五感を最大限に活用した診察が総合内科医の仕事

「五感を最大限に活用した診察が総合内科医の仕事」

「総合プロブレム方式」であらゆる疾患をマネジメントする村山正憲先生のストーリー

社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院

村山 正憲 先生

幼少期、医師とは身近な存在だった

医師と私の最初の記憶は幼少期に遡ります。幼少期を過ごした街にはやさしい開業医の先生がいらっしゃいました。先生は往診などで積極的に地域の方を診療しており、地域の方から非常に頼りにされていました。幼い私にすら街で出会うと「元気か?」と声をかけてくれる先生が大好きでした。

幼い頃から好奇心旺盛だった私は、その先生の医院にもよく遊びに行っていました。昔は各医療機関に調剤室が併設されていることが普通で、そこで先生の奥さんが上皿天秤やすり鉢を使って薬の計測や梱包するのをみる時間が好きでした。今思えば当時開業医の先生とはこんなにも身近なものだったのです。

しかし私が小学校に上がった頃、大好きだったその先生は亡くなってしまいました。今まで親しくしていた先生が亡くなってしまったとき、悲しい気持ちより「もうこの世にいないんだ」という不思議な気持ちに襲われた記憶があります。そして、それ以降、私と医師との関わりはなくなってしまいました。

「それもお前の運命」第二志望の医学部へ進学

それから数年後、高校生になった私はとある大学の理学部を目標に受験勉強に励んでいました。しかし残念ながら希望する大学に合格することはできず、実際に合格したのは第2希望として受験した岐阜大学の医学部でした。当時、国立大学の入試には1期・2期があり、それぞれ違う大学の違う学部を受験することも可能だったのです。

浪人して再度理学部受験を目指すべきか、医学部に通って医師になるべきか……私は迷いました。そんなとき、大好きだった開業医の先生の姿を思い出します。

また、私の祖父も後押ししてくれました。岐阜大学の合格がわかった際、祖父は私の先祖の話をしてくれました。その話によれば、私の先祖は以前、岐阜県南部に位置する美濃加茂市に身を寄せていたことがあったそうです。

このことから祖父は私が岐阜大学に合格したことについて「それもお前の運命かもしれない」といってくれました。祖父にそういわれると不思議と私も「そうかもしれない」と自然に受け容れることができました。

「医師の道も悪くないな」

こうして私は医学部への進学を決意します。

総合内科への歩み

卒業後は内分泌代謝教室へ

このように、私は100%前向きな気持ちで医学部へ進んだわけではありません。ですから、「こんな医師になりたい!」といったビジョンもありませんでした。しかし、医療を学ぶうちに、臨床系の診療科で全身を診たいという思いが芽生え、医学部卒業後は内分泌代謝教室へと入局を決めました。

当時は診療科が今ほど細分化されておらず、私が若手医師だった頃は本当にさまざまな経験ができました。たとえば研修先となった岐阜大学医学部附属病院は、岐阜県の医療の中心的存在で、所属した診療科は糖尿病・内分泌疾患が主体ですが、他領域の患者さんもおられ、ある意味で「何でも屋さん」のような状態でした。

大学外の病院では、私自身も内科医として胃カメラや内視鏡に携わりつつ、内分泌代謝科としての診療も行っていました。また当時は血液内科という定義も不明確だったため、急性白血病など、血液の疾患を診る機会もありました。

急性白血病は今でこそ治療や移植によって寛解する患者さんも増えています。しかし当時は急性白血病で命を落とす方も多く、私自身悲しい思いもたくさんしました。医師とは不思議なもので、元気になって退院していった患者さんの記憶は失われていく一方、亡くなってしまった患者さんの記憶はいつになっても鮮明に覚えているものです。

白血病では、患者さんとの付き合いも長くなります。最初は打ち解けることのできなかった患者さんが徐々に心を開いてくれると、とても嬉しい気持ちになります。そんな患者さんが最期に私の手を握って「先生、怖い…」といいながら亡くなっていったときは、なんともいたたまれない気持ちになりました。

師匠との出会い

駆け出しの医師としてさまざまな患者さんを診療してきた私が総合内科医として開眼したのは37歳で岐阜県立岐阜病院(現在の岐阜県総合医療センター)へ異動となったことがきっかけでした。当時、岐阜県立岐阜病院の総合内科をリードしていた栗本秀彦先生との出会いが、私を総合内科医へと導いたのです。

栗本先生は「総合プロブレム方式」という独自の診療方法を用いて多種多様な疾患を診療していました。総合プロブレム方式とは問診・所見を基盤として症状を把握し、いま患者さんにどんなことが起きているかを体系的に考え、診断・治療を導き出す合理的な診療形式です。この方式を診療に取り入れることで、幅広く疾患を総合的に診ることができます。

私は総合プロブレム方式を用いた栗本先生の診療に圧倒されました。たとえば複数の疾患を併発している患者さんをトータルでマネジメントしたり、患者さんの症状を丹念に拾うことで何の病気にかかっているのか診断のつかない患者さんに診断をつけたり。次第に私は総合内科医の魅力に惹かれていきました。

患者さんの言葉に耳を傾ける−総合内科の仕事

それから20年以上、私は総合内科医として岐阜県内の病院で診療を行ってきました。総合内科医にとって最も大切なことは自分の五感を最大限に活用して診察に当たることです。確かに、昨今は検査機器の発展も目覚ましいです。しかし、それらに頼り過ぎてもいけないと思います。まずは自分の感覚を研ぎ澄ます。このことが極めて大切だと私は考えています。

特に患者さんの訴えに真摯に耳を傾けることは非常に大切です。総合内科医は、まだ何の診断も付いていない患者さんを診ることもしばしばあります。わからない病気をわかるようにするためには、まず患者さんの訴えに耳を傾ける問診をしっかり行う必要があります。

長期間にわたりお付き合いする患者さんに対して、私は特に「主治医」としての機能を全うしたいと思っています。複数の疾患を併発している患者さんの場合、ある疾患に有効な治療法が、ある疾患には悪く作用するといったケースは多く、複数の疾患をマネジメントすることは簡単ではありません。

それらすべてを総合的にマネジメントし、診ていくには広く、高度な知識が求められます。時に「正直よくわからない」という場面に出くわすこともあります。しかし、総合内科医に「専門外」という考えがあってはなりません。「これは自分の専門外です」と見放してしまうと、患者さんは露頭に迷ってしまうのです。

私は「総合プロブレム方式」を駆使して、患者さんに寄り添えるよう心がけています。

しかし、患者さんの抱えている疾患によっては、より専門性の高い医師への紹介や連携がもとめられるケースもあります。そのような場合、いち早く専門診療科の先生への協力を仰ぎます。必要であれば「主治医」の座を専門診療科の先生にお譲りすることもあります。

どの判断が患者さんにとって一番適切なのか。このことを考えて診療に当たることが大切だと思っています。

後進を育て、総合内科の発展に従事する

私も60歳を超え(2017年10月時点)、定年まであと僅かとなりました。そんな私の現在の使命は、松波総合病院総合内科を更に成長させ、活性化させるためのサポートをしていくことです。

当科には現在やる気に満ち溢れた18名の医師が活躍しています。彼らが総合内科医としてより多くのことを実現できるよう、その環境整備に注力していきたいと思っています。

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