DOCTOR’S
STORIES
技術と知識を磨き続け、後進の育成にも取り組む前田賢人先生のストーリー
中学、高校生の頃は、城山三郎の「官僚たちの夏」や司馬遼太郎の「坂の上の雲」などに影響を受け、なにか大きな仕事をしたいと志していました。官僚になることも考えましたが、京都大学医学部や京都府立医科大学の教授を親に持つ同級生たちの話に影響を受けて、医学部進学を志すようになりました。その中でもとくに医学研究者に対するあこがれが強くなっていきました。
京都大学医学部時代、同級生の中にはすでに研究室に出入りして論文を書いている学生もいましたが、私は高校時代の受験勉強の反動もあって、剣道三昧の毎日で、当初の基礎医学研究志望から一転、現実的な選択として臨床系へ進むことを決めていました。中でも外科を選択したのは、「手術」に対して、大きな魅力を感じたからです。それというのも、手術は、自分の技術によって治す治療法です。責任と大きなやりがいを感じます。外科のなかでは脳外科や心臓血管外科も選択肢にありましたが、より幅広い疾患への対応が求められる一般外科を選びました。
私は京都大学体育会剣道部で、西善延先生という高名な先生から指導を受けました。西先生は数年前に亡くなられましたが、よく口にされていた「運鈍根(うんどんこん)」という言葉が今も印象に残っています。その言葉には、「人が成功するためには、幸運、鈍いくらいの粘り強さ、根気強さの3つが必要である」という思いが込められています。そのなかでもとくに「鈍」に関して、「器用過ぎないほうがよい。ちょっと鈍いくらいのほうが大成するのだよ」と西先生がおっしゃったことが、とても印象に残っています。私が日頃行っている手術に関しても、その場の思いつきのような手技を器用に行うよりも、基本に忠実な手技を実直に繰り返すほうが、間違いのない確実な手術ができるのだと思っています。
京都大学腫瘍外科では、直属の上司であった嶋田裕先生の影響を大きく受けました。嶋田先生は、手術の際にとった細胞をシャーレで培養し、培養細胞として安定させる(樹立させる)ことを非常に得意としている先生です。嶋田先生の食道癌細胞株「KYSE series」は、国内外を問わずさまざまな研究に使用されてきました。
私が助手として在籍していた当時、嶋田先生は講師でおられ、ペアで食道がんを担当していました。嶋田先生はどんなに忙しくても朝夕の回診を欠かさず、どんなに疲れているときでも研究室に行って培養細胞のメンテナンスを行っていらっしゃいました。臨床も研究も一切手を抜かないスーパーマンのような先生です。嶋田先生のお姿から、臨床も研究もどんなことでも、手を抜かず、粘り強くやり遂げることの大切さを学びました。
1991年に静岡市立静岡病院へ研修医として赴任したときに、外科科長の内藤先生と出会いました。内藤先生は、まだ40代でありながら、非常にオーラのある方でした。手術は速く、出血量も少ないという高い技術力を持つ先生で、無輸血手術*が脚光を浴びていた当時、それを上回るようなアルブミン*を使用しない無アルブミン輸液手術を掲げるような強い信念をお持ちでした。私は自分の信念を貫く内藤先生の強さに、大きな影響を受けました。
内藤先生のあとで当院に赴任された宮下正先生は、内藤先生とは異なるタイプの医師だったので、短期間に2つの病院にいたような経験をすることができました。宮下先生は手術で用いる器具にこだわりがあり、緻密かつダイナミックな手術が印象的でした。局所的にとても進行したがんの患者さんでも、時には血行再建を駆使して、果敢に切除を行うことにより、術後に再発せず、治癒された方が何人もいらっしゃって、手術のテクニックの大切さを身に染みて学びました。
*無輸血手術…可能な限り出血を抑え、感染症や副作用を防ぐために他者の血液を輸血しないようにする手術のこと。
*アルブミン…低用量性ショックや高度の浮腫に対して有効とされる血液製剤のこと。
大学院時代、私は基礎の教室に出向していました。月田承一郎先生・早智子先生がご夫婦で運営する細胞生物学の研究室で、細胞接着や細胞骨格の研究をされていました。その研究室で、教科書が書き換えられるような新しい発見の現場に居合わせることができたことは、とてもエキサイティングな経験でした。
その後、京都大学医学部附属病院で、3年間臨床医として勤めた後で、もう一度基礎研究に打ち込みたいという思いから、アメリカへ研究留学しました。朝早くから明け方近くまで実験していることもしばしばあり、研究に没頭した3年間でした。思うような成果は得られませんでしたが、それなりに充実した研究生活を終えた私は、これからは臨床で生きようと決心しました。
30歳代の10年間は研究に費やした部分が大きかったのですが、研究者としての発想や考え方などは、臨床医としての今に生きている部分も多いように感じます。たとえば、臨床では直感的に判断しがちな部分もありますが、「はたして本当にそうなのか」「なぜそのようなことが言えるのか」と論理的に考えることも重要です。そのような部分については、研究者として論理展開のトレーニングの経験をしたことが、非常に役立っています。このように、研究と臨床では異なる側面があるので、その両方を経験したことは無駄ではなかったと実感しています。
手術は、外科医が自らの手で治す治療であり、そのために、外科医には素早い決断力が求められます。そこに責任とやりがいを強く感じることが、私が外科医を続けていく原動力となっています。通常の定型的な手術よりも、救急外来などで緊急手術を決断する際などに、とくにそのことを強く意識します。
緊急性があり、かつ定型的ではない困難な手術では、手術中に決断を迫られる局面が多々あります。誰もが同じ判断を下すとは限らない、あるいは同じようにできるとは限らない局面です。そういった手術を無事に終え、患者さんがよい経過を辿るときには大きな達成感があります。
日々の診療のことから、診療科としての大きなことまで、さまざまな出来事を通して達成感を感じます。前者でいうと、たとえば手術が無事に成功したときや、治療を終えた患者さんが「ありがとうございます」と言ってくださり、元気に退院される姿を見るときは嬉しく思います。
後者でいうと、新しい術式を導入することには強い緊張を強いられます。2012年に胸腔鏡下食道切除術を導入した際は、導入前に、他院へ手術見学に行ったり、ビデオを見たりして、さまざまな下準備をしてから手術に臨みましたが、どんなに準備をしても不安に襲われました。それでも、大きなトラブルなく軌道に乗せることができ、大きな達成感を味わいました。
よい医療とは、病気そのものを治すことだけでなく、患者さんの満足を得られる診療のことだと思います。どんな治療を受けたいのか、病院でどんな風に過ごしたいのかといったご希望は、患者さんごとに一律ではありません。たとえ治療が困難な病気であっても、患者さんのご希望を伺い、その患者さんに適した医療を提供することで、満足感をもっていただくことは可能です。
また、個々に応じた医療を提供するためには、患者さんの訴えをよく聞いたうえで診療していくことが大切です。診察時間が短いことを不満に思う方はいらっしゃっても、「診察時間が長すぎる」とおっしゃる方はそういないでしょう。なるべく、目を見て話すことが大切です。馴れ馴れしいのはよくありませんが、フレンドリーな接し方は大事だと思っています。しかしながら、診療のベースに確かな技術・知識が必要なことは言うまでもありません。
当院の外科専門研修プログラムは、当院のほかに、市立島田市民病院、浜松労災病院、静岡市立清水病院、静岡県立こども病院という5病院から研修先を選ぶことができ、本人の希望に応じてローテーションできるプログラムになっています。たとえば、市立島田病院は呼吸器外科、浜松労災病院は心臓血管外科を有しているなど、各病院にそれぞれの特徴があります。静岡県立こども病院にも参加していただいているので、小児外科の症例も獲得することができます。
2015年に外科・消化器外科主任科長に就任して以来、医師だけではなく、看護師などのほかの医療職も含めて、すべての職員が仕事をしやすい環境づくりに配慮したいと考えています。
また、経験症例の適切な配分には苦慮するところですが、将来、どんな病院でも役立てる外科医になるために、専門性を持ちながらも、ある程度オールラウンダーとしてやっていけるようになってほしいと思っています。当院では若い方の勉強になるような症例も多いです。ぜひ、当院で多くの症例を経験していただければと思います。
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静岡市立静岡病院
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