心臓血管外科医として、患者さんの人生を未来へつないでいきたい

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心臓血管外科医として、患者さんの人生を未来へつないでいきたい

大切な思いを受け継ぎ、目の前の命を救いたいと願う、土田 隆雄先生のストーリー

医療法人春秋会城山病院 心臓血管センター センター長(心臓血管外科)
土田 隆雄 先生

病院も勉強も嫌いだった子どもに訪れた転機

私は子どもの頃、親戚が病院を経営していたり、小学生のときにリウマチ熱*で入院した経験があったりと、病院に行く機会は多かったのですが、実は病院が大の苦手でした。血を見るのも、注射をされるのも、消毒薬の匂いも嫌いだったのです。学問としても、人の体や生物には興味がなく、どちらかというと化学や機械系のほうが好きで、将来は自動車やロボットなどの設計に携わりたいと思っていました。

そもそも勉強自体が嫌いだったので、中学・高校では不真面目な学生生活を送っていました。当然、志望大学に合格することは叶わず、浪人することになったのです。「このままではダメだ」と自覚した私は、寮のある予備校に通おうと思ったのですが、費用もばかになりません。

こうして進路に迷っていたとき、かわいがってくれていた祖母から「医者にならないか」と突然言われたのです。

リウマチ熱:A群連鎖球菌に感染した後、続いて発生する合併症のひとつ

大切な夢を託され、医師になることを決意

話を聞いてみると、祖母は過去に医師を目指し、今で言う医学部に願書まで出したそうです。ところが、家の都合で、結婚して嫁ぐために、その夢を断念せざるを得なくなったのだと言います。その後、生まれてきた自分の子や孫の中で、理系に進むのは私だけだったので、私に夢を継いでほしいのだと話していました。

「医者を目指すなら、予備校の費用を出してあげる」とまで言われ、当時の私は医師になりたいとは思っていなかったのですが、後になってから諦めてもらうこともできるだろうと、一度医学部を目指すことにしたのです。

そうして祖母からお金を頂いたすぐ後、高校の同級生たちと出かけた卒業旅行の最中に、自宅から宿に電話が入り、祖母が亡くなったと告げられました。急いで帰って話を聞くと、祖母は食事中に咳込んで「胸が痛い」と言って倒れ搬送されたそうです。最終的な死因は、Stanford A型の急性大動脈解離*による心タンポナーデ**でした。その病名が何なのかも分からなかった私は、遺言となってしまった「医者になってほしい」という祖母の言葉を胸に、医師になることにしたのです。

Stanford A型の急性大動脈解離:心臓に近い上行大動脈の内壁が裂ける病気

**心タンポナーデ:心臓が周囲の液体に圧迫され拡張できなくなる状態

心臓を動かす技術で、命を救いたい

専門領域である診療科を心臓血管外科に決めたのも、祖母への思いがきっかけでした。もしもあのとき、私が今の立場でいたら、祖母を助けることができたかもしれません。これから出会う患者さんが危機に陥ったとき、まず命を取り留めて、次の治療につなげられるようになりたいと思うようになりました。人間が最終的に亡くなるのは心臓が止まるときなので、心臓を動かす技術を持てばよい。そのひとつの道として、心臓血管外科医を選んだのです。

先輩方からの言葉や経験が、今の自分を形成している

医師として勤務するなかで、患者さんはもちろん、多くの先輩方や恩師とも出会い、多くのことを教わってきました。先生方から頂いた数々の言葉や経験が、現在診療を続けていくうえでの支えになっていると感じています。

研修医となった当時は、愛媛県の県立病院で勤務しました。医師としての考え方の礎ともいえる“目の前のひとつの命を救うことの重大さ”は、この頃に指導してくださった先生方に、日々教えていただいていました。

現在勤務している城山病院の院長である福本(ふくもと) 仁志(ひとし)()先生と出会ったのは、私が研修医3年目のときです。福本先生は、まだまだ半人前だった私に、ほかの科との合同手術で執刀医を任せてくださるなど、“医師としての責任感”を育ててくださいました。

心臓血管外科における技術的な面では、より質の高い医療を勉強するために渡ったオーストラリアでの経験が今に生かされています。シドニーのSt. Vincent's Hospitalに勤務し、心臓の手術に参加させていただきました。向こうの先生方は、手術がとにかく合理的でスピーディーで、衝撃を受けたのを今でも覚えています。無駄のない流れるような動きで手術を進めるので、1日あたりの手術件数も多いのです。私が手術する際の“限られた時間の中でよどみなく流れるような手術を行う”という目標は、このときの経験から来ています。

「先生でよかった」と感謝される感動

この仕事をしていてよかったと思うのは、やはり患者さんから感謝の言葉を頂くときです。手術が上手くいって口の管を抜いた後、患者さんに「無事に終わったよ」と声を掛けたときに「先生ありがとう」と返って来たりすると、内心「よし!」とガッツポーズをしてしまいます。

同時に、この仕事をしていると、どうしても残念な形で患者さんを見送らなくてはならないことがあり、その中でも特に印象に残っている出来事があります。心臓だけでなく、ほかの複雑な原因もあって患者さんが亡くなってしまい、後日、ご家族からお手紙を頂いたのです。そこには、患者さんがご家族に生前、「先生に手術してもらってよかった」「先生のこと好きだな」と、亡くなる間際までずっとお話しされていたこと、そして、ご家族からの感謝の言葉がつづられていました。その先に私が患者さんやご家族に直接できることはないにもかかわらず、心のこもった丁寧なお礼を頂き、本当に感動しました。そのお手紙は、今でもデスクの引き出しに大切にしまってあります。

早く病気に気づくことで、救える命がある

私は常に、1人でも多くの患者さんの命を救いたい、そして、できるだけ元気に過ごせる時間を長くしたい、と考えています。

私が心臓の手術を担当する患者さんのなかには、すでに状態が非常に悪く、手術に耐えられるかどうかも分からない、でも助かる道は手術しかない、という状況でお会いする方がいらっしゃいます。そして、その結果救えなかった方、治すことのできなかった方に対しては、非常に申し訳なく悔しい気持ちになります。もう少し早く治療ができていたら、この方はあと10年長く生きられたかもしれない、と思うことさえあります。

そういう意味で、私は、病気の早期発見・早期治療は非常に重要なことだと考えています。心臓血管外科医である私たちや、最初に患者さんを診察するかかりつけ医の先生方は、病気を見逃すことがないよう、十分に注意しながら患者さんに向き合っていかなくてはなりません。

そして、患者さんには、もし体に異変を感じたら、できるだけ早くに医療機関を受診していただきたいと思っています。息切れや動悸など、自分では体質や年齢のせいと思ってやり過ごしている症状も、実はほかの人にはない体のサインなのかもしれません。そういったことを、まだ通院をしていない方々へ広くお伝えしていくことも、私たち医師の責務であると感じています。

今まで、そしてこれからの、医師として歩む道

心臓血管の病気で困っている患者さんの症状や不安を取り除き、不便のない日常生活を取り戻していただくことが、私が医師として抱いている一番の目標です。

当院は、地域に密着した“かかりやすい病院”を目指しており、私自身も同じように、近くにお住まいの患者さんが受診しやすく、また、ご家族や周りの方がお見舞いに訪れやすいような環境を整えていくことが重要だと考えます。「何か調子が悪くなったりしたら、すぐにおいでよ」と声を掛けながら、地域に暮らす方々に寄り添える身近な存在でありたいと思っています。

心臓血管の病気を専門とする医師として、目の前の患者さんの命をつなぐこと。そして、適切な時期に適切な治療を受けて、将来少しでも元気に過ごせる方を増やしていくことを目標に、日々まい進していきたいと思います。

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