病気やけがで失われてしまった臓器や機能を回復(再生)するための医療を“再生医療”と言います。これまでに、世界中で再生医療の研究が行われてきました。2007年には、患者さん自身の細胞から作製できる “iPS細胞”が世界で初めて誕生。現在、iPS細胞を活用したさまざまな研究が進められています。
日本再生医療学会の理事を務める八代 嘉美先生は、再生医療における社会と研究者の距離を縮めたいとの思いから、医療経済、政策動向、社会とのコミュニケーションなどさまざまな視点から活動を行っています。そのような考えに至るまでのあゆみと現在の思いについて、お話を伺いました。
祖父は薬剤師、祖父の妹は医者でした。このような環境で育ったため、比較的、身近に医学に接する環境だったように思います。子どもの頃から医学には興味があったのですが、歴史や法律についての関心が強く、弁護士になりたいと思ったこともあります。そのほか、コンピューター関連の仕事に憧れたこともありました。こうして振り返ってみると、子どもの頃からいわゆる理系、文系といったものにとらわれず、ある意味で雑食的にさまざまな分野に好奇心を持ち続けたことが、現在の道につながっているようにも思えます。
現在、私は、再生医療、幹細胞研究に関する研究を行っています。研究の視点は、医療経済、政策動向、社会とのコミュニケーションなど、多岐にわたります。
再生医療の分野では、1996年にクローン羊のドリーが誕生し、1998年にはES細胞(受精後5~6日程経過したヒト胚から取り出した細胞を、特殊な条件下で培養して得られる細胞)が樹立されました。
私が大学で薬学を学んでいた頃は、このように、幹細胞研究に対する社会的な注目が集まっていた時代です。私は、当時の課題を克服するような新たなモダリティをつくりたいという志を持って、大学院に進むことを決意しました。
大学院では、造血幹細胞(赤血球、白血球、血小板という血球のもとになる細胞)の研究を行っていました。その過程で、社会は再生医療に対して大きな期待を寄せながらも、同時に不安を抱えていることを感じました。そのような人々の不安は、ES細胞がその作製過程ゆえに“人の生命の萌芽を滅失させる”という生命倫理的な議論を呼んだことにも象徴されます。
このような背景があり、私は、再生医療に携わる研究者として、科学的な知識や考え方をベースに議論できる体制や、社会(患者さんや市民)と研究者(研究現場)をつなげ、両者の距離を近づける仕組みをつくりたいと考えるようになりました。
あるとき、指導教員であった中内 啓光先生(東京大学医科学研究所幹細胞治療部門 特任教授)が、再生医療をテーマにした一般読者向けの書籍を執筆されることになり、「誰か一緒にやらないか」と研究員にお声がかかりました。私はもともと本を読むことや文章を書くことが好きでしたし、かねてから考えていた“社会と研究者をつなげる”ための試みとしても意義があるのではないかと思い、お手伝いをさせていただくことにしたのです。この書籍は、『再生医療のしくみ』というタイトルで2006年に出版されました。この経験は、現在の研究活動につながるきっかけのひとつとなっています。
2007年、京都大学の山中 伸弥先生の研究グループがiPS細胞の樹立に成功。大学院時代に「いつか幹細胞研究で新しいモダリティをつくりたい!」と夢見ていた私にとって、iPS細胞の登場は衝撃的な出来事でした。
iPS細胞の登場により、再生医療研究は一気に加速していくことが予測されました。そして、再生医療研究の進展によって、“社会と研究者をつなげる”ことの重要性はますます高まるだろうと予感したのです。
ちょうどその頃に、中内先生の研究室の先輩で、岡野 栄之先生(慶應義塾大学医学部生理学教室 教授)の研究室に在籍していた松崎 有未先生(島根大学医学部生命科学講座 教授)から、「岡野先生の研究室なら、基礎研究と人文社会系の活動を併行できるのではないか」と研究室を紹介していただきました。
新たな研究を始めてみると、社会には、サイエンスの専門的な話を分かりやすく噛み砕いた形で教えてほしいというニーズがあり、一方、そのような社会のニーズに応える受け皿はまだまだ不足しているというギャップに直面しました。今は、その社会的なニーズに応えることが自分の役割だと考えています。
現在、日本再生医療学会などの一般の方向けの公開講座やさまざまなメディアで、再生医療に関する科学的、技術的、社会的な問題について、情報を発信しています。公開講座などを通じて一般の方から「再生医療のことを初めて理解できました。ありがとうございます」などと声をかけられる瞬間はとても嬉しいですし、やりがいを感じますね。
前のページでもお話ししましたが、再生医療の研究はまだスタート地点です。再生医療がサステナビリティ(持続可能性)のあるものに発展するためには、実用化、産業化、適切な情報共有など、多くの課題があります。私は今後も、再生医療を必要とする全ての患者さんを助けることができる社会を目指して、社会とサイエンスをつなげ、両者の距離を縮めるための研究、活動を続けていきます。
現在私が行っている取り組みや研究は、少しマイナーで、キャリアパスについての具体的な方法論がなく、後任になるような人材がいないのが現状です。しかし、さまざまな分野の知見を集結させて臨むこの研究はとても興味深く、新しい発見に溢れています。今後は後進の教育を視野に入れ、大学院などで多様なキャリアパスがあることを示し、この研究の面白さを伝える機会をつくりたいです。
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