患者さんと正直に話し合い、まっすぐに向き合う

DOCTOR’S
STORIES

患者さんと正直に話し合い、まっすぐに向き合う

生命の根源にかかわる産婦人科の領域で、日々の診療に尽力する奥 正孝先生のストーリー

地方独立行政法人市立東大阪医療センター 元副院長
奥 正孝 先生

1995年から東大阪で勤め、日々の診療に向き合ってきた

生まれは忍者の里として知られている三重県伊賀市です。真偽の程は定かではありませんが、母方の家系をたどっていくと百地家とも関係があると聞いたことがあります。

奈良県立医科大学産婦人科大学院を卒業後に通称“子宮筋グループ”という研究グループを引き継ぎ、分娩が開始するメカニズムを探るために、ヒトの子宮筋の培養を確立して女性ホルモンが子宮筋の収縮に与える影響を研究していました。

阪神淡路大震災の発生した年に、医局人事で東大阪市立中央病院に赴任しました。研究生活は終わり、診療と会議に終始する日々が始まりました。ふと気がつけば、すでに還暦を過ぎていました。

東大阪市立中央病院に着任後、当時としては先駆的でニッチな領域の特殊外来をいくつか作りました。東洋医学に興味があったので漢方薬とホルモン剤の組合せによる治療を基本としたホルモン外来、痩身外来、美肌外来、リウマチ・骨粗鬆症外来を開設しました。

すると、近隣の医院からも紹介していただけるようになり、たまたま処方した漢方薬が気に入ったのか、現在でも通院されている患者さんがおられます。大学にいる頃は、漢方薬は長期間飲まないと効果がないと聞いていたのですが、過敏性腸症候群に対する桂枝加芍薬湯や打撲に対する治打撲一方、歯痛に対する立効散など、短時間でも効果が現れる薬剤があり、現在では必要に応じて、初診時に西洋薬より漢方薬を処方することが多くなりました。

当院は地域周産期母子医療センターですので、ハイリスクの妊婦さんもたくさん来られます。慎重に管理していても一定の割合で予期せぬ事態に遭遇します。

15年ほど前のことですが、分娩時の大量出血の結果、長期にわたり人工呼吸が必要となった患者さんを3名受け持ったことがありました。経過が芳しくないため昼夜を問わず勤務する生活が3か月近くに及びました。毎日、同じ悩みにとらわれて思考が堂々巡りするようになったので、現状打開策を求めて心理学や宗教に関するたくさんの本を読みました。たまたま出版案内を見かけてふと注文した中村天風の『成功哲学三部作』の中に“恐れず、怒らず、悲しまず”“正直、親切、愉快に”という言葉を見つけました。現状に対して“恐れ、怒り、悲しみ”などの感情を与えたのは自分自身であるという認識が腑に落ちて、自分の感情を客観的に観察するとともに、できるだけ“正直、親切、愉快に”あろうと努めております。

患者さんの「ありがとう」という言葉は、本当に嬉しい

何かの拍子にふと脳裏に浮かぶ患者さんがおられます。そのうちの一人を紹介させていただきます。

初診時の年齢は50代前半で、遠隔転移を認める卵巣がん(IV期)の診断で紹介されました。完治することが難しいことを伝えたところ、「今後、どのように過ごしたらいいのでしょうか」と聞かれました。不遜にも「今をにこにこしながら過ごすことを意識されてはいかがでしょうか」とお答えしてしまいました。

それ以降、診察室ではいつもにこにこされていたので、こちらもあえて不安をあおるようなことを言わずに標準的な治療を続けました。初回治療後の再発もなく、お守り程度で行ってきた維持療法を7年目に終了しました。

もう大丈夫と思っていたのですが、残念ながら1年後に再発されました。抗がん剤も効果がなく、残された時間を自宅で過ごす選択をされました。

数か月後に、「最期はここでお願いします」と言って戻ってこられました。在宅中は、夫に料理、掃除、洗濯などの家事の指導をしていたそうです。数日後に「ありがとう」という言葉を残して旅立たれました。

いろんな患者さんと接してきて、がんは心と深く関連する病気だと思います。

医師を目指したのは、純粋な憧れから

20年ほど前に小学校の同窓会がありました。タイムカプセルを開けたところ、“将来は博士になりたい”と書いてありました。研究者に憧れていたようです。

中学生になって、技術家庭で学んだハンダ付けが気に入ったのか電子工作に興味を持ちました。音楽が好きだったのでオーディオの世界に引き込まれ、雑誌『無線と実験』(誠文堂新光社)に掲載されていた『夢のリスニングルーム』という連載に憧れ、いつかは自分も大音量でロックが聴ける部屋が欲しいと思うようになりました。高校2年生の夏休みに日本橋で真空管に見入っていたところ、店内におられた大阪市立大学医学部の教授に声をかけていただき、当時の大学病院内を案内していただいたことがありました。医師になってリスニングルームで音楽を聴いている自分をイメージし始めたのはこの頃かもしれません。先生とは今でも年賀状のやりとりをさせていただいております。

現『MJ 無線と実験』

生命の根源にかかわる、産婦人科という領域

生命の根源にかかわる産婦人科という領域

生老病死のすべてにかかわるのは産婦人科の特徴です。生というのは驚くべき現象です。大地を構成している物質が変容することにより生まれたたった一つの細胞の中に、生きていくためのすべての情報が入っているのです。

体の中には、およそ100兆個の細胞があるといわれています。一つ一つの細胞が数え切れないほどの作業を行いながら、他の細胞が何を行っているかという情報を即座に受け取り、全細胞が協調することにより生体を維持しているのは驚き以外のなにものでもありません。

我々人間は、自由意志により他人とは分離して行動していると思っていますが、偶然とは言いがたい出会いや出来事に遭遇するたびに、お膳立てしてくれている何者かの存在を感じます。精神世界や自己啓発などの書籍には“大いなる存在”とか“意識”のはたらきであると表現されていますが、ユングが提唱したような集合的無意識のレベルですべての人がつながっており、リアルタイムで情報交換がなされているのかもしれません。

集合的無意識:スイスの精神科医、心理学者カール・グスタフ・ユングが唱えた概念で、個人を超えた段階にある、古代から継承された万物に共通の無意識のこと

最近、人生観が変わった——“もっと自由に”生きてみよう

数年前までは、苦しい局面においては激流に流されないように川底の石にしがみつくように対処してきました。そのせいか逆境に強いとよく言われたのですが、決して逆境を望んでいたわけではありません。

2016年の夏から1年ほどの間に、妻や両親が次々と他界しました。妻は「頑張らずに好きなことをしたほうがいいよ」と言って去っていきました。

全員の3回忌を終えたので、ぼちぼちこれまでの出来事を自分の中で整理して、残りの人生をどう生きるか考え始めたところです。

チームのスタッフと共に、患者さんとまっすぐに向き合い続ける

現在、当院の産婦人科には、8名の医師が在籍(2019年11月時点)しています。うち7名が10年から30年近く一緒に働いてきたメンバーです。無意識のレベルでつながっているのか、緊急帝王切開が決定された場合などには、どこからともなくスタッフが現れて、関連部署への連絡、各種オーダーの入力、患者対応など誰が指図するわけでもなく準備が進み、昼間であれば30分程度で執刀できる準備が整います。

いろんな状況においても、辞めることなくここまで続けてこられたのは、宇山圭子(うやまけいこ)先生をはじめ長年苦楽をともにしてきたスタッフのおかげだと深く感謝しております。

チームのスタッフと共に
チームのスタッフと共に

 

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