現在、私は大学の口腔外科の教授として教室員の研究や臨床、学生の教育に励んでおり、特に口腔がんの治療に力を注いでいます。
しかし、学生時代はまったくといっていいほど勉強しておらず、クラブ活動や麻雀に明け暮れていました。かろうじて大学を卒業した私は、やっとの思いで名古屋大学の口腔外科学教室へ入局しましたが、この医局で劣等生だった私を変える運命的な出会いを果たすことになります。
入局した医局には、恩師と呼ぶにふさわしい口腔外科医がいました。それが、名古屋大学の教授であった岡先生です。私は、岡先生のすべてを尊敬していました。誰からも慕われる人柄はもちろんのこと、研究者としても、教育者としても、医師としても一流の口腔外科医でした。
一方、入局当初の私ときたら、学生時代の勉強不足がたたり劣等生です。情けない話ですが、学位や博士号という言葉の意味さえ詳しく知りませんでしたし、教授が何なのかさえあまり理解していませんでした。
しかし、岡先生はそんな自分に対しても、非常に親身になって面倒を見てくれました。恩師の厳しくも温かい指導は、私の心を動かすには十分でした。それから私は、人生が一変し研究や臨床に励むようになります。
「医師としての意識」は最初の3年間で決まると私は思っています。「社会人になってからの3年間は重要である」とよくいわれますが、それは医師も例外ではありません。
知識の量は努力の数に比例します。毎年努力を重ねれば、それだけ知識は増え続けます。しかし、「医師としての意識」はそれとは性質が異なります。これは私の持論ですが「患者さんを何よりも大切に扱う」「患者さんの目線に立った医療を提供する」など、医師としての意識の部分は最初の3年間である程度固まってしまうと思うのです。
この医師として大切な期間を、心から尊敬し見習いたいと思える恩師の元で過ごすことができた自分は、非常に幸運だったと思っています。
恩師を始めとするたくさんの方のおかげで、なんとか一人前の口腔外科医になった私は患者さんの治療に力を注ぐようになりました。そんな私に大きな転機が訪れます。それは、ある口腔がん患者さんとの出会いがきっかけでした。
それは若くして口腔がんに罹患してしまった32歳の女性。その方は、がんの切除さえすれば治る見込みのある患者さんでした。しかし、ご本人が頑として舌の切除を拒否されたのです。私は患者さんのご主人を始めご家族と一緒に懸命な説得を続けましたが、それでもがんの切除が行われることなく、最終的にその方は亡くなってしまいました。
当初、私は、手術自体が嫌なのだと思っていました。しかし、それは私の単なる思い込み。実は、患者さんにはもっと切実な思いがあったのです。
それは、その女性がお亡くなりになる数週間前のこと、こんなことをおっしゃったのです。
「お腹だったら、いくら切ってもらっても構わない」
彼女は、顔に傷がつき、見た目の問題が残ることを懸念されていたのです。そのとき、私は、口腔がんが患者さんに与える恐怖や不安を改めて知りました。舌を切除し、がんを切れば確かに病気は治るかもしれません。しかし、これですべての患者さんが救われるわけではない。
今から考えると、この出来事が私の考え方を大きく変えました。
私は「切らずに治す」口腔がんの治療法を模索し始めました。
「もう二度と、彼女のような患者さんを生みたくない」
ただ、その一念で、必死になり取り組みました。
なんとか、顔を切らずに治療できないか。
そんな時期に新たな二人の恩師に巡り合いました。当時の名古屋大学脳神経外科助教授(現:名古屋放射線外科センター長)の小林 達也先生と愛知県がんセンター放射線部長の不破 信和先生(現:伊勢赤十字病院放射線科部長)です。小林先生からハイパーサーミア(がんの温熱療法)を、不破先生から超選択的動注療法を指導していただき、これらを口腔がん治療に導入することで飛躍的な発展がみられたのです。
これは、私の口腔がん治療に対する大きな転機となり、現在、私が横浜市立大学附属病院 口腔外科で全国に先駆け取り組んでいる「切らずに治す口腔がん治療」の原型をなしています。抗がん剤と放射線治療を組み合わせた特色のある「超選択的動注化学放射線療法」という最新の治療を行うこと、さらに頸部のリンパ節転移にはハイパーサーミアを併用することで、最大限の臓器・機能の温存を目指すものです。
今では全国から多数の口腔がん患者さんが、この治療法を求め私たちの元へやってきます。ひとりでも多くの患者さんを救うため、現在では、医局全員でこの新たな治療法に取り組んでいます。
患者さんと接するとき、私は「患者さんと同じ目線でいる」ことを大切にしています。
まず、患者さんに難しい言葉を使わないよう心がけています。医師にとっては当たり前の言葉でも、患者さんにとっては理解できない場合が少なくないからです。
たとえば、患者さん(特に高齢者)に対し「処方箋」という言葉は使わず「薬をもらう紙」と言い換えたり、「院外処方」でなく「病院の外の薬局(薬屋さん)で薬をもらいます」という言い方をします。それくらい、わかりやすい言葉を使うように心がけているのです。
それは、私が主に接する口腔がんの患者さんに高齢の方が多いことも関係しています。若い方であれば、わからないことがあってもすぐに調べることができるでしょう。しかし、高齢の方であるとそう簡単にはいきません。どんな患者さんでも、すぐに理解できる表現はないか。そんなことをいつも考えています。
また、口腔がんの患者さんに、疾患や術後の経過を一度には説明しません。特に、口腔がんは他のがんと異なり目に見えるがんです。現実を受け入れるには、大きな精神的ダメージを伴うことも少なくありません。一度にすべてを説明せず、患者さんの状況や心情を慮りながら徐々に説明することで、患者さんの目線に立ちたいと思っています。
これまで私は、「切らずに治す口腔がんの治療」など新たな治療法を模索したり、教授として後進の指導をしたり、様々なことに力を注いできました。
すべての始まりは、偶然入局した名古屋大学の口腔外科でした。劣等生として入局した医局では複数の恩師と出会い、臨床現場では私の価値観を変える患者さんに出会いました。全ては偶然の出会いです。しかし、この偶然の出会いを大切にし、目の前のことに精一杯取り組んできたからこそ、現在の私があるのだとも思っています。
口腔外科医として一人前になってからも、必ずしも大きな目標を設定していたわけではありません。たとえば、私は教授を目指したことはありませんでした。人との出会いを大切にし、目の前の課題に取り組んできた結果、気付いたら教授になっていただけなのです。
課題はまだまだ山のようにあります。今後も目の前の患者さんや後進のため、自分にできることにひとつずつ精一杯取り組んでいきたいと思っています。
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