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家族の病気が人生を変えた

DOCTOR’S
STORIES

家族の病気が人生を変えた

呼吸器内科医としてがん診療にも力を注ぐ坂下 博之先生のストーリー

横須賀共済病院 化学療法科 部長/呼吸器内科 医長、東京医科歯科大学 呼吸器内科/非常勤講師
坂下 博之 先生

“医師だらけ”の環境で育った

私にとって、幼い頃から医師は身近な存在でした。父が消化器内科の医師だったことに加えて、病院の医師住宅に暮らしていたため、幼い頃から身近に医師がたくさんいる環境で育ちました。たとえば父が所属する病院の野球大会やキャンプについていくと、医療者だらけでした。そんな環境に身を置いていたことが影響したのでしょう。自然と医師を目指すようになりました。

ですが、実は科学者にも憧れたことがあります。子どもの頃は漠然と“不老不死の薬を作りたい”と夢見ていました。“不老不死の薬を作るのなら科学者だ”と思いながらも、最終的には幼い頃から身近な存在であった医師を目指すことにしたのです。

謎解きのような面白さに惹かれて

医学部に進んだ当初は、将来は血液内科に進みたいと考えていました。外科医に頼らず内科医だけで治せる分野だと思ったからです。さらに、子どもの頃人気のあった、主人公が白血病で亡くなるドラマの影響も少なからず受けていました。

しかし、その後は、研修先の救急病院で消化器系の処置を目のあたりにすることが多かったことから消化器内科を志したり、膠原病を専門とする教授から誘われて膠原病内科に()かれたりして、なかなか定まりませんでした。最終的に専門とする診療科を決定する期限が1週間前に迫った頃のこと。呼吸器内科の先生に熱心に誘っていただいたことがきっかけとなり、呼吸器内科へ進むことを決めたのです。

迷いながらも呼吸器内科に決めたのは、呼吸器疾患の多様性に魅力を感じたからでした。呼吸器疾患には、感染症やアレルギー、腫瘍など、さまざまな種類の病気があります。多様な病気を扱う呼吸器内科医には、やりがいがあるように思えました。さらに、呼吸器疾患の診断の難しさも謎解きのような面白さがあるように感じられ、当時の私にとっては魅力的に見えたのです。

呼吸器内科医としての喜び

当然のことですが、実際に呼吸器内科医になると、面白いことばかりではなく難しく大変な面も多くありました。近年では、呼吸器腫瘍の治療が進歩したために長生きされる方も増えています。ですが、私が医師になったばかりの頃は、たとえば進行肺がんの患者さんに対して「よくなりましたね」と声をかけられるような機会はなかなかありませんでした。患者さんが半年~1年でお亡くなりになるために、肺がんの患者さんで長い付き合いの患者さんはいなかったのです。

それでも、最近では数少ない患者さんではありますが、さまざまな種類の抗がん剤を用いながら治療を続け、余命が1〜2年と予測された状態から10年以上生きられた方もいらっしゃいました。このように、治療の結果、当初想定した期間よりも患者さんが長生きしてくださり、付き合いを続けられるのは非常にうれしいことです。

また、指導を担当した研修医から手紙をもらったこともよく覚えています。自分の知識や経験を伝えようと、とにかく一生懸命に指導しました。このような姿勢が伝わったのか感謝の手紙をもらったことも、医師としてうれしい瞬間の1つです。

転機となった妻の病気

私には、絶対的に“これが人生の転機だった”と言い切れる出来事があります。それは、留学中に経験した妻の病気です。

呼吸器内科医としていくつかの病院で経験を積んだ後、アメリカにあるフィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学に留学し、主にがん免疫の研究に従事していました。そして、1年と少しがたったとき、妻が背中の痛みを訴えたのです。最初はただの筋肉痛とたかをくくっていたのですが症状は持続増悪し、検査の結果、胸椎(きょうつい)に腫瘍が発見されました。当初は良性腫瘍の診断を受けていたため現地で手術治療を受けることを検討していたのですが、その後転移性腫瘍の可能性が高いということで、主治医からは「根治的治療は難しい」と告げられました。当時30代だった妻にそこまでの重篤な病気が隠れているとは思いもしませんでした。

治療のために急遽日本に帰国し、症状も増悪していたことから、空港からそのまま民間の救急車を用いて東京の病院へと向かいました。明確な診断は日本でも得ることができませんでしたが、転移性骨腫瘍ではなく原発巣(がんが最初に発生した臓器の病変)のない転移性腫瘍、つまり原発不明の腫瘍、あるいは脊索腫という極めてまれな原発性の骨腫瘍の可能性があるのではということになりました。

根治的手術療法の可能性を探り、ある治療を受けるため金沢大学医学部附属病院に転院することにしたのです。その治療とは、金沢大学の整形外科で当時先進医療として行われていた腫瘍脊椎骨全摘術と呼ばれる手術でした。腫瘍脊椎骨全摘術とは、腫瘍を脊椎骨ごとまるごと摘出し、代わりにチタンと呼ばれる金属製の筒を挿入する手術です。妻の背中の腫瘍は、なんとかその手術によって無事に取り切ることができました。しかし、術後の回復は緩やかで、特に術後1~2か月は横になったきりという生活を送りました。

導かれたがん診療への道

術後、私たち夫婦は妻の実家のある大分県で暮らすことにしました。妻がリハビリに励む傍ら、私は、新たにがん研究・診療の道へと踏み出すことになりました。スタートしたばかりだった留学先での研究は途中でやめることにはなりましたが、当時、大分県の別府市にあった九州大学の生体防御医学研究所でがんの研究に従事する機会を得たのです。

その後はがん診療に関わるため、大分大学医学部附属病院の腫瘍内科に移り、腫瘍一般の診療に関わった後、出身大学である東京医科歯科大学から、文部科学省のがんプロフェッショナル養成基盤推進プランに関わるポストの打診を受けました。妻の病状が少し落ち着いていたこともあり、これをきっかけに、東京へ戻ることにしました。

東京医科歯科大学附属病院の呼吸器内科で診療に従事し、5年がたったときのこと。東京医科歯科大学に臨床腫瘍学分野という新しい講座が作られることになりました。結婚式の仲人もしてくださった恩師である教授からの打診を受け、臨床腫瘍学分野に移り主に胸部腫瘍を中心とした診療に従事しました。その後、時代の流れからがんゲノム診療科が創設され、“がんゲノム診療”の立ち上げにも関わりました。現在は横須賀共済病院で、呼吸器内科医長とともに、化学療法科の部長を務めており、現在がんゲノム医療の立ち上げをすすめています(2020年7月時点)。

妻の病気を経て得た“患者としての視点”

実は、妻の病気の治療は、金沢大学附属病院で受けた手術で終わりではありませんでした。手術の1年後にPET-CT検査を受けたところ、再発が見つかったのです。そして、再発時には「手術はできない」と告げられました。

またしても治療法を模索し、さまざまな病院に問い合わせ、重粒子線治療と化学療法を受けることにしました。その後、2度目の再発が起こりながらも再度重粒子線治療などによって、現在は奇跡的に転移もなく過ごせています。

私は、妻の病気の治療を通して、治療選択の難しさを身をもって実感しました。たとえば、標準治療はあるが個別化治療も考慮しうる状況でどうするか、先進医療などの選択肢では費用負担や特別な副作用や合併症などのリスクも覚悟する必要がある場合もあります。

これらの経験を通じて、医師として患者さんの治療を検討するときには“自分が患者さんだったらどうするか”という視点を、より意識するようになりました。

3つの目標を胸に

今、私には3つの目標があります。1つ目は個人の目標である私自身の体力づくりです。患者さんに対しては、75歳以上の高齢でも全身状態に問題がなければ治療をご提案するようにしています。では自分はどうかと考えたときに“75歳になったときに標準治療を受けられるだけの体力が残っているのだろうか”と少し不安に感じています。今から体力づくりに努め、高齢になったときにフレイル(心身が弱くなってきた状態)にならないようにしたいと思っています。

2つ目は、病院での目標であるがんゲノム医療の充実です。現在私が所属する横須賀共済病院は、がんゲノム医療連携病院に指定されています(2020年7月時点)。肺がんの患者さんに限ってお話しすると、LC-SCRUM-Asia (肺がんの患者さんを対象とした産学連携がんゲノムスクリーニングプロジェクト)などにも参加して、すでにさまざまな遺伝子検査を研究として受けることができるシステムが構築されています(2020年7月)。また、あらゆる固形がんに対して保険診療によるがんゲノム遺伝子パネル検査ができるように準備をすすめています。これらのシステムがきちんと稼働して治療につなげることができればと期待しています。

3つ目は、社会に対しての目標である医療政策への関与です。これまでに各種セミナーに参加するなど、自主的に医療政策について学んできました。もともと医療政策について関心を持っていましたが、妻の病気の経験を通して、さらに興味を持つようになりました。それは、“がん難民をなくす”という立場の医療従事者でありながら、自分たちががん難民化してしまったという経験を持つからです。また、昨今は高額な薬剤が次々と出てきて、いろいろと考えさせられることもあります。微々たる影響力ではあるかもしれませんが、医療制度や医療政策について学ぶことで、この分野でもこれから役に立てることがあればと考えています。

“最高の医療を提供したい”

大変なことも多いなかで医師を続けている原動力は、知識欲だと思います。さらには、常にいろいろな知識を取り入れて自分が病気になった際に受けたいと思えるような“最高の医療“を提供したいという願いがあります。また、妻の病気を経験したことで、がん診療へのさらなる貢献も目指しています。

一言で“最高の医療”と言っても、自分にとって最高だと思うことが、必ずしも患者さんにとって最高とは限らない部分もあります。幼い頃に“不老不死の薬を作りたい”と思っていた私の根底には“できるだけ長生きしたい”という価値観があります。だからといって「体に負担のかかる治療を続けたくない」と希望する患者さんを無理に治療することはできません。また、現実的には社会的な制約もいろいろとあります。

あくまで患者さんの価値観に寄り添いながら、できる限りの治療を考えて一緒に取り組んでいく。今後もこのような姿勢を大切にしていきたいと思っています。

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