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2019年ノーベル医学生理学賞 新しいがん治療にも道開く

公開日

2019年10月17日

更新日

2019年10月17日

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2019年10月17日

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帝京大学医学部内科学講座 腫瘍内科 教授

渡邊 清高 先生

スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月7日、2019年のノーベル医学生理学賞を米ハーバード大学のウィリアム・ケリン教授ら米英の3人に授与すると発表しました。その受賞理由は「細胞の低酸素応答の仕組みの解明」です。この仕組みはヒトの細胞ががん化するメカニズムとも関連しています。それを解明することで、新たながん治療に道が開けることも期待されます。

希少な病気の研究がきっかけに

この研究はがんが多発する希少な病気をきっかけにした研究です。報告した研究者の名前をもとに、フォン・ヒッペル・リンドウ病(von Hippel-Lindau病=以下、VHL病)と呼ばれるその病気は20世紀初頭、ドイツとスウェーデンから報告された、血管腫(血管が豊富な腫瘍)やのう胞(液体を含む袋状の構造)が多発する特徴的な疾患です。

肝臓や腎臓にのう胞や血管腫ができることは決して珍しいことではなく、良性のもので転移や増大など悪性の経過を示さないことが多いのですが、VHL病の患者さんでは若年のうちから多くののう胞や血管腫を発症し、それが脳、脊髄、腎臓、網膜、膵臓(すいぞう)、副腎などあらゆる臓器に起こる、という経過をたどります。常染色体にある遺伝子の異常が原因で、優性遺伝の形式をとります。これは、両親のどちらかが変異をもっていると、子どもは50%の確率で変異を受け継ぐ可能性があるということです。日本国内では約1000人の患者さんがいます。繰り返していろいろな場所に腫瘍が発生する、治療法の開発が難しい、難治がんかつ希少がんの1つといえます。

VHL遺伝子の変異が細胞のがん化につながるメカニズム

VHL病の原因を遺伝子レベルで詳しく調べることで、その発症のメカニズムを解明する研究がなされてきました。その結果、この病気では「VHLがん抑制遺伝子」の突然変異が起こっていること、その変異はがん細胞だけでなく身体を構成するすべての細胞の遺伝子に引き継がれている(「生殖細胞系列変異」といいます)ことが明らかになりました。

遺伝子

「がん」とは、異常な細胞が制御されない状態で正常な器官や組織に広がる病気です。VHL遺伝子はがん化を防ぐ働きのある「がん抑制遺伝子」で、異常があるとがん化が引き起こされやすいと考えられています。

では、VHL遺伝子はどのようにがん化を防いでいるのでしょうか。VHL遺伝子が欠損したがん細胞では、細胞が低酸素の環境にあると活性化する遺伝子が多く発現することが示されました。細胞が周囲の酸素レベルを感知し、それに応答する因子(低酸素誘導因子、HIF-1)の合成を促進することで、赤血球を増やして酸素の運搬能力を増やしたり、周囲の血管形成を活性化させたりして低酸素状態の解除を図るメカニズムが解明されました。VHL遺伝子は役割を失ったHIF-1の分解や不活性化に関与することによって、低酸素状態から改善した場合の制御を行っていることがわかりました。

ところが、VHL遺伝子に異常があると、体のあらゆる組織において低酸素シグナルが活性化しやすい状態になり、それに促されて「血管内皮増殖因子(VEGF)」や「血小板由来成長因子(PDGF)」「トランスフォーミング増殖因子(TGF)」などの血管や細胞の増殖に関わる遺伝子の働きも促進されます。こうしたことが細胞の無秩序な増殖につながり、がん化に関与していると考えられています。つまりVHL遺伝子は、細胞が低酸素状態におちいった時にだけ働くべき因子を平常時には排除することで“暴走”を食い止め、それによってがん化を防いでいるのです。

がん以外の新薬開発にも貢献

こうした働きに注目し、がんの治療薬としての研究開発が精力的に進められています。これまでも、がんの増殖のメカニズムをもとに抗がん剤や手術、放射線などによる治療が開発され、効果が証明されて治療法として確立しています。

薬

がん以外でも、VHL遺伝子の研究は赤血球を増やすなどの面からのアプローチによって透析患者さんの慢性腎臓病に伴う貧血に対する治療薬が開発され、先日国内で承認されました。「がんの発生や、がんそのものの仕組みを知る」ことが「がん治療の新たな標的の理解につながる可能性を提示した」この研究は、がんの領域だけにとどまらず、低酸素をきっかけにして発症するさまざまな疾患についても治療の可能性を期待させるものといえます。

がんについて、がん細胞の特徴については、まだまだ知らないことが多くあります。ひとりひとりの個性が違うように、同じがんでも患者さんの体内での低酸素状態や細胞周囲の環境が異なり、症状の現れ方も治療効果も多様であることもわかってきています。

これからもがんについての研究が進んで、効果的で体にやさしい治療が開発されるといいですね。

 

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帝京大学医学部内科学講座 腫瘍内科 教授

渡邊 清高 先生

患者さんとご家族、地域の視点でがんを診る。 日本人の2人に1人が一生のうちにかかる「がん」。がんの診療、臨床研究とともに、研修教育に携わる。がん対策の取り組みの一環として医療に関する信頼できる情報の発信と、現場と地域のニーズに応じた普及の取り組みを実践している。