これまで私は、崇高な志や高いモチベーションとはあまり縁がない人生を過ごしてきました。何にも気負わず1日1日を一生懸命に過ごすこと。これを自身のモットーにして、生きてきたからです。
私は幼い頃から、動物が好きという理由で獣医に憧れを抱いていました。しかし進路選択が迫る高校2年の冬のこと、当時の担任教師に「きみの成績なら医学部へ行ける。それ以外に行くのはもったいない」と諭されたのです。その中で担任教師は「人間も獣だ」と言ってくれたのですが、私はその言葉に妙に納得してしまい、「生き物を扱う仕事がしたい」と東京大学の医学部に進学しました。
「生き物を扱う仕事がしたい」という広い視点から入った大学ですから、興味の対象ももちろん広いわけです。私は学生生活で大いに学び、大いに遊びました。何かにつけて「社会勉強」と称し、遊びに連れ出してくれた島田眞路先生と過ごした時間は特に印象深く、彼は私にとって偉大なる遊びの師匠といえます。
そして1977年3月、医師として進むべき診療科を決める時期がやってきました。「目でみて判断のつく診療科がいい」と思っていたので、「基礎なら病理、臨床なら整形外科か皮膚科だろう」と見当をつけるうち、皮膚科は経験を積むほどに診断能力が上がることを知ります。
そんなとき、遊びの師匠である島田先生から「中川くん、コーヒーを1杯ご馳走するから皮膚科に来てみないか?」と半ば冗談のような言葉で誘いを受けます。経験と診断能力がリンクする世界に心惹かれている状況だったので、それをきっかけに、私は自然と皮膚科に入局する決心をしました。
東京大学医学部の皮膚科に進んだ私は、まず大学病院に配属されました。当時は外来が週に6日、夏には1日に400人の患者さんが押し寄せる大忙しの診療科でした。先輩からは医師としての基本を学び、ベテラン看護師さんには臨床現場のいろはを厳しく鍛えられました。指導医の先生がたは鋭い眼光で、患者さんを次々と正確に診断していきました。私はそのような先輩医師の姿に驚き、尊敬の念を抱いたものです。実践的でスピード感のあるその診療は、まさに皮膚科で臨床を行う醍醐味であるとも感じました。
医局の教育方針が「自ら勉強し、考える」だったので、自らも積極的に勉強し、徐々に一人前の医師に成長しました。その後、当時の教授陣に勧められ色素細胞の研究を始めた私は、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院へ留学することを決めました。
1981年からの2年半、私はハーバード大学マサチューセッツ総合病院で色素細胞の研究に没頭しました。アメリカの歴史が始まったボストンという土地で異文化に触れる留学生活は、新鮮で楽しいことの連続でした。
そして何より、医学界で高名なトーマス・B・フィッツパトリック教授との出会いは、私に大きな影響をもたらしました。私はフィッツパトリック教授のもとで研究に明け暮れつつも、彼から医師としての考え方や患者さんの診断方法を深く学んだのです。そして、彼が教えてくれた臨床と研究のマインドは、自らが教授となった今でも、大いに役立っていることを実感します。
冒頭でお伝えしたように私は崇高な志よりも、毎日を一生懸命に生きることを大切にしてきました。しかし一人の医師として、病院として、わざわざ病院に足を運んでくださる患者さんには、「この病院に来てよかった」と感じてもらいたいといつも思っています。他の病院で説明が十分になされず、不安な気持ちで来院される患者さんには、丁寧に説明をするだけでも心理的な負担が減ります。大切なポイントを押さえて、患者さんと的確にコミュニケーションをとる。それが患者さんの満足につながり、よい医療へとつながるのだと考えています。
1日1日を懸命に過ごして、その日の終わりに美味しいお酒を飲みながら「今日はたいへんだった、けれど楽しかった」と思える時間には、大きな達成感が伴います。現在指導に当たる皮膚科講座では、飲みニケーションの場を多く設けており、学生たちから様々な話を聞くよい機会になっています。積極的に時間を共にすることで、教室員の交流が深まり、仕事の相談も気軽にできるようになります。このようにして、これからも教室員一人ひとりがやりがいを持てるような、楽しい教室が続くことを望んでいます。
これまで私は教授として、教室員の多様性を重視し、皆が楽しくやりがいを持てるような教室作りに専念してきました。しかし私は2018年に退任を控えており、教授として過ごせる時間も残りわずかです。教室で成長した医師たちが立派に活躍する姿を思い返しながら、私は医師として幸せな人生を過ごせたことに感謝しています。
私はこれからも、患者さんが満足できるよう、教室員が楽しく過ごせるよう、自分のやるべきことを成し遂げます。そして教室員には皮膚科診療の面白さを感じながら、医師として充実した毎日を過ごしてもらえたら本望です。
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