ただ、目の前の患者さんのためにできることを

「ただ、目の前の患者さんのためにできることを」

患者さんにも自分自身にも正直に向き合う千原幸司先生のストーリー

地方独立行政法人 静岡市立静岡病院 呼吸器外科 非常勤医師

千原 幸司 先生

正義感の強い少年時代。医師を意識したきっかけは父母の一言

私は子どもの頃(今でも)、自分の思ったことをそのまま口に出す癖がありました。

幼い頃は、よく言えば正義感が強く、ありていに言えば独りよがりな性格の少年でした。

母親には、社会人になってから会社勤めができるのかとよく心配されていました。そしてあるとき、「あんたは普通には勤まらん、医者のような仕事が向いとるばい」と母は言いました。何気ない一言でしたが、この母の言葉は、不思議と耳に残っていました。

もうひとつは、終戦からずいぶん月日が経って、やっと日本へ帰国できる船に家族親戚ともども乗っているとき、体の弱った日本人のケアをする1人の医師をみた父が、「自分に子どもができたら1人は医者にしたいと思った」、と言ったことです。

この父と母の言葉は、私の人生に大きな影響をもたらすことになったのです。

精神科医を夢見た青年期―突如外科に方向転換した理由は?

幼少期の頃の父と母の言葉は漠然と頭に残っていました。そろそろ進路を決めなくてはいけない高校2年の頃、とりあえず3年生は理系コースを選ぶ一方で、新聞記者やNHKの記者になりたいな、とも考えていました。しかし、身近に病気を患った人がいたこともあり、医師もいいかな、なるのであれば精神科医になろうかな、と考えるようになりました。

京都大学に進んだ兄の影響もあり、場所は京都、学部は医学部、ふたつのキーワードの帰結から京都大学医学部志望となりましたが、出願の取りまとめをしてくれる担任の先生もクラスの皆も私が願書提出の大学名を述べると、どっと明るく大笑いで盛り上がりました。成績と志望がかけ離れていたからです。今風に言えば、「マジかよ!」です。

私は、「いやいや、今年じゃなか、2年後ばい」と口走って熊本を離れ、京都の予備校で2年間勉強に没頭しました。

3度目の入試はいつもながら国語で始まりましたが、苦手だった古文の出題分が偶然、直前にやった添削問題と同じ古典からの出題だったので波に乗って受かってしまいました。

入学後はラグビーとアルバイトと試験直前のやっつけ勉強と、ときどきデモに参加する日々でした。読む本は社会科学や文学など、自然科学とは遠いジャンルがほとんどで精神科医になることを意識していました。

そろそろ進路を決める時期の大学5回生のとき、ふと自分自身について振り返ってみました。私は話すことが好きで、どちらかというと話し手側に回ることが多いタイプです。

しかし、ポリクリ(外来実習)で診療科を回って見学すると、精神科医に求められる能力はこれと真逆で、患者さんの話をじっくりと聞き、患者さんのあらゆる悩みを受け入れ、思いやる想像力が必要だと感じました。

そのようにして考えたとき、私のようなアウトプット型の人間は精神科医としては向いていないのではないか、そして「精神科医として患者さんを治療することが難しいのであれば、自分のちからをアウトプットし患者さんの全体をみて治療する科、麻酔科や外科に方向転換したほうがいいかもしれない」と考え、外科学教室の入局説明会に参加しました。

ところが、私は教官側と交渉や対峙する場面もあったことから、集団面接の場で主任教授から「外科医にもっとも大事なことは協調心だ!」と、説教が始まりました。

母校の外科学教室は私の肌に合わない、これ以上ここにいても意味がないと思った私と仲間5人は面接から退席しました。

直感で決めた胸部外科への道

説明会の後、どこへ行こうかなと考えながら、京都大学結核胸部疾患研究所(略称:胸部研、現・京都大学医学研究科器官呼吸器外科学講座)に足を運んでみました。

胸部研は本院と道を挟んだ区画に精神科、らい研究所、ウイルス研究所と共にありました。

太陽もすっかり沈んだ夕暮れ時のある日、面会の約束をしていた胸部外科学教室を訪問し、薄暗い教授室に足を踏み入れると、そこには寺松 孝先生(当時胸部外科学部門2代目教授)の後ろ姿がありました。

寺松先生の後ろ姿を見た瞬間、直感的に「ここでいい」と決めました。寺松先生の後ろ姿が、大学1回生の夏にラグビー部の先輩のつてで住み込みで働きながら体を鍛えて生活を楽しんだ北海道根釧原野の乳牛牧場のおじさんの後ろ姿にそっくりだったからです。おじさんとの仕事はとても楽しかったのです。はたからみると理解しがたい判断基準かもしれませんが、こうして、私の進路は決まりました。

胸部外科医としての礎を築いた静岡病院での多忙な日々

京都大学結核胸部疾患研究所で研修医としてのびのびと過ごした1年後、静岡市立静岡病院胸部心臓血管外科で臨床を学び始めました。

病院での研修期間は多忙を極めました。エネルギーと時間の9割を心臓外科臨床に、残りを呼吸器外科の診療に注ぎ、胸部外科医としての修行に明け暮れる毎日に休日はほとんどなく、病院に寝泊まりする生活が延々と続き、自分の子どもたちとゆっくり顔を合わすこともできませんでした。朝、数日分の下着を持って出る私に、4歳の息子が「おじさん、また来てね」と手を振る生活でした。

しかし、がむしゃらに臨床に挑んだこの3年9か月が、外科医としての土台を形成してくれたと思っています。

呼吸器外科医としての道を推し進めた3人の患者さんとの出会い

異動したJCHO滋賀病院で、その後の自分の進路を決める3人の患者さんに出会いました。私は、それぞれの患者さんの診療を経験して3つの臨床研究を開始しました。

1つめは、交通事故による多発肋骨骨折の患者さんに対する肋骨ピンによる胸壁再建の意義を評価するために思いついた、胸部X線レントゲン写真連続撮影による横隔膜・胸郭運動評価法。

2つめは、わずかな動作で息苦しくなる巨大肺嚢胞+肺気腫の患者さんに対する肺を縮小する手術(気腫の外科)の試行。

そして3つめは、重症肺気腫の患者さんに対する陰圧式人工呼吸器による換気補助です。

1つめの研究はさまざまな呼吸器疾患の換気力学の研究につながりました。

2つめの研究は、留学後、静岡病院に再赴任して1995年に開始した肺気腫に対する外科治療(気腫肺減量手術、Lung Volume Reduction Surgery, LVRS 1994~ Cooperら)につながりました。

3つめの研究は、静岡病院で使用したことがある胴鎧型(cuirass)陰圧式人工呼吸器を取り寄せて試したところ効果が得られたことから研究を開始しました。

静岡病院には1960年代~1980年頃に使用された「鉄の肺」が1台所蔵されています。巨大なタンクに患者さんが体ごと入り、タンク内の空気圧を変化させることで、他動的に呼吸を手伝うことができます。2019年3月現在ではほとんど用いられていませんが、当初はポリオで呼吸器麻痺に陥った患者さんの治療に重要な役割を果たしました。ヒトの呼吸と同じ陰圧式が特徴です。鉄の肺をヒントに呼吸機能の温存や改善、補助に関してもっと研究を進めてみたいという思いから、河原崎茂孝先生と共に、American College of Chest Physician(ACCP)の受賞論文となる「自発呼吸を感知して作動するcuirass型陰圧式人工呼吸器の開発と臨床応用」の研究につながることになりました。研修医の頃に静岡病院で鉄の肺とcuirass型陰圧式人工呼吸器に出会わなければ、3つめの研究はなかったかもしれません。

「鉄の肺」展2015 静岡病院にて。左が鉄の肺、右が千原先生らが開発した呼吸同調式cuirass型陰圧式人工呼吸器
「鉄の肺」展2015 静岡病院にて。左が鉄の肺、右が千原先生らが開発した呼吸同調式cuirass型陰圧式人工呼吸器
千原先生らが開発した呼吸同調式cuirass型陰圧式人工呼吸器
千原先生らが開発した呼吸同調式cuirass型陰圧式人工呼吸器

結果がすべての世界だからこそ、患者さんに正直でありたい

私が医師として大切にしていることは、「患者さんに正直に、公平に接すること」です。

これまで呼吸器外科医として、4000人以上の患者さんを手術してきました。そのなかには、自分の未熟さや力不足が原因で期待に応えられなかった患者さんもいらっしゃいますし、治療の甲斐なく亡くなってしまった方もいます。

非常にハイリスクだけれども、手術から術後の病態生理が最善の予測どおりであればよい結果にたどり着けると合意して、手術に臨んだものの、術後の病態が予測から少し外れて呼吸困難に苦しむ患者さんに「騙された」と言われてしまったこともあります。

私は、手術は「いくさ」だと思っています。最前線で戦う患者さんが無事に凱旋できるように、私たちのチームが後方支援部隊にもなります。指揮が不適切であれば討ち死にになります。

外科医の世界は結果がすべてで、手術の責任は指導者と執刀医にあります。患者さんは、執刀医に自分の命を懸ける思いで手術に臨んでいますから、その気持ちには手術の結果でこたえなければなりません。

極端な話、結果が異なれば、それは「噓つき」と同じようなものなのです。だからこそ私は、患者さんにいつも正直でありたいと思っています。

すべての患者さんに公平な医療を提供し、手術の結果は正直にお伝えする。自分自身が、これならば受けてもよいと思える治療を実現する。当たり前のようにも思えますが、結果がすべての外科の世界では、何よりも大切なことだと考えています。

ただ、目の前にいる患者さんのために

千原先生

出会った患者さんの診療上の課題を追いかけていくうちに、呼吸機能と補助、肺気腫ならびに呼吸器悪性腫瘍における外科治療が研究テーマとなり、若手時代から現在まで長年にわたり診療を行ってきました。折々に、先に述べた3つのテーマに関する呼吸器外科治療に関する書籍も出版しました。

これまで心臓外科に呼吸器外科、呼吸の病態生理、最近ではリハビリテーション科と、臨床では医師として比較的多くの分野にかかわってきたほうだと思います。

一見すると、不思議に思われるかもしれません。目の前の患者さんの体にある未解決の問題を解決しうるよりよい方法を考えて試行してきた成り行きだと思います。

私は、目の前にいる患者さんの思いに応えられればそれでよいと思います。これからも患者さんのために、医師として全力を尽くしていきたいと考えています。

静岡市立静岡病院 外科専門研修プログラムの特徴

当院外科専門研修プログラムは、「外科とサブスぺシャルティをどうつなぐか」をテーマにしています。外科領域全般から、消化器外科、心臓血管外科、呼吸器外科、小児外科、乳腺外科、内分泌外科などのサブスペシャルティまたはそれに準じた外科関連領域の専門研修を行うことで、各領域の専門医取得を目指すことが目的です。

呼吸器外科重点コースでは、静岡市立静岡病院と市立島田市民病院の2施設での研修、またはこれに加えて静岡市立清水病院・浜松労災病院のいずれかを含む3施設で研修を受けることになります。

複数の施設で研修を行うので、若手の呼吸器外科医も年間100例近い手術を経験できることが本プログラムの特徴です。

当科は年間約200例の手術件数なので、しっかり研修に取り組めば、呼吸器外科専門医取得に必要な手術実績を1~2年でクリアすることも不可能ではありません。

興味のある方は、一度お問い合わせのうえ、見学にいらしてください。患者さんに向き合うことのできる方を、1人の先輩医師として応援します。

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