きっかけがなければ興味は湧かない

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きっかけがなければ興味は湧かない

放射線医学と病理学を学び、がんで悩み苦しむ患者を救う放射線治療医 沖本智昭先生のストーリー

兵庫県立粒子線医療センター 院長、神戸大学 大学院客員教授、大阪大学 大学院招へい教授
沖本 智昭 先生

友人に影響されたことがきっかけとなり、医師の道へ

子どもの頃の夢は、野球選手になることでした。そんな私が医師を目指すことになったきっかけは、周りの友人に影響されたことでした。

中学3年生の冬、動物好きなこともあって獣医を目指していた私は、第一志望だった近くの進学校を受験しました。しかし、手は届かず。当時は学区制度が敷かれており、担任の先生も自宅付近の高校に入学することをすすめていました。そのため、ほかの進学校に通うことは諦めなければならず、自宅近くにある偏差値50ほどの高校に進学することに。そうした環境で3年間を過ごしましたが、成績は上がるわけもなく。大学受験で大阪府立大学獣医学類を受験するも、再び力及ばずでした。

高校卒業後は、予備校に通うことを選択。京都にある近畿予備校に入学することにしました。これが、医師を志すことになったきっかけです。もともとは学力的にも医師になれるとは思ってもおらず、医師を目指すつもりなんて毛頭ありませんでした。しかし、ほとんどの予備校生が京都大学や京都府立医科大学の医学部を目指すような環境下で、自然と私の成績は伸び、さらに周りの生徒たちの話に影響されたこともあって、医学部を目指すようになったのです。そうして、長崎大学医学部に入学しました。

「がんに悩める患者さんの役に立ちたい」――放射線治療医を選択

大学入学後は、とにかく野球に打ち込み、日々ピッチャーとしてマウンドに立っていました。医学生5年目の頃になれば、自分が進む診療科を考えたり、気になる大学病院を見学したりするものですが、私は相変わらず野球一本。医師国家試験を無事に合格したあとも何も考えていなかった私に、「うちに来ないか」と声をかけてくださった先生が2人いらっしゃいました。

それは、長崎大学病院放射線科 病理学教室の池田高良先生(元・長崎大学学長)と、同院放射線科の松永尚文先生(元・山口大学放射線科教授)でした。お二人とも、私が打ち込んでいた野球部のOBで、仲良くしていただいていた先生です。

病理学と放射線医学は、臓器にとらわれずに全身の病気を診る学問という共通点があります。野球しかしておらず、医学をもっと学ばなければならないと思っていた私には、とてもありがたいお声がけでした。医師免許を取得したばかりで、まずは臨床をしてみたいと思ってたこともあり、当時、松永先生がいらっしゃった長崎大学病院放射線科に入局して、研修を受けることに。放射線科医として成長するなかで、徐々に「がんに関する分野を、より幅広く学びたい」という意欲が湧いてました。

放射線科医として丸1年研鑽を積んだのちに、私は病理を学ぶために大学院に入学。診断のみならず、老化のメカニズムを協働研究するために、テキサス大学サンアントニオ校ヘルスサイエンスセンターへ2年間留学するなど、研究活動にも尽力しました。そして、テキサスの大自然のなかで、私は病理医としての道を歩んでいくのか、放射線科医としての道を歩んでいくのかを熟考する留学生活を送りました。

帰国時には、自分がどのような医師キャリアを歩むかを心に固く決めていました。実は私は、医学部3年生のときにがんを患った経験があります。その経験から、がんに悩み苦しむ患者さんのそばで治療をして、患者さんの役に立ちたいと強く思ったのです。

そうして、放射線治療医としての道を歩むことを決意し、現在に至ります。

甲子園球場に立つ沖本先生。現在もピッチャーとしてマウンドに立ち続ける。

放射線科医が少ない原因は、医学生が放射線科を知るきっかけがないから

私が放射線治療医になったのは、予備校時代に医師を目指す友人たちが周りにいたこと、野球部のOBから病理学と放射線科に誘われたこと、そして自身ががんを患ったというきっかけがあったからです。こうしたきっかけがなければ、放射線治療医は疎か、医師にすらなっていません。

日本では今、放射線科の医師、なかでも放射線治療を行う医師がとても少ないと思っています。それは、放射線治療に関する医学部での教育時間があまりにも少なく、医学生が放射線治療を知るきっかけがあまりないからであると考えています。何事も知るきっかけがなければ、興味も湧いてきません。

そのため、私は今、放射線治療を学生や研修医に知ってもらえるように、兵庫県立がんセンターや県立尼崎総合医療センターなどに足を運んでおり、放射線科に興味がある初期研修医がいれば、ぜひ当院に1日でも見学へ、とお声がけしています。そうして当院に来てくれた研修医には、私が付きっきりで放射線治療を教えています。

「よい医師がいる病院へ行ってほしい」――医学生、初期研修医へ向けて

初期研修医の2年間で大切なことは、誰に医療を教えてもらうかです。この2年間は、自身が生きていく診療科を決める期間であり、今後の医師人生を大きく左右する大事な期間です。

さまざまな診療科を渡り歩くなかで、たくさんの先生方に医療を教えていただくことになります。この期間にきちんと学問を教えてくれる、面倒見のよい先生とお会いできれば、その診療科に興味が湧いてくるでしょう。ですから、たとえば「手先が器用じゃないから」という理由で、経験がない学生のうちから自身が進む診療科の選択肢から外科を外すことはしないでほしいのです。

そして、先輩医師から、医師とはどのような仕事なのかを学んでください。どれほど責任ある仕事なのか、どのようにして患者さんと向き合えばよいのかなど、医師としての姿勢を学ぶ期間です。よい医師として成長できるように、よい医師が在籍する病院で、初期研修をしていただきたいと思います。

後進の医師の教育を――医師を育てる立場にある方々へ向けて

私たちが若手だった頃は、先生方の手元を一生懸命凝視し続けた「見て学べ」という時代でした。しかし、それは適切な教育方法ではなかったと思います。

たしかに、先輩医師たちが10年かけて学んだテクニックを教えられても、すぐにその手技を自分のものにはできません。ですが、基礎からコツまでを1度でも教えてもらえていれば、自分で試行錯誤していくなかで感覚をつかみ、10年かからず自分の手技にすることができるでしょう。そうすれば、後進の医師も早く成長していきます。結果的にどんどん医療の水準も上がり、さらなる発展を遂げ、私たちが後進の医師を教育することで、医療発展への貢献につながることになるのです。

私たちの後進が、私たちよりも上のレベルになれば、医療はこの先もさらなる発展をしていくでしょう。ですから、私はこれからも後進の医師たちを積極的に育てていきます。

私の母校、長崎大学医学部・長崎大学病院には、創設者、ポンペ・ファン・メールデルフォールトの言葉が刻まれています。

「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。」

この言葉を胸に、これからも今の患者さんへの治療、そして未来の患者さんのためにも、後進の教育に尽力してまいります。

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