DOCTOR’S
STORIES
高知県の医療支援と後進育成に力を尽くす三浦 友二郎先生のストーリー
心臓血管外科医を志したきっかけの1つは、母の病気です。母は若いころからリウマチ性の
出身大学の教授の薦めもあり卒業後は、内科・外科研修で実績のある三井記念病院に入職しました。同院の研修では心臓血管外科のみならず、一般外科、消化器外科、麻酔科、呼吸器外科、乳腺・内分泌外科、救命救急科などさまざまな科をローテーションしながら多くのことを学びました。研修をする中で心臓以外の臓器にも興味を抱いたものの、同院でのトレーニング期間を通じて確認できたのは“外科医が自分に合っていること”。そして、“心臓の手術”がもっとも自分に合っていること”でした。
外科は腫瘍外科と非腫瘍外科に大別され、心臓外科は後者に当てはまります。心臓は体の臓器の中で悪性腫瘍の発生頻度がごくまれで、手術は機能の再建が多くなります。体のエンジン(心臓)を修理したりチューニングしたりする心臓外科の領域は、車好きだった私の琴線に大きく触れました。たとえば心臓弁膜症であれば、原因となる弁を手術で本来あるべき形にしてあげることで心臓の機能は目に見えて回復します。目に見えないがん細胞が術後に増殖して再発するということはありませんし、上手に手術をしてあげればきちんと機能を取り戻すことができ、さらにその結果を目で見て客観的に確認できるのが循環器診療の魅力です。もちろん下手な手術をすれば取り返しのつかないことになるのは言うまでもありませんが、この“分かりやすさ”もまた私の心にヒットし、心臓外科医として生きていくことを決断しました。
心臓血管外科医として歩みを進める中で課題に感じたのは、“自分の手術のクオリティ”でした。多くの手術を経験し専門医資格*は取得したものの、「まだまだ世の中の一流外科医とはほど遠いレベル差がある」と感じたのです。当時、私の描く理想の医師像は、期待される結果を難なく導き出すことができ、患者さんへも「私が手術をして必ず治しますから安心してください」と堂々と言える“本物の心臓血管外科医”でした。しかし、当時の私はそこまで言えるだけの自信がなく、術前の説明では合併症のリスクが強調されて伝わりがちで、患者さんを不安にさせてしまうことがありました。
どうすれば理想の心臓血管外科医になれるだろうか――そう考えていたときに出会ったのがドイツ・ザールランド大学病院 胸部・心臓血管外科のProf. Schäfersです。良好な長期成績を導き出す彼の手術をリアルタイムで見られる機会があり、そこで見たのはまさに私が理想としていた手術でした。冷静沈着でありながら、人に好かれる情熱的な一面も持ち合わせ、理論的な治療戦略、そして難易度の高い手術を短時間かつ素晴らしい手際で仕上げるその姿は、“本物の心臓血管外科医”そのものでした。「彼のもとで手術の勉強をしたい」と強く感じた私は、日本で10年以上の修行をしたところでドイツへの臨床留学を決意。ドイツ語の習得や数々の申請など高い壁がいくつも立ちはだかりましたが、年間400例以上の質の高い心臓・大動脈手術に参加でき、ドイツ医師免許を取得してからは執刀の機会も多く得られるようになりました。諸外国からも彼の手術を求めて患者が訪れるProf. Schäfersのもとで手術のコンセプトや流れ、手術手技、術後管理、ドイツ人の思考回路など非常に多くのことを学ばせていただき、4年ほど経ったころ日本に戻ってきました。
*3学会構成心臓血管外科専門医認定機構 心臓血管外科専門医
よく「患者さんが元気に退院する後ろ姿を見るのが幸せ」というのを耳にしますが、私のやりがいは“何年経っても感謝をしていただけること”にあります。帰国後は静岡の病院に戻って5年ほど勤務をしたのち、高知に来るため静岡を離れることになりましたが、その際は多くのお手紙をいただきました。中には、患者さんのお子さんから送られてきたものもあり、そこには7年前に私が手術をしたお父さんがこのたび老衰で亡くなったことと、おふたりからの感謝の言葉がつづられていました。また、長く診させていただいていた患者さんたちへは私から手紙を送ったのですがその翌週、私の外来に行列ができてしまうほど多くの方がご挨拶に来てくださいました。
もちろん患者さんが元気に退院される姿も嬉しく思いますが、こうして何年経っても覚えていてくれ、そして感謝をしていただけるのは非常にありがたいなと思います。そして何よりそれを伝えていただけるということは、それだけ接しやすい医師でいられた証かなと思えます。術後の検査結果は、あくまで医学的な評価でしかありません。たしかに良好な検査結果は重要ですし、医療者側からしたら成績表は「◎」かもしれません。ただ、“患者さんにとってよい医療だったか”“満足いただける診療だったか”は、また別問題です。その点、患者さんから直接感謝を伝えてもらえるということは、治療を担当した外科医として、そして人間としての“本当の成績表”をいただいていると感じますし、「あのとき、よい診療ができたのだ」と実感させていただけるときが外科医として一番嬉しい瞬間です。
最適解は正直今でも分かりませんが、外来では患者さんをできるだけ待たせないよう心がけ、手術の前には患者さんと必ず握手を交わします。心臓の手術を受けるという大きな決断をしていただいたわけですから、その気持ちにしっかり応えられる医師でいたいというのが私の思いです。
ドイツへの留学前から私の使命は“標準的治療の確実性と安全性を可能な限り高めること”だと考えていました。そして科のチーフとなった現在は、標準以上の手術ができて、人としての気持ちが理解できる人間味のある外科医を1人でも多く育てることが大きな命題です。日本では自分の生活の質を重視する傾向が高まってきたことなど、複合的な要因もあってか外科医全体が減少傾向にあり、心臓血管外科領域も例外ではありません。高知県の若い外科医の不足は喫緊の課題であり、このまま外科の不人気が続けば、やがて手術を受けるために県外に行かなければならない時代がやってくるでしょう。『手術をデザインする楽しさ、創造性、成長するプロセス、そして自らのスキルと洞察力を磨きながら状況に応じて適切な判断を下すことの達成感』――外科の魅力を医学生のときから当たり前に直接肌で感じてもらえるよう、実習においては“見て覚える”ではなく“感覚的な面も全て事細かに言語化して伝える”ことを大切にしています。
なお、大学病院などの医療機関で勤務する医師の任務は多岐にわたり、診療、研究、教育、そして対外業務の4本の柱があると考えています。“目の前の患者さんによりよい医療を提供すること”以外にも、“科学的な観点から将来の患者さんへの投資をすること”も伝えていかねばなりません。そして、“医学生や研修医、そして専攻医に理想的な教育を提供すること”も我々の任務です。医学部を有する県内唯一の大学病院として1人でも多くの“優秀な外科医”を輩出し、ひいては地域医療の安定化が実現できればと考えています。
診療においては、MICS(ミックス:低侵襲心臓手術)でも十分低侵襲な治療ができる時代になりましたが、潮流に乗るという意味では、高知県初のロボット心臓手術が可能な施設にすることも目標の1つです。日本ではロボット支援下手術が普及してきているものの、心臓手術のハードルは高く、行っている施設が限られます。
近年の新しい治療は外科医1人の技量や経験だけでなく、チームの成熟度が要求されます。それゆえ、皆で多くの情報と経験を共有し、円滑なコミュニケーションとリスペクトのもと、生き生きと笑顔で仕事ができ、互いに高め合っていける組織の整備が大切だと考えています。その先では自ずと、洗練されたハートチーム(心臓疾患の診療チーム)の継続と、教育・研究そして診療において、高知県唯一*の特定機能病院の役割が履行できるでしょう。
これから外科医を目指す中高生への『外科の魅力』の啓蒙活動も含め、引き続き努力を重ねてまいります。
*2024年8月時点
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