もともと、脳神経外科に進もうと思っていたわけではありませんでした。父が皮膚科開業医で私が長男だったこともあり、医学部に入学した当初は、周囲から「皮膚科医になって、お父さんの後を継ぐのでしょう」と言われていましたね。けれど私は、医師になるのであればより“生きるか、死ぬか”に関わる医療をしたかったですし、まだ解明されていないことが多い領域に進みたいと思っていました。当時、脳は今に比べて未知の部分が多く、治療が難しいとされる領域でした。そのうえ、脳は人間が生きていくうえで欠かせない臓器であり、脳を治療する脳神経外科は常に“生きるか、死ぬか”を問われる領域です。そういった部分にチャレンジしたいと思い、脳神経外科に進むことを決めました。
特に、脳動脈瘤に対する脳血管内治療には脳神経外科医になった頃から興味があり、日本でも1997年に脳血管内治療専門医(日本脳神経血管内治療学会認定)を取得しました。そして1998年、さらにその技術を学ぶため、アメリカ・ヒューストンにあるThe Methodist Hospitalとフランス・パリにあるThe foundation of Rothschild Hospitalという2つの病院で、2年間にわたりクリニカルフェローシップ*を務めました。この間は本当に刺激的な毎日で、1つ1つの手術が勉強になることばかりでした。現在でもそこでお世話になった先生方とはご縁が途切れず、毎年何らかの形で一緒に仕事をさせていただいています。
当時全米でもっとも血管内治療が多かったヒューストンの病院と、ヨーロッパでもっとも症例数が多く難しい患者さんが集まっていたパリの病院での経験を通してもっとも勉強になったと感じたのが、技術への探求と自分の行う治療に対してプロのこだわりを持つことが重要だということでした。
現地で指導をしてくださった先生方は、自分の手術の完成度や到達度に対して、非常にストイックでした。たとえば、脳血管内治療において、脳動脈瘤の中へいかに確実にコイルを詰め込むかといった点もそうです。脳動脈瘤の中に挿入するマイクロカテーテルにはいくつもの種類が存在し、それぞれに異なる特徴があります。また、新しく開発されたカテーテルがあれば、古くから用いられ続けているものもあります。
パリのThe foundation of Rothschild Hospitalで指導をしてくださったモレー先生は、脳血管内治療において、古くからあるカテーテルを使っていました。最初は私もその理由が分からず、「
ある日、モレー先生と一緒に手術に入らせていただく機会がありました。先生は、カメラの画面を見ながら通常どおり脳動脈瘤にコイルを詰めていったのですが、私は途中である違和感に気づきました。
通常、コイルで脳動脈瘤が満たされると病変部が黒く映し出されます。映像を見る限りはもうどこにもコイルの入るスペースがないように見えるのに、脳動脈瘤にコイルが吸い込まれ続けるのです。その光景はまるで何かの手品を見ているようでした。先生のすぐ隣で手技を見ていても「脳動脈瘤はコイルですでにパンパンのはず。一体どこにコイルが収まっていくのだろう?」と、呆然とするばかりでした。驚く私に対し、先生は「コイルが最後までしっかりと脳動脈瘤に収まるかどうかがすごく重要なんだよ」とおっしゃり、古いカテーテルを使う理由を教えてくださったのです。
比較的新しく開発されたカテーテルの中には、挿入部から末梢までの滑りをよくするためにコーティングを施したものがあります。その技術がなかった頃に登場した古いカテーテルはコーティング加工がされていないため、滑りが悪く使い勝手が悪い一方で、血管壁から滑り落ちにくいという特徴があります。このため、最後までコイルを詰めることができるのです。つまり先生は、最後までコイルを脳動脈瘤へ入れるために、あえて古いカテーテルを使っていただけでなく、その状況を手術の最初の時点から予測しているということが分かり、経験とこだわりに裏付けされたその手術技術とより完成度の高い手術を追求しているのだと知ったとき、感激して思わず鳥肌が立ちました。
またある日、術後の患者さんが退院される際に先生が患者さんにこんな言葉をかけていました。「See you never !」(もうあなたとはお会いすることはないでしょう)と。言葉の訳を先生にお聞きすると「あの患者さんは完璧に治したのでもう病院に来る必要はないんだよ」と言われ、そのプロ意識と治療レベルの高さに感服し神様に見えました。いつか患者さんに、完全に治ったから大丈夫ですと言ってあげられるドクターを目指そうと心から思いました。
*クリニカルフェローシップ:専門医取得済みの医師などを対象に、専門臨床能力等をよりいっそう研鑽するための制度
海外で脳血管内治療を勉強した後、日本で本格的に脳血管内治療に携わるようになりました。こうした経緯もあって、日本で自分が目指すべき点は自然と定まっていました。それは、“治療に対して妥協しないこと”です。
“妥協しないこと”は、留学時代にお世話になった先生方が共通して持っていたこだわりでした。だから私も外科医として、妥協せずに手術をやり抜くという姿勢を常に意識し、患者さんに向き合っています。今でも難しい症例を目の前にして少し弱気になったり、怯んだりしそうになることがありますが、そのたびに、お世話になった先生方の顔が目に浮かんできます。そして、「何をやっているんだ、お前は! ベストを尽くせ」という激励の声が聞こえてくる気がするのです。
あるとき、どうしても自分の患者さんの治療についてフランスの上司に聞いてみたくなり相談したところ、「私が教えたようにやりなさい」というシンプルな返答が返ってきました。治療の方法論だけでなく患者さんに真剣に立ち向かう姿勢が脳裏に焼き付いている自分には短くも重い一言でしたが、その一言で難しいその患者さんの手術をうまく乗り越えることができました。
私も今、そんな先生の熱い思いを受け継いだ手術ができていれば嬉しいなと思います。
その後も私は脳神経外科医として脳動脈瘤の血管内治療を追究し、現在に至ります。留学時代から今まで、国内外の先生方から脳血管内治療に関する多くのことを勉強させていただきました。
これまで医師としてキャリアを積む過程で、“個人でやれること”、“グループでやれること”、“組織、施設でやれること”と、私自身が関わるステージの土台は少しずつ大きくなってきました。2021年現在は、自分の経験と知識を、地域医療という形で患者さんに還元することを目指しています。脳血管内治療の専門家としての責任と自覚を持ち、地域の患者さんに対してより低侵襲な医療の提供を目指すとともに、病院全体でどのような医療を作れるかということにチャレンジしていきたいです。
これからも“地域医療に貢献する”という意志のもと、埼玉石心会病院で働く仲間たちと共に、毎日全力で医療に取り組みたいと思っています。
さらに、次世代の脳血管内治療を担う医師にも、私自身の経験と知識を共有していきたいと思っています。
私は、どの時期、どの時代を通しても、常に“メインで取り組むこと”を自分の中に設けることを大事にしてきました。そして、自分がやろうと決めたことに対しては、何事も全力でやり抜いてきたつもりです。人の1日は24時間と限られていますし、全てのことを同じように、均等に行うことはできませんよね。私は、もともと凝り性な性格ですし、あまり器用でもありません。だから、最初から「この時期は、これを中心に取り組もう」と決めてやってきました。
また、目標を決めるときには、何かを参考にしたり誰かのマネをしたりするのではなく、常にゼロベースで考えることを意識してきました。ですから普段、若手の先生方には「この手術が最終的にどうなるか見えていますか?」と聞き、自分自身で手術の結果とそこに至る過程を考えてもらうようにしています。イメージトレーニングを積み重ね、その結果に到達するために必要な努力をして、治療に臨んでほしいと思うからです。
患者さんが外科医に期待していることとは、より正確な手術だと思っています。だから、外科医は常に技術の向上を目指さなければなりません。これこそ、私が体感してきた外科医としての“プロ意識”なのかもしれません。
恩師が私に脳神経外科医としての意識や技術を伝えてくださったように、今度は私がたくさんのことを、次世代に伝えていきたいと思います。
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