DOCTOR’S
STORIES
整形外科医として、患者さんと医師にとっての“最幸な医療”に向き合う髙原 康弘先生のストーリー
私の出身は、現在(2019年12月時点)の勤務先である日本鋼管福山病院がある広島県福山市です。実家は商売をしていたのですが、父も母も「商売は大変だから、継がなくていい」と言っていました。商いに奔走している両親を見ていたこともあるのかもしれませんが、私自身は、「将来は東京などの都会に出てマスコミの仕事をしてみたい」とか、そんな憧れを抱いていた時代もあります。
高校は地元の広島大学附属福山高等学校に進学しました。その後、実際に進学先を決める段階になって、大変ながらも商売を続ける両親を見ていたので、「手に職をつけなければいかん」という思いが湧いてきたのです。今思えば本当に唐突なのですが、「手に職なら医師だ。医学部に行こう」と思ったのですね。そこからブレることはありませんでした。
“手に職を”という思いで医師を志し、岡山大学の医学部に入学しました。もちろん勉強は大変だったのですが、もともとスポーツが好きだったので、サッカー部に入部。その部活動のなかで、医学部の先輩の話を聞く機会も多くありました。また、スポーツ好きが高じて、医師という仕事を通じて何かスポーツに関係したことで貢献ができないかと考えるように。それが自分の専門を決めるに当たって大きな理由になっていき、外科か整形外科に進もうかなという気持ちが芽生えました。
余談ですが、サッカーについては、実は今も岡山大学整形外科のサッカーチームに所属しています。現在は、大学の後輩が監督なので、試合のたびに「私を出せ」とアピールするのですが、使ってくれない(笑)。毎回、出場するつもりでトレーニングもしているのですが、もっぱら応援部隊です。
医師としてスポーツに貢献したいという思いの根底にあるのは、スポーツ全般が大好きだという気持ちです。2019年のラグビーワールドカップは、日本代表の活躍に大変感動しました。国歌斉唱で泣きそうになってしまったほどです。ほかにも、地元ということもあって、広島東洋カープファンでもあります。サッカーに関しては、医師になって以来、二十数年間にわたって岡山県の国体のサッカーチームのチームドクターをやらせていただいています。2007年から2年間、J2のファジアーノ岡山のチームドクターもやらせていただいている。こうして整形外科医という立場で、サッカーなどのスポーツに携わっていけるのは、個人的にとても幸せなことだと思っています。
ほかの診療科でもそうですが、整形外科という分野においても、ここ十数年の発展は目覚ましいものがあります。今、私が手がけている変形性膝関節症に対する治療法も、大きく変化を遂げている分野のひとつです。私が岡山大学に在籍していた2000年頃の高位脛骨骨切り術は、術後に骨が癒合するまで何か月も固定が必要で、長期間のリハビリを必要とするものでした。日本鋼管福山病院に入職してしばらくたった2005年に、変形性膝関節症に対する治療法として新たな開大式高位脛骨骨切り術の講習会が開かれると耳にしました。治療法としても技術としても面白そうだなと思い、その第1回に参加し、そこで得た知識をもとに、新しい開大式高位脛骨骨切り術に取り組み始めました。そこから試行錯誤を繰り返し、今に至ります。この講習会に参加していなければ、日本鋼管福山病院での現状の体制は構築できなかったかもしれませんね。
医師という仕事は、患者さんとの出会い、症例との出会いの連続です。そのなかで強く印象に残るのは、得てして治療がうまくいかなかった症例であったりします。思い出すとつらくなる部分もありますが、うまくいかなかったからこそ、二度とそういうことがないように気を付けたいと、心に誓う機会にする。全部が全部うまくいけばもちろんそれがベストですが、そうではないからこそ、うまくいかなかった症例も大切にしています。
一方で、治療がうまくいって患者さんが喜ばれる姿は、何よりも大きな励みになります。整形外科という診療科の特徴ともいえますが、治療を受ける患者さんは、ご自身の抱えている症状のために、生活に支障をきたすことが多々あります。それが治療を経て改善されると、生活の質が上がる。たとえば、外出もままならかった方が、「遊びに行けました」と喜ばれる。「カープの応援に行けました」と嬉しそうに話される方もいる。「畑でこんなのが採れました」と外来で野菜を見せてくださる方もいました。踊りをやっていたのに、膝の痛みで踊れなくなった方から、「こんな踊りが趣味でまたできるようになりました」という報告を受けたときも嬉しかった。そういう、生活の何気ないことや、かつて病気になる前にはできていたことが“できるようになる”報告を聞くと、とてつもなく嬉しいものです。その患者さんの嬉しそうな顔を見るために、整形外科の医師を続けているのかもしれません。
岡山大学の医学部に在籍していたときは、人工関節やリウマチの治療を、当時の教授であられた
そういった経験を経て、日本鋼管福山病院に入職後は、さまざまな勉強会、講習会での諸先輩方との交流や教えを請う形で、高位脛骨骨切り術などの技術を身につけていくことができました。
日々の診察においては、“患者さんをちゃんと診て、触る”ということを重要視しています。とはいっても、これは整形外科においては当たり前のことであると思っています。膝とか足などの、症状が出ている部分を出していただき、ちゃんと診て触り、腫れているのか、腫れていないのか、そういうことをきちんと目視する。カルテや検査結果などの画面だけを見ないようにするということを意識しています。また、膝が痛いと言われても局所のみを診るのではなく、足部から股関節までの下肢全体、さらには仕事や生活環境など、できるだけ患者さん全体を診たうえで膝の状態を捉えるようにしています。特別なことではないのですが、ともすれば患者さんではなく、局所だけに目がいきがちになります。症例による身体的なつらさや問題を抱えているのは患者さん自身ですから、患者さんにきちんと向き合うということは忘れないようにしています。
私が研修医や若手であった頃は、指導医や先輩方に指示をされることが多い時代でした。まったくではありませんが、そこに自らの意思というのは介在しなくて……。「この発表を、この場でするように」と言われれば、従うのが通例でした。
しかし、私自身が指導したり育てたりする立場になってからは、日々悩んでいます。指導上、経験してほしいこと、やってほしいことというのは当然あるのですが、それを若手の医師に無理やりやらせるということは、なるべくしたくない。できれば、若手が自発的に「これをやりたい」と言ってほしい。そういう若手の意思を引き出す指導を目指して、若手との関わり方を日々模索しています。
——私たちは誠意と思いやりを持ち、“最幸の医療” を提供します。
これは、日本鋼管福山病院の病院理念です。私はこの理念に非常に共感していて、目指すべきは“最幸の医療”だと思っています。もちろん、患者さんが病気から回復されて幸せになるというのもそのひとつです。ひいては、それが我々医療従事者の幸せにもつながります。
理想論に終わらせることなく、医療を通じてみんなが幸せになる道を、これからも追求し続けていきたいと思います。
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日本鋼管福山病院
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