「ファロー四徴症」という言葉はフランス人の医師、ファロー氏が19世紀末に多くの症例から4つの特徴を最初に報告したことにちなんで呼ばれるようになりました。日本では1956年に初めて人工心肺を使った手術が行われました。その歴史について国立循環器病研究センター小児心臓外科部長の市川肇先生にお話を伺いました。
ファロー四徴症についての歴史は古く、1672年にデンマーク人の医師ニールス・ステンセン氏が4つの徴候をもった症例についてすでに報告していました。ステンセン氏は後に司祭になり「心臓は魂ではなくただの肉の塊に過ぎない」と記した論文を発表したことでも知られています。1888年、フランス人の医師であり病理学者でもあるファロー氏が、50人ほどの患者さんの症例数を集めて、心臓に4つの徴候が見られることをまとめ、報告します。しかし、その後数十年間見返されることはありませんでした。
20世紀に入ってから、先天性心疾患の病院の母ともいわれるモード・アボット氏がファロー氏の論文を引用し、またアメリカ心臓協会(AHA)の創設者の一人でもあるP.D.ホワイト氏もまたファロー四徴症という言葉を使って論文を書いたことでファロー氏の名前はその没後に一躍知られることとなりました。
その後、治療法の開発が進んでいきます。小児科の女医であるヘレン・トーシッヒ氏は外科医のアルフレッド・ブラロック氏とともに、鎖骨下動脈を肺動脈に吻合する(シャント:交通路)「ブラロック・トーシッヒシャント(BTシャント)」という手術を完成させました。このときの手術のアシスタントであり、犬を使って実験をした人がヴィヴィアン・トーマス氏です。黒人で初めて手術をした人で、「Something the Load Made」というタイトルでテレビドラマ化されています。
最初にBTシャントの手術が行われたのが1944年。生後19カ月で手術を受けたその女児は3歳で亡くなってしまいますが、それでも少し長生きできるようになりました。その後、肺血流を増やす手術はBTシャント以外にも開発されましたが、やはり心臓の中を治す心内復手術をしなければ根治にはつながりません。他人の心肺を借りて血液を循環させながら手術を行う交差循環法を経て、1955年にウォルトン・リリハイ氏が人工心肺による手術を初めて成功させたことで、本格的な治療体系が確立されました。日本においては、国立循環器病研究センターの2代目総長でもある曲直部寿夫先生が1956年に国内で初めてファロー四徴症の手術を行いました。
国立研究開発法人 国立循環器病研究センター 小児心臓外科
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