少子高齢化社会の到来、医療技術の目まぐるしい進歩など、医療費を押し上げている原因は多々あります。しかし、これらの中には抑制できない質のものも含まれます。そのため、日本では今、病床数の削減や在院日数の短縮などがしきりに行われています。しかし、現行の政策の中には、かえって医療費を増大させてしまっているものもあると、慶応義塾大学総合政策学部教授の印南一路先生はおっしゃいます。国民皆保険制度を維持しつつ医療費を適正化するために、印南先生が提案する柔軟性に富んだ方策について、お話しいただきました。
まず、「医療費の適正化」とは、医療費を「削減」することではありません。また、医療費の「絶対額」を抑制することでもありません。これが、本記事をお読みいただくにあたり、押さえていただきたい大前提となります。
私が考える医療費の適正化とは、「伸び率を抑制(コントロール)すること」です。
現在、経済と医療費の関係は管理されておらず、結果として、がん治療の新薬「ニボルマブ(遺伝子組換え)」(免疫チェックポイント阻害剤)は、あっという間に年間の国民医療費に占める薬剤費の割合を跳ね上げてしまいました。今後、このような高額医薬品が登場し続けると、医療費の伸び率は際限なく上昇してしまいます。ですから、医療費適正化に関する問題の本質は、伸び率のコントロールができていないことであると考えます。
以下に掲げるのは、私が作成した「医療費適正化の時代区分」です。右上方へと伸びるギザギザとした線は、国民所得に対する国民医療費の比率を表しています。
(資料提供:印南一路先生)
国民所得とは、GDP(国内総生産)と同じように、経済成長と連動します。ですから、国の経済と医療費が同じ比率を保つように伸びていけば、この線は真っ直ぐ横方向へと伸びるはずです。しかし、図を見てもわかる通り、医療費の対国民所得比は1960年代頃から常に上昇しつづけています。そのなかでも、著しく急増している時期が3回あります。点線で囲った部分をご覧ください。
1度目は1973年に老人医療費無料化が始まり、医療費が急増した時代です。その後、1981年の第2次臨調での答申を契機に、医療費適正化が始まり、様々な施策が講じられ、さらにバブル景気も到来した結果、比率は横ばいになりました。ところが、1991年にバブル経済が崩壊し、経済成長が止まってしまったことで再び比率は急上昇します。
2度目の医療費急増に歯止めをかけることとなる転機は、2001年に訪れます。この年の1月、経済財政諮問会議が設置され、同年に始まった小泉内閣により強力な医療費適正化政策がとられました。この抑制政策を背景とし、いわゆる医療崩壊が起こり、2008年度からは、現在にも続く医学部定員増の政策が始まりました。ところが、2009年のリーマンショックにより再び経済成長が止まり、医療費のみが伸び続けるという3回目の急増期が訪れます。こういった一連の流れをみると、「伸び率のコントロールができていない」という主張にも納得していただけるでしょう。
現在も伸び率の急増は続いており、これに伴い財政赤字は拡大しています。記事1で財政破綻の原因は後にならないとわからないと述べましたが、仮に国民皆保険制度が崩壊したとして、その原因が現在の伸び率を放置したことにあるとわかるのは後になってからです。ですから私は、このような事態にならないよう、国民皆保険制度を維持できている今、伸び率をコントロールするための施策を講じるべきであると訴えるのです。
医療費が爆発的に伸びてしまったとき、あるいはその反動で非常に厳しい抑制政策が出てきたとき、どのようなときでも「医療」は「真に守るべきもの」は守らねばなりません。そのためになされるべき議論は、公的な医療がすべきことの優先順位付けです。保険診療の対象となる公的な医療には、大きく2つの目的があります。
たとえば、C型肝炎の治療は(1)に分類されます。一方、年間約4000億円の医療費がかかっている柔道整復師のマッサージなどはどうでしょうか。これらの治療は苦痛を取り除くものであり、命を救うものではないため、(2)に分類されます。(2)の医療の自己負担額が増えるとすると、症状に悩み、治療を受けている患者さんは反対することでしょう。
しかし、「国民皆保険制度は維持すべきである」、「自己負担額が増えることに関しては反対である」といっていては、国の財政はパンクしてしまいます。拡大する一方であった医療費のパンクに備える意味でも、これまで欠如していた医療の中身をみる議論をすべきであると考えます。
(資料提供:印南一路先生)
上の図は、日本の医療費の現状を示しています。「国民皆保険バケツ」の中に「ニボルマブ(遺伝子組換え)」など、保険適用となった最新の医療技術が入っています。粒の大きさは、その医療技術にかかる医療費の大きさを示しており、近年の新薬や新技術は大きな粒ばかりとなっています。また、新たに国民皆保険バケツの中に入れるかもしれない赤い粒(ワクチン・先制的医療など)も大粒です。ところが、保険給付範囲から外された治療は、バケツの右下からこぼれている小さな点線ほどの大きさです。今の状態を放置していれば、このバケツから水が溢れてしまう日が来ることは、一目瞭然といえるでしょう。
私たちがすべきことは、国民皆保険バケツの中から、命を救う医療ではないものを外に出し、その代わりに命を救うためのワクチンなどを入れる、「組み換え」です。ここに、先述した優先順位の議論の必要性が関係してきます。
たとえば、湿布薬などは、命を救う医療ではありませんが、年間に1000億円ほどの医療費がかかっています。また、ビタミン剤やOTC医薬品、十分なエビデンスがない漢方薬も国民皆保険バケツに含まれているため、外したほうがよいでしょう。保険診療から外すという極端な方法をとらず、「給付率」を変えるという方法もあります。たとえば、同じ治療でも、入院で行う場合と外来で行う場合で給付率を変えるという考え方もあります。また、薬剤の種類により給付率を変えることもできるでしょう。後発医薬品がある場合に先発医薬品を使うときは、給付率を7割ではなく5割にするといった方法をとれば、後発医薬品の普及にも繋がる可能性もあります。保険外併用療養費制度を使うという手もあります。
なお、患者の自己負担が過大になるのではないかという懸念もあるかもしれません。しかし、高額療養費制度を現在よりもきめ細かくすれば、そのような不安もありません。
医療費の適正化に際し、過去には医療費の地域差に関する研究ばかりが行われていました。厚生労働省が掲げる「医療費適正化計画」でも、地域差の是正に重きが置かれています。
確かに、①病床数が多く、②医師数も多く、③平均在院日数も長い、と3セット揃っている県では一人当たりの医療費も高くなります。高知県などがこの典型例といえます。
しかしながら、本当に病床数の多い全ての都道府県の医療費が高くなっているのか、また、医療費が高い原因は病床数が多いことなのかというと、意外にもこれを根拠づける研究は行われていませんでした。
これまで行われてきた「クロス・セクション分析」(ある一時点での各地域のデータを分析すること)では、確かに病床数が増えると医療費が増えることがわかっていました。しかし、クロス・セクション分析では、病床数と医師数のどちらがより大きな医療費の増加要因となっているかどうかを確かめることができないという難点がありました。
そこで、クロス・セクション・データと、ある患者(同一の個人)の経年変化を追った時系列データを合わせた「パネル・データ分析」を行ったところ、医療費の地域差是正のためには、病床数よりも医師数削減を行ったほうが効果的であるということがわかったのです。この結果から、私は地域の医師数の格差是正をより重点的に行うべきであると考えます。
ただし、日本では2000年代に医師不足問題を解消するために、医学部定員を緩和したという歴史があります。しかし、この政策が始まってから10年経った今も、医師不足問題は解決していません。なぜなら、日本における医師不足問題の本質は、有資格者の絶対数ではなく、医師の地域偏在と診療科偏在にあるからです。
もう一つの大きな医師不足の原因であった「病院勤務医の不足」は、様々なインセンティブを与えることで解決し始めています。残る診療科と地域の偏在は、過去10年を見ても分かるように、医学部の定員を増やすことでは解決しません。そこで私が提案するのは、保険医の定員制というシステムを設けることです。
医師が不足している地域では自由に開業することができるとし、過剰な地域のみ定員制を導入すれば、医師不足といわれる地域の問題も解消できる可能性が高まりますし、医師同士の不要な競争も回避できます。保険医の定員制導入は、非現実的ではないアイデアのひとつであると考えます。
もちろん、病床数の削減も引き続き行う必要があります。しかし、その地域の一人当たりの医療費が高いことを理由に、民間病院に病床削減を実行してもらうことは、その病院の収入減の可能性を考えると難しいのではないでしょうか。また、自治体には病床削減命令を出す権限はなく、首長も市民にとってマイナスイメージを与える政策は、積極的にとりたがらないでしょう。
ですから、真に病床削減を実現するためには、何らかのインセンティブと権限を与える必要があります。
たとえば、病床数や医師数が多く医療費が高い地域については、保険料を国が補てんせず、その都道府県に負担させるという手段もあります。「保険料を上げないために病床を削減する」ということであれば、有権者も納得することでしょう。
政府はこれまで平均在院日数の短縮に注力してきました。しかしながら、平均在院日数の短縮が、その地域の医療費を増やす原因になっている例もあります。
たとえば、手術のために1週間入院される患者さんについて考えてみましょう。入院1日目、2日目は術前検査などで医療費が少しかかり、3日目の手術当日に金額(点数)は大きく跳ね上がります。その後はフォローやリハビリのための期間ですので、医療費は3日目のように大きくはかかりません。
ところが、これまで行われてきたのは、3日目以降の在院日数をカットして退院を早め、空いたベッドに別の患者さんを入れるというものでした。すると、最も金額(点数)が高くなる3日目の治療を受ける患者さんが増加し、月平均でみると医療費は必然的に高まるのです。
もちろん、平均在院日数の短縮にはメリットもあります。短い期間で病院での治療を終えるためには、集中的な検査や院内感染の予防などを徹底せねばならないため、結果として医療の質が上がります。
ですから、ここで問題にすべきは、医療費の増大に繋がるという認識を持たぬまま、平均在院日数の短縮を画一的な全国目標としてしまったことであるといえます。医療費適正化を図るという目的に重きを置くのであれば、種別や患者像に応じ、個別具体的に目標を設定したほうがよいと考えます。
ここまでに、医療費増大の一番の原因は医師数であり、次に病床数であると述べました。しかし、この2つはいずれも「非常に大きな原因」ではありません。ですから、何かひとつを行えば医療費を適正化できるといった「魔法の杖」は存在しないのです。医師数の削減のため保険医定員制の導入や医学部定員の削減も行うべきですし、並行して病床数の規制も継続する必要があります。さらに、個別的目標を設けたうえで、平均在院日数の短縮も行わねばなりません。これらは国が掲げる「医療費適正化計画」にも盛り込まれています。しかし、国の掲げた取り組みを実行するだけの現状には、もう限界が来ているのではないでしょうか。医療費適正化計画も実行したうえで、さらに「国民皆保険バケツの中身の組み換え」も行い、無駄を省いていく必要があります。
これらを行った上でも尚増えていく「高齢化」や「医療技術の進歩」による医療費は削減できる質のものではなく、この2つを医療費増大の最大の原因として議論にのせることは、あまり意味をなさないことなのではないかと考えます。
このほか、ややラディカルな案ですが、都道府県別に診療報酬を変えるというアイデアもあります。現在、診療報酬は1点につき10円ですが、これでは地域差を設けようとすると差分が大きくなりすぎてしまうため、まず1点=100円とします。
そのうえで、病床数や医師数が多い地域(高医療費県)は1点98円や97点などに設定すれば、ある意味では平等に「痛み分け」をすることができます。
もちろん、ここまでに記してきたアイデアの中には、これまでの歴史の上に成り立ってきた医療費の在り方を大きく変えるものも多く、反対意見を持たれる方もおられることと思います。しかし、まずは柔軟な頭で様々な方策を考え、反論を恐れず意見を出し合うことが重要です。そのうえで、国民の反応をみながらできるものを実行していくことが、破綻寸前ともいわれる現行の国民皆保険や医療財政を持続可能なものとするために必要であると考えます。
印南 一路先生の著作