倒れている人がいるときに、その人の命を救う医者になりたい

横浜市立大学外科治療学(旧第一外科) 主任教授
益田 宗孝 先生

倒れている人がいるときに、その人の命を救う医者になりたい

苦難を乗り越え、心臓外科医として再び立ち上がった益田宗孝先生のストーリー

公開日 : 2017 年 11 月 07 日
更新日 : 2017 年 11 月 07 日

診療にひたむきな父の姿をみて医師を志す

私が医師を志したのは、医師である父の影響が大きいです。家系には昔から医師が多く、祖父・祖父の弟・父など医師に囲まれた環境で育ってきました。

父は耳鼻科医でした。幼い頃から、急患が来たと毎晩のように叩き起こされ、慌ただしく診察に向かう父の背中をみてきました。そんなひたむきな父の姿は「自分も医師になろう」と思わせるのには十分で、自然と医学部への進学を決めました。

バスケットボール部での恩師との出会い

大学では、中学からずっと続けているバスケットボール部に入部しました。日々の医学の勉学とともに、練習にも力を注ぎ、2年生のときには医学部の大会で全国優勝を果たしました。

当時のバスケットボール部の部長は、心臓血管外科の教授をされており、後に私の恩師となります。誰からも尊敬され、そして愛される先生で、私自身が現在心臓血管外科医でいられるのも、その先生からの影響が大きくあると思います。今でも折りにふれてその先生を思い浮かべては「あんな教授になりたいな」と思います。

心臓血管外科医の道へ

人の命を救いたいと思い心臓血管外科医を志す

私が外科の道に進んだ理由は、「倒れている人がいるときに、その人の命を救うことができる医者になりたい」と強く思ったからでした。

学生時代、私は整形外科医になるつもりでした。しかし整形外科で研修を行うなかで「整形外科医では人の命と向き合う場面は少ないのではないか。医師であるからには命と向き合いたい」と感じたのです。

 

外科にも消化器、呼吸器、心臓血管、脳神経などあらゆる領域があります。そのなかで心臓血管外科を選んだ理由は、バスケットボール部の部長をしていた教授の影響も大きかったのですが、「嘘がつけない」という自分の性格もありました。

当時の外科はがんを告知しない時代で、がんの患者さんに「胃潰瘍です」と伝えることは自分にはできないと感じたのです。心臓血管外科であれば、患者さんに嘘をつくことなく診療や手術ができると思い、心臓血管外科医の道を歩み始めました。

月月火水木金金。休みなく働く!

私の恩師のモットーは「月月火水木金金」でした。つまり、土日という概念などなく休みなく働くということです。

ボスがそういう働き方でしたので、部下である私たちの働き方もそれに倣えです。実際に日曜日の午後に帰宅できれば十分、と感じるくらい忙しい毎日が続きました。当時は若手医師に手術を執刀させるという風土がほとんどなく、若手の仕事といえば術後管理が主でした。卒業後なんと10年もの間、このような生活が続きました。率直に、これから先もこのような生活を続けていける自信が持てず、疲れ果ててしまった私は、逃げ出すような形で海外への留学を決めたのです。

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横浜市立大学外科治療学(旧第一外科) 主任教授

益田 宗孝 先生

1980年より心臓外科医師としてキャリアをはじめる。2006年には横浜市立大学外科治療学(旧第一外科)主任教授に就任。心臓血管外科を小児から成人まで幅広くこなし、2013~2017年は日本胸部外科学会理事。2016年より横浜市立大学附属市民総合医療センター副院長。

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