと考えています。一人ひとりが自分自身にあったキャリアを見つけ、自分の力で歩んでいく姿を見守ることが、京都大学の校風にもとづいた私の若手医師育成の方針でもあります。

少しでも多くの血液内科医を輩出することが今後の目標

現在、血液内科医が全国的に不足している状況があります。特に地方では、血液内科の専門医が数名しか存在しないという県もあります。そのような地域にお住まいの患者さんは、電車を乗り継ぎ、血液内科の専門医が在籍する県内、さらには県外の大きな病院まで通院する必要があります。血液の疾患は高齢者に発症する種類のものが多く、高齢の患者さんにとっては通院だけでひと苦労です。

血液内科医として、このような状況を看過するわけにはいきません。私は、この教室でひとりでも多くの血液内科医を育て、全国の病院に送りたいと考えています。そのためには、私自身が素晴らしい研究と臨床を行い、教室を魅力的な場所にしなければいけません。

そして、私の教室の門を叩いてくれた若手医師たちを立派な血液内科医に成長させる。そんな目標を実現するため、今後も頑張り続けようと思っています。

 

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