インタビュー

これからの医療リテラシー(1)医師と患者の関係を考える——契約から信任へ

これからの医療リテラシー(1)医師と患者の関係を考える——契約から信任へ
橋都 浩平 先生

株式会社ドリームインキュベータ 元常勤監査役、東京大学小児外科学 元教授

橋都 浩平 先生

この記事の最終更新は2015年06月13日です。

メディカルノートは、「一般生活者の医療リテラシー向上」をミッションとして掲げています。では、この「医療リテラシー向上」とはどういうことなのでしょうか。

東京大学で小児外科教授を務められた橋都浩平先生は、長年にわたり患者さんと向き合い、豊富な臨床経験をお持ちです。さらにそればかりでなく、一般企業に勤務された経験もおありで、一般生活者の目線も備えておられます。
医療リテラシーを考える前提として、これからの医者―患者関係について、橋都先生にお話をお伺いしました。

まず、患者さんが持つべき医療リテラシーを考える前に、「これからの医者と患者との関係をどう捉えていくか?」という課題についてお話をします。

最近では欧米の影響もあり、医師と患者の関係はひとつの「契約関係」であるという捉え方が主になりつつあります。しかし、契約関係というものは“対等”かつ“自己責任”というものが基本にあります。まずは、これが医師と患者の関係において本当に成立するのか、ということを考えていきましょう。

経済学的に考えてみると、「情報の非対称性」(医師と患者とで持っている情報に格差があること)があると契約が成り立たないという結論に至ります。医療という分野は、情報の非対称性が最も大きい分野です。ここに果たして契約関係が成立するのか、という基本的な問題があります。

もちろん、情報の非対称性というものをできるだけ解消していこう、少なくしていこうという努力は必要ですし、私自身も丁寧な説明を心がけてきました。しかし、結局のところ医療における情報の非対称性を「完全に」解消することは難しいと考えています。

患者さん自身にも自分の病気に興味を持ち、すごく勉強しておられる方はいます。もちろん、患者さん自身ができるだけ、情報の非対称性を解消しようという努力をしていくことはとても良いことです。
しかし、医師は医学部における基本的な生理学・薬理学・解剖学から始まり、臨床や研究を通して医学の勉強をずっと積み重ね続けてきています。これらのバックグラウンドを含めて考えると、情報の非対称性を完全に解決するのは難しく、ある程度の情報格差があることは否定できないと考えます。

今回は、この情報の非対称性を認めた上で、これからの医者―患者関係について、私自身の経験を合わせてお話します。
私は、無理矢理に医師と患者が対等だと考えるよりも、「契約関係ではなく信任関係になっていくこと」が大切だと考えます。では、信任関係というものをどのように捉えていくべきなのでしょうか。

私はかつて、エホバの証人の信者の方のお子さんを手術したことがあります。エホバの証人では輸血をすることが禁じられています。しかし、手術をするときには「いざというときには輸血をします」という同意書に対するサインが必要です。サインがなければ、普通は手術をしてもらうことができません。しかし、エホバの証人の信者はその同意書にサインをすることができません。
当時の医師間では、「そのような時には裁判所において親権剥奪をしてから手術をすればいい」という意見すらもありました。

しかし、それに対して自分は大きな違和感を持っていました。エホバの証人の信者で輸血の同意書にサインができなくても、親は親です。絶対に子どもを助けてほしいと思っているに違いない。それでも「契約」をしないと前に進めない、どうすればいいのかという葛藤に信者は悩んでいるのではないかと考えていました。

実は、私は当時、同意書のサインをしてもらわないまま(つまり契約をしてもらわないまま)手術をしました。ただし、手術前に私は親御さんに対してこのような宣言をしていました。

「できる限り輸血をしないように、自分ができる技術のすべてを尽くして治療をする。しかし、もし非常事態に見舞われてしまったとき、輸血さえすれば子どもが助かるというケースがある一定の割合で存在する。そのようなときにはすべて自分の責任で輸血をする」

その宣言後も、「それなら子どもを連れて出ていきます」という親御さんは一人もいませんでした。つまり、サインはしてもらえなかったけれど、私のことを信任してもらえたのです。

この時、親御さんとの間に「契約関係」はありませんでした。それでも、「信任関係」は成立させることができたのではないかと思います。そもそも前述したとおり、医療においてはすべてを契約関係に落としこむことに無理があります。それよりもむしろ、信任関係で行うのが妥当なのではないか、と私は考えています。そのせいか、当時、私は日本で一番エホバの証人の信者の子どもを手術していたのではないかと思います(しかし、幸いにして誰一人として輸血をせずに手術を終えることができました)。

これまでの医者―患者関係は「パターナリズム」ということで批判されてきました。パターナリズムとは、強い立場にある医師がほとんど全ての方針を決めてしまうことを言います。

近年では、患者がみずからの意志ですべて決定していく、自己決定権と契約を重視する流れになってきました。しかし、信任関係の下では、どうしても医者が決めていく部分が生じます。この中には一種のパターナリズムが必要なのではないかと思います。パターナリズムと言うと何でもかんでもダメという風潮が存在しますが、医療においては「納得のパターナリズム」(患者さんが医師を信頼し、医師は決定を任せてもらえる)が成立する余地があると考えます。信任関係を成立させるために、本来はそのような形があるのではないかと考えます。

エホバの証人の手術の例では、最後は私が全ての責任を持ち、決定する立場に置いてもらえていたと思います。そのような医者―患者関係を考えてみたいと思っています。

企業における契約の考え方は企業統治(コーポレート・ガバナンス)によく現れています。世間では、とくに近年アメリカ式のコーポレート・ガバナンスこそが正しいとされています。これは、すべてが契約と文書、サインで行われています。

ここで、一橋大学の田中教授が執筆された「良心からの企業統治」という本を紹介したいと思います。この中では、アメリカ式の企業統治ではなく、日本の企業なりの統治方法が存在したということが述べられています。それは文書や契約には出てこない部分に良心を元にした企業統治があり、その企業統治がうまくいっていたとする考え方です。

私は医者を経験し、今は企業にも勤めておりますが、この企業統治と医者―患者関係には似ているところがあると感じています。契約書という文章には出てこない、けれども良心と信任に基づいた医者―患者関係、これらが必要なのではないでしょうか。

記事1:これからの医療リテラシー(1)医師と患者の関係を考える——契約から信任へ
記事2:これからの医療リテラシー(2)納得するための医療知識

  • 株式会社ドリームインキュベータ 元常勤監査役、東京大学小児外科学 元教授

    橋都 浩平 先生

    日本赤十字社医療センター小児外科部長、東京大学小児外科教授を歴任後、東京西徳洲会病院で総長を務める。同院を退任後、株式会社ドリームインキュベータ常勤監査役。さらなる医療の発展のためには産業界との連携が欠かせないという信念のもと、医療人として・企業人として、双方の視点から医療界を見渡す。広い経験と深い知見に基づいた卓抜な視座から、様々な面においてなおも医療の進歩に貢献し続けている。