DOCTOR’S
STORIES
脊椎疾患を専門とする医師として努力を重ねながら、患者さんに真摯に向き合う大堀 靖夫先生のストーリー
小学校に入る前のことですが、鼻血がしょっちゅう出るということで血液の病気を疑われて、1学期の間入院をしていたことがあります。父が出張で家におらず、母と2人のときに洗面器いっぱいに出血してしまって病院に搬送されたのです。そのとき、子ども心に「死ぬのではないか」と思ったのですが、それを先生に救っていただいて。
この体験が心の中にあって、進路を選ぶときに人を助けることができる医師になることを決めたのだと感じています。また、6歳上の姉が看護師をしていて、医師になることをすすめられたことも影響し医学部への進学を決意しました。
防衛医科大学校医学科の卒業を控え、外科か整形外科で進路に悩んでいたとき、親戚であったことが縁で、当時東京大学医学部附属病院で講師をされていた整形外科医の
織田先生には、診療科を選択するときのみならず、防衛医科大学校病院を辞めて整形外科医として新たな道に進もうとしていた際にも、「東大に来て、自分の実力を試してみたらどうか」と声をかけていただいて。織田先生のこの言葉をきっかけに、東京大学医学部附属病院の整形外科・脊椎外科で勤務することを決めました。織田先生にお声がけいただかなかったら、地元大分県の病院で勤務していたかもしれませんし、そういう意味では大きな転機を迎えたとき、織田先生に2回導いていただいたと言ってよいでしょう。
東京大学医学部附属病院の医局にいた11年間は、医師として知識や技術の向上に励みながら大学院に行ったり、2年間アメリカのシンシナティに留学したりと研究にも取り組むことができました。研究を通して、ずっと疑問であった脊髄のダメージについて突き詰められたことや、アメリカにおいて短時間で効率的に働く重要性をはじめ、新たに研究チームを立ち上げる大変さを体験できたことは貴重な経験として今にも生きていると感じています。
整形外科医として経験を積む中で、多くの先生方にご指導いただきました。現在、村山医療センターで院長を務める
東京大学医学部附属病院で働き始めてからは、現在、三井記念病院で副院長を務める
こうした先生方の導きがあって、現在の医師としての自分があると実感しています。ですから、今は私が指導医の立場で、後進の医師の育成に力を注がなければと思っています。手術をきっかけにその後の生活が変わることもあるからこそ、手術手技について言葉で丁寧に伝え、知識をチームの全員に共有すること。これらを心がけ、後進の育成に尽力しています。
患者さんに満足いただくことが参宮橋脊椎外科病院の目指す医療です。その実現のためには、個々の技術はもちろんですが、働くスタッフがチームとなってブラッシュアップしていくことが大切であると考えています。また、脊椎外科の単科病院で連携が図りやすいという当院の強みを生かしながら、スタッフが一体となってスキルアップに努めています。そういった努力が近隣の病院やクリニックからの紹介に結びついたと考えています。
最終的には、当院で働くスタッフ全員が“家族が脊椎疾患で何かあったら受診するようにすすめたいと思う病院”にすることが目標です。痛みやしびれで苦しんでいた患者さんから手術後にいただく「よくなったよ」「もっと早く手術すればよかった」という言葉。その一つひとつを糧にこれからもスタッフ一同、努力を重ねてまいります。
脊椎疾患で痛みやしびれに苦しむ患者さんの中には、「歳だから仕方ない」と諦めてしまっている方もいらっしゃるでしょう。だからこそ、私は年齢を理由に「我慢しなさい」とは決して口にしません。90歳であったとしても、痛みやしびれを抱えたまま生活し続けるか、治療を行ってそれらを取り除き旅行に出かけられるようになるかでは、人生の豊かさが変わってくると思うからです。
もちろん、患者さんが治療を望まれない場合には無理に治療をすすめることはありません。しかし、患者さんが治療を望むのであれば、今まで私が培ってきた技術で脊椎疾患に関する痛みやしびれから救うために全力を尽くす所存です。
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