平成の宿題を終えていない今、取り組むべき課題

「平成の宿題を終えていない今、取り組むべき課題」

HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の歴史とともに語る平沢先生のストーリー

岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 病態制御科学専攻 腫瘍制御学講座 (臨床遺伝子医療学分野) 教授

平沢 晃 先生

医師になりたかったきっかけ

私が医師になることを志したのは高校生のときです。長期間入院していた中学の同級生のお見舞いのため病院に通っているうちに、医療の現場で働きたいと思うようになりました。

産婦人科の医師になった理由は、幅広くどんなことにも関わりたかったからかもしれません。

2018年6月、岡山大学に赴任し、9月に診療科を立ちあげました。私が果たすべき役割は3つあります。それは、がんゲノム医療、遺伝医療、バイオバンクの実践でした。これらは産婦人科時代から取り組んでいたことですので、臨床遺伝子医療学の分野に進んだことは、新しい世界というよりも、これまでに取り組んできたことを発展させることができたような気持ちです。

婦人科から遺伝医療へ

遺伝医療の分野において、私の印象に残っている方は、前任地で担当したBRCA病的バリアント保持者の方です。

BRCA1またはBRCA2という遺伝子の病的バリアント(病的変異)を生まれもった方をHBOCといいます。がんを発症する前にHBOCであることが分かった場合、将来的にがんを発症するリスクがあるとして、リスク低減卵管卵巣摘出術(risk reducing salpingo-oophorectomy:RRSO、以下「RRSO」)を実施することが推奨されています。これは、卵巣がん・卵管がんのリスク低減のために両側の卵巣卵管を切除する術式のことです。

そのBRCA病的バリアント保持者の方は、血縁の方たちが卵巣がんや腹膜がんで苦しむ様子を間近に見ていらっしゃって、ご自身も同じようにがんを発症するかもしれないという、大きな不安を抱えていたことと思います。

しかし、かつて私が在籍していた病院の倫理委員会は、当初、がんを発症していない方に対して手術を行うという考え方を受け入れにくい状況にありました。しかし、1人の倫理委員会の委員が、「これは非常に危険な状況です。医療介入を考えるべきだ。RRSOのメリットとデメリットを徹底的に洗い出して、もう一度考えよう」と言ってくれました。そして、倫理委員会において3回の審査を経て、ようやく承認されました。このときの倫理委員会は、人間の生と死を突き詰めて考えた、本当の意味での「倫理委員会」であったと、今でも感謝しています。

また、当時の所属長である教授が、「RRSOの責任は自分がもつ」と言ってくれたのも、大きな心の支えでした。このような倫理委員会と所属長のおかげで、日本で最初のRRSOを行う機会に立ち会うことができました。

しかし、本当の貢献者はこちらの当事者の方です。RRSOの実施が決定するまで、一日でも早くRRSOをしたいという気持ちを抑えて待っていてくださいました。この行動が、今の遺伝医療の大きな一歩になったと感謝しています。

「先生には相談できなかった」という一言に悔やんだ経験

RRSOは、当事者の意思決定によって行う手術です。私が岡山大学に異動する直前、10年前にRRSOを行った方から、遺伝カウンセリングの際に「RRSOを受けるとき、先生には相談できなかったけど、同意書にサインをした」という衝撃の一言がありました。その方は、卵巣がんは怖いけれど、同じように更年期障害やセクシャルアクティビティ(性活動)についての不安も拭いきれないまま、同意書にサインをしたということでした。「私は一体何をやっていたんだろう」と反省しました。

HBOCの遺伝医療に関わる人も、女性医学的課題、更年期障害やセクシャルアクティビティなどの本質的な話を語ることができなければ、患者さんに安心して先制医療を受けていただくことはできません。そのことを理解してこそ、がんのリスクを低減することができるのです。

岡山大学病院では毎月、HBOCの当事者会(クラヴィスアルクス中央西日本支部)を開催しています。臨床遺伝子診療科のスタッフは、当事者会の活動に協力するとともに、同じ目線に立つことで多くのことを学ぶよう努めています。これらの活動には、病院の事務部門や、医学部の学生も協力してくれています。

ゲノム医療の実用化の代表例、HBOCの歴史─診断・予防・治療の確立

クラヴィスアルクス中央⻄日本支部のメンバーと岡山大学病院 臨床遺伝子診療科、産科婦人科、ゲノム医療総合推進センタースタッフで。(撮影:岡山大学鹿田写真部の医学部生)

平成の宿題を終えていない今、取り組むべき課題

今年(2019年)、三木義男博士(現東京医科歯科大学教授)がBRCA1遺伝子を同定してから25年が経ちますが、まだ解決できていない課題が残っています。たとえば、公的健康保険です。がんを発症した患者さんの場合、一部の検査は保険診療で受けられますが、それ以外の場合は保険未収載です(2019年11月時点)。そのほか、海外のような遺伝情報差別禁止法の整備がなされていないのみならず、家庭教育、学校教育、社会人啓発なども重要です。平成時代に終えることのできなかった宿題はいくつもあると思います。

私は、定年を迎える約15年後までに、医療圏内のBRCA1/2病的バリアント保持者に声を届けて、50年後の中央西日本医療圏におけるHBOCによるがん死をゼロに近づけたいと考えています。繰り返し市民公開講座を開催したり、当事者会活動のサポートを行ったりすることで、がんと遺伝について、お茶の間や居酒屋で「がんのリスクがある家系だから早めに検査しよう」と話せるような社会を作るのが理想です。

HBOCは、診断・予防・治療が可能であることから、遺伝性のがんの代表的な存在といえます。まずはHBOCに関する課題を乗り越えることで、ほかの遺伝性腫瘍についても同じように丁寧に、医療圏での啓発活動に努めていきたいと思っています。

平沢 晃 先生の疾患記事

医師のストーリー 医師には医師のドラマがある

ストーリー一覧