3人の育児と医師としてのキャリアの両立

DOCTOR’S
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3人の育児と医師としてのキャリアの両立

「困っている人を助けたい」夢に向かって歩む泉川美晴先生のストーリー

香川大学保健管理センター 医学部分室 講師
泉川 美晴 先生

憧れはナイチンゲール、親族の病をきっかけに医師の道へ

私は小学生の頃から読書が好きで、特に伝記を好んで読みました。中でもフローレンス・ナイチンゲールの生涯に深く感銘を受け、将来は人を助ける看護師のような仕事に就きたいという憧れを抱くようになりました。

進路を決定づけたのは、近い親族が再生不良性貧血を患った経験です。当時は頻繁に輸血が必要な病気で、また枕元輸血(院内輸血)*が行われていた時代でした。血液を提供する父に付き添って夜中に病院を訪れた際、患者さんのために献身的に働く医療従事者の姿を目の当たりにしました。この経験を通して、医療には看護師だけでなく多様な専門職が関わっていることを知り、医療分野全体に強い関心を抱くようになったのです。高校生になると、周囲に医学部を目指す友人が多かったこともあり、医師という職業に惹かれ医学部に進みました。

*枕元輸血(院内輸血):供血者から採取した血液をそのまま受血者に輸血する方法。

医師3年目で出産、前例なき育休と仕事両立の壁

大学卒業後に所属を決めた香川大学 第一内科学講座は、血液内科、膠原病(こうげんびょう)・リウマチ内科、呼吸器内科、代謝内分泌科が集まった講座でした。医師2年目から県内の総合病院でさまざまな診療科をまわりながら経験を積んでいたとき、別の大学から研修に来ていた夫と出会い、結婚を決めました。第一子を授かったのは医師になって3年目のことです。

当時は新臨床研修制度が始まって間もない頃で、医師が出産を経て復職するのはまだ珍しい時代でした。所属していた総合病院に育休制度はあったものの、医師が利用した前例はなく、産後2か月で職場へ戻ることにしたのです。しかし、出産のダメージが十分に癒えていない体で慣れない育児と仕事を両立するのは、想像していた以上に大変でした。

どうしても両立は難しいと痛感し、医局長に相談していったん仕事をお休みして、育児に専念することにしました。子どもにゆっくりと向き合う日々は代えがたいものでしたが、数か月経つと仕事を離れたことに少し不安を感じるようになりました。ちょうどそのタイミングで医局長からお電話をいただいたのです。「週に1~2回の外来勤務をしてみては」とご提案いただき、非常勤で復職することにしました。

3人の育児と専門医取得までの道のり

復職してからは一般内科の外来で、内科学講座の専門分野である血液疾患、膠原病、呼吸器疾患はもちろんのこと、生活習慣病などの患者さんも幅広く担当させていただきました。復職して何よりもありがたかったのは、子どもを保育園に預けられるようになったことです。外来勤務のない日は勉強や専門医資格取得の準備に充てることができました。この間に第二子も出産し、亀のようにゆっくりとした歩みでしたが日本内科学会 認定内科医を取得することができました。

その後、育児にも少し慣れ外来診療のコツも得てきた頃、医局から「そろそろ常勤で働けるのでは」と病院での勤務をご提案いただいたのです。子育て支援が充実しており安心して働ける環境が備わっている病院でしたのでありがたくお受けし、再び常勤で働くようになりました。外来に加え病棟業務や日当直も行いながら、日本内科学会認定 総合内科専門医(以下、総合内科専門医)を取得し、第三子を出産しました。こちらの病院は透析治療にも力を入れていたので、腎臓疾患や透析治療に関する経験も積むことができたのはありがたいことでした。

産後の関節痛に悩む患者さんとの出会い、膠原病・リウマチ内科を専門に

特段の専門領域を定めないまま、広く一般内科の診療を続けていた間に、私にとって転機となる患者さんとの出会いがありました。産後の関節痛に苦しんでおられ、育児にも支障をきたすほどの方でした。診断と治療のために私が所属している香川大学医学部附属病院 膠原病・リウマチ内科にご紹介したところ、大学の先生が見事に診断して症状を和らげてくださり、また私の担当していた外来に戻ってこられたのです。診断や治療の技術もさることながら、患者さんの本当に安心された穏やかな表情を目にして、私もこの分野に進みたいと思うようになりました。

その後、香川大学に戻らないかとお声がけをいただき、2011年に地域医療教育支援センター 特命助教として再び大学で勤務を始めました。膠原病・リウマチ疾患の診療にも携わると、かつて紹介した患者さんを担当してくださった先生もまだ在籍されていて、憧れの存在である先生の診療スタイルはやはり非常に頼もしく感じました。こうして「私も膠原病・リウマチ内科を専門にしよう」と改めて決意したのは、医学部を卒業して10年ほど経った頃のことです。その後、日本リウマチ学会認定 リウマチ専門医(以下、リウマチ専門医)・指導医を取得しました。

丁寧なコミュニケーションで患者さんに安心を

私が医師として働いていてよかったと感じるのは、やはり患者さんやご家族の笑顔に接したときです。初めてお会いしたときや経過の中で病状が思わしくないとき、患者さんのお顔には不安が色濃く浮かびます。しかし、丁寧にお話を伺いながら、診断や治療の糸口を探し病状が落ち着いてくると、患者さんのお顔に少しずつ笑みが戻ってくるのです。

そのために大切にしているのは、患者さんのお話をしっかり伺うことです。実は患者さんが病気と関係ないと思っていることの中にも、重要なヒントが潜んでいることがあります。患者さんの背景を理解するために、家族構成や家事の分担、趣味などについて、私からいろいろと質問をするようにしています。たとえば、趣味が旅行の患者さんであれば、目的地や移動手段を伺い、負荷がかかりそうな関節の有無や部位、感染症を媒介するダニとの接触の可能性などを推察します。

膠原病・リウマチ疾患は慢性疾患ですので、生活の中で患者さんがどの程度困っているのか、治療によってどのくらい改善したのかを把握することは欠かせません。そのために、患者さんと丁寧なコミュニケーションを重ねていくことはとても大切だと考えています。

患者さんから感謝の言葉をいただくと、この仕事を選んでよかったと思いますし、子どもの頃から抱いていた「困っている人を助けたい」という夢を、少しずつ現実のものにできているのではないかと感じます。

産業医、リウマチ専門医、そして母として

育児と両立しながら内科全般の病気について幅広く診療経験を重ねてきたことは、総合内科専門医、リウマチ専門医の取得に生かせたと感じています。また、勤務する医療機関によって医師に求められる役割は異なります。地域の医療機関では多様な病気を診て、このまま経過を観察しても問題なさそうか、それとも専門の医療機関に紹介すべきかなどを、見極めるスキルが必要です。一方、大学病院では領域ごとの専門知識をもって、難渋する診断や治療に道筋をつけることが求められます。私はいずれの立場も経験することができたので、その点はとてもよかったと思っています。

2025年現在、私は香川大学 保健管理センター 医学部分室の講師として勤務しています。求められているのは、学生を支援し、職員の健康管理を担う産業医としての役割です。また、私自身の専門である膠原病・リウマチ疾患、中でも希少疾患である自己炎症性疾患の外来診療も行っています。かつては、育児と仕事の両立が私にとって大きな課題でした。今は、学生や職員の健康管理と希少疾患の患者さんのための診療や研究を両立していくことが、課題であり目標です。子どもは2人が大学生、1人が高校生になりましたが、まだ完全に手が離れたわけではありません。子育ても含めると3足のわらじになりますが、どの役割においても自分の成長が感じられるよう真摯に向き合っていきたいと思っています。

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