人はいずれ死ぬ。問題は、その死をどう捉えるか

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人はいずれ死ぬ。問題は、その死をどう捉えるか

死が近づく患者さんに最期まで寄り添う明智龍男先生のストーリー

名古屋市立大学病院 ・こころの医療センターセンター長、名古屋市立大学病院 ・緩和ケアセンターセンター長、名古屋市立大学病院 副病院長、名古屋市立大学大学院学研究科 精神・認知・行動医学分野 教授
明智 龍男 先生

2.5人称の医療の先にみえた「ありがとう」

「先生、今までありがとうございました」

もう命が長くないと悟った患者さんやご家族からこの言葉をいただくたびに、私はふたつの相反する気持ちを抱きます。ひとつは感謝の言葉を素直に嬉しく思う気持ち、もうひとつは「もっと患者さんにできたことはなかっただろうか」という気持ち。

私は精神科のなかでも特にがん患者さんのこころのケア(精神腫瘍学、サイコオンコロジー)を専門としています。がんを克服して元気に過ごされる患者さんもいらっしゃいますが、一方で亡くなる方も多くみてきました。

一般の精神科医とは異なり、おそらく千人を超える患者さんの死を間近でみてきた私が大事にしていることがあります。それは、柳田邦夫さんが提唱された2.5人称の医療。医師としての客観性と家族としての温かさを併せ持つ医療です。

「この人がもし自分の家族だったら私はどうするだろうか」

冷静な3人称(医師)の立場から少し踏み込んで、2人称(患者さんの家族)の立場で患者さんに接するようにしてきました。

サイコオンコロジーをもっと学びたい

私は幼い頃から、人のこころに関心を持っていました。「人のこころについてもっと知りたい」という思いから精神科医になることを志し、広島大学医学部に入学。大学卒業後は日本医科大学附属病院高度救急救命センター、国立呉病院・中国地方がんセンター、広島市民病院で知識と経験を積みました。

総合病院の精神科で働いている時期には、通常の精神科の患者さんだけでなく、がん患者さんやご家族のこころのケアにあたることもありました。

しかし当時の日本はサイコオンコロジーが入ってきたばかりのころで、教科書的な診療の指針もない時代でした。もちろん私のサイコオンコロジーの知識は乏しく、日々の診療で苦慮することばかりでした。

もっと勉強しなければ、とサイコオンコロジーの重要性を痛感していた矢先のことです。当時の上司が国立がんセンターに赴任されることになり、上司についていくかたちで、私は国立がんセンターに勤務することとなったのです。

何もできない―無力感と闘う日々

国立がんセンターに赴任してからは、ショックを受ける毎日でした。家族を二人もがんで亡くし、自らも末期がんに冒されてしまった患者さん。妻が植物状態になり、一人娘を懸命に育てているなかで自身もがんを患った男性。子どもをがんで亡くす苦悩を受け入れることができない母親と父親。自死をする患者さん。

「これはフィクションであってほしい」と願うくらいの残酷な状況に置かれながら、がんと必死に闘う患者さんに出会うのは珍しいことではありませんでした。

10 代の子どもからお年寄りまで、毎日多くの方が亡くなる現状。もう助からないことがわかって、緩和ケアに移行した患者さんの「つらい、早く死にたい」という悲痛な叫び。この現実を目の当たりにした私は為す術もなく、ただただ自分の無力さにさいなまれていました。

私は死にゆく患者さんの命を救うことはできません。けれども、精神科医・精神腫瘍医として彼らのこころを少しだけ救うことはできるかもしれない。では、どうしたらこころを救うことができるのだろう?

まず、終末期の患者さんがどうして死にたいと思うのか。その理由を探るため、臨床のかたわら研究に励みました。その結果、患者さんは痛みなどの身体的な症状から逃げ出したいから死にたいだけではなく、病気のせいで家族との関係にすきま風が吹いていること。また、その落ち込みや不安によって、希死念慮が生じることがわかりました。もちろん、それに患者さんの身体の状態、人柄、周囲の状況など個別的な要素が一人ひとり異なる形で関与してきます。

つまり、患者さんの苦痛の原因は、複雑に絡み合っていたのです。

それなら、私はその絡まった苦痛の糸をひとつずつほどいていこう。そう思い、自らにいくつかのルールを課しました。

  • まずは徹底的に本人と信頼関係を築く。そのうえで、自身は、患者さんの経験している苦痛を、患者さんになり代わって経験できるわけでもなく、真の意味で患者さんの苦痛を理解することはできないことを伝えたうえで、苦痛を理解するための努力はできる、そしてそのための対話を重ねることを続ける。
  • がんの主治医と相談して患者さんの希望に沿う形で痛みなどの身体のつらい症状を和らげてもらう
  • つらい思いを抱えている家族のサポートもする。

このようにあらゆる手を使い、患者さんの苦痛を和らげることに腐心しました。

いつの頃からでしょうか。最初はよく「精神科医に何ができる。私の苦しさなんてわからないくせに」と言われていたのですが、面談や診察を拒否されることが少なくなってきました。そして多くの患者さんが、だんだんとこころを開いてくれるようになったように感じられました。

ある日のことです。患者さんが亡くなる直前、「先生に診てもらえてよかった」と言ってくれました。医者冥利に尽きるとはこういうことなのかもしれません。たぶん、私は患者さんに救われたのです。

人の気持ちはわからないのがあたりまえ

日々の診療の中では、「あなたたちに自分の気持ちなんてわからない」と私たち精神科医を避ける患者さんもいますし、なかなか自分のことを話したがらない患者さんもいます。

しかし、それは当然のことで、人の気持ちを完全に理解することは不可能ですし、結局のところ、患者さんの辛さを代わってあげることもできないのです。

「人の気持ちはわからないのがあたりまえ。それでもこの人にできることを尽くしたい」

そう思い、患者さんに接するように心がけています。

たとえば、呼ばれたら直接患者さんのところに行って話を聴く。「聞く」のではなく「聴く」のです。情報を受け取ることが「聞く」ということですが、大切なのは、表情や声の調子、背景にある感情も含めて耳を傾け「聴く」ということです。ですから、病気のことについて話したくない様子を感じれば、睡眠や体調といった表面的なことに留める。場合によっては、患者さんに侵襲的になりえるこころの奥底に触れないことをそれとなく保証することもあります。常に患者さんのペースに合わせて、患者さんに寄り添う。

ですから、立ってあいさつするのか座ってあいさつするのか、診察室のドアを開けてあげるか開けられるまで待つか、といった細かい部分まで配慮しています。その積み重ねを経て患者さんが「この人は自分を大切に思ってくれている、理解しようとしてくれる。信頼できる」と思ってくれたら、そこからやっと本当の診療がスタートするのです。

精神科医・精神腫瘍医として、患者さんに最期まで寄り添うことを信条に

死が近づいている患者さんを多くみていると、つらい気持ちになることもあります。それでもこの仕事を続けられているのは、尽きることのない人のこころへの興味と、人生を全うしようとする患者さんを支えていきたいという気持ちと同時に「自分がそういった患者さんに支えられている」という思いがあるからでしょうか。

人の死に出会うことは確かに辛いことです。しかし、人はみんないつか死にます。みんな死んでしまうのなら、その死をどう捉えるのか。死について考え尽くすことが大切だと、多くの亡くなった患者さんに教えてもらいました。

私はこれからも、患者さんに寄り添うことを信条に、精神科医・精神腫瘍医として患者さんとともに最後まで歩み続けていきたいと思います。

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