臨床と研究、二足のわらじを履くことが医師としての喜び

DOCTOR’S
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臨床と研究、二足のわらじを履くことが医師としての喜び

患者さんの診療と研究、どちらも大切にしてきた中西 敏雄先生のストーリー

東京女子医科大学 循環器小児科・成人先天性心疾患科
中西 敏雄 先生

憧れの先生と同じ道へ。循環器小児科を志す

私が進むべき道を見つけたのは、医学生の頃です。

漠然と医師を目指し医学部へと進んだ私は、大学で学ぶうちに循環器小児科を志すようになりました。それは、日本の循環器小児科の第一人者である、高尾 篤良(たかお あつよし)先生の影響です。

当時の日本では、循環器小児科は非常に珍しい存在。専門とする医師も少ないなか、東京女子医科大学に循環器小児科が創設され、その教授に就任した方こそ、恩師でもある高尾先生でした。

先生が書かれた本に触発された私は、先生が教授を務める教室を志望します。

「自分も同じように循環器小児科の道に進みたい」

そんな強い思いとともに大学に見学にいった私に、先生は

「ぜひ循環器小児科にいらっしゃい」

と声をかけてくださいました。その言葉に後押しされ、初期研修を終えた私は、東京女子医科大学の循環器小児科へと進みます。

先生に追いつくことが一つの目標だった

念願叶い進んだ循環器小児科で、先生の診療を目の当たりにした私は「先生に追いつきたい」と思うようになります。

それは、先生が診断をしっかりとつけることができる医師だったからです。当時は、今では当たり前に使用されているエコーさえ満足にない時代。そんななか、診察や心電図、レントゲンなどを駆使し、的確に診断をつけられていました。

先生に追いつくことを一つの目標とし、患者さんの診療にあたる日々。しかし、2年も経たないうちに、私は一度、先生の元を離れることになります。高尾先生にアメリカに留学するよう指導を受けたのです。

「お前を過少評価していた」留学先で認められた瞬間

私は臨床(患者さんの診療)に取り組む傍ら、主に基礎研究に従事することを目的とし、アメリカにわたりました。留学先は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の循環器小児科です。

留学時代の仲間とともに(写真提供:中西 敏雄先生)

留学当初は、英語もままならないような状態。最初は、電話一つすることさえ苦労しました。そんな状態だったので、留学先の恩師であるJarmakany先生には、当初「大変なヤツがきた」と思われていたそうです。

しかし、あることがきっかけで、先生の評価は変わります。実際に、留学が終わった後に先生にお会いしたときには

「最初は、お前のことを過少評価していた」

というお言葉をいただきました。

留学先の恩師であるJarmakany先生と中西先生(写真提供:中西 敏雄先生)

先生の私への評価が変わるきっかけは、会話も成り立たないまま一緒に始めた研究でした。ともに研究に取り組むうちに「もっとよい研究方法があるのでは」と思うようになった私は、「研究の方法を変えるべきではないか」と先生に提案します。

しかし、意思疎通もままならない私のいうことなど聞いてもらえるわけもありません。結局、研究の方法を変えることなく、研究結果をまとめた論文は投稿されました。すると、その論文には、私とまったく同じ評価がくだされたのです。それが一つのきっかけとなり、先生は私を認めてくださるようになりました。見所があると思っていただけたのでしょう。

それからは「お前の好きなようにやれ」といって、好きなように研究させてくれました。

臨床と研究、それぞれのやりがい

留学先は、最初は数名の教室でしたが、私が日本に戻る頃には10名以上までメンバーも増えていました。最終的には他のメンバーに教えるような立場にもなり、留学先に居場所を見いだしていた私は、なかなか帰国へと踏み切ることができませんでした。

しかし、ちょうど研究の区切りがついたタイミングで、日本へ戻る決意を固めたのです。アメリカにわたり、約6年が経った頃、私はようやく日本へ戻ってきました。帰国後は、高尾先生に追いつくという目標を再び目指し、患者さんの診療に従事するとともに、研究も続けていくことができました。

患者さんの診療では、誠実にできる限りの手を尽くす

恩師である高尾先生には

「とにかく患者さんを大切にしなさい」

と教わりました。その教えを守り、患者さんの診療に取り組んできたつもりです。診療を担当し患者さんが元気になれば、それは医師として大きな喜びにつながります。たとえば、治療が難しい疾患の患者さんが元気になられて、お子さんが生まれ、診療に一緒に連れてきてくれることがあります。このような経験をすると、医師として大きな充実感を抱きます。

しかし、必ずしもすべての患者さんを助けることができるわけではありません。実際に、患者さんの経過が思わしくなく、手をつくしても助けることができなかった患者さんもいます。しかし、どんなに治療が難しい状態であっても、誠実に、できる限りの手を尽くすことを大切にしてきました。

その姿勢があったからでしょうか。どんな患者さんであっても、ありがたいことに最終的には感謝をしていただくことができたように感じています。

患者さんに役立つ研究ができれば、医師として喜びになる

一方、研究においても、患者さんに役立つ研究ができれば、それは医師として大きな喜びにつながります。

約6年に及んだ留学では、基礎研究の考え方が否応なく染み込みました。それは、表面的な現象だけではなく「根底にあるメカニズムは何か」ということを常に考えるということであり、現在でも大切にしている姿勢です。

近年では、iPS細胞の研究や難病の研究などにも従事しています。現在の目標の一つは、これらの研究がうまくいくことであり、今後も注力していきたいと思っています。

「人の邪魔をするな」恩師の言葉を胸に

少し話は逸れますが、恩師である高尾先生からいわれた言葉で今でも心に留めている言葉があります。それは、「人の邪魔をするな」という教えです。

この言葉には、あらゆる意味が含まれています。たとえば、研究者が他の研究者と同じ研究をすれば、それは人の邪魔をする行為になってしまいます。また、他人を妬むこともよくないとおっしゃっていました。他人を妬まず誰かの邪魔をしなくても生きていけることが大切なのです。要するに、自分独自のものがあれば、誰かの邪魔をする必要がなくなります。

これは、教授として後進の指導にあたるなかでも、常に心にとめています。後進を邪魔することなく、育てていかなければいけません。そのために「人の邪魔をしていないか」と、常にあらゆる場面で自分に問うていますし、自分を戒める教えになっています。

二足のわらじを履きながら、新しいものをつくっていきたい

お話したように、私は臨床と研究の両方に取り組んできました。二足のわらじを履くようになったのは偶然でしたが、とても幸運なことであったと思っています。

どちらか一方だけであったら、途中で嫌になってしまっていたかもしれません。二足のわらじがあることで、どちらかがうまくいかないときでも、もう片方が私を支えてくれました。もしももう一度、どちらかを選べるとしても、私はどちらも選びたいと思っています。それくらい、私はどちらにも、大きなやりがいを感じることができたのです。

「昨日と違う何か新しいことをしたい」というのが、私の大きなモチベーションです。それは小さなことでも構わないと思っています。たとえば、研究の過程で昨日と違うことがわかったとか、日々、何かしら新しいものをつくっていくことを大切にしています。

今後も、臨床と研究どちらにも力を注ぎ、新しいものをつくっていきたいと思っています。

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