DOCTOR’S
STORIES
内分泌の道を極める鈴木眞一先生のストーリー
医学生のときから、とにかく内分泌の領域が好きでした。
私はそれほど勉強ができるタイプではなかったと自覚しています。ですから、医学生の後半の時期には本気で勉強しました。
医師になるための勉強と聞くと、詰め込み型をイメージされる方も多いかもしれません。しかし、私は医師資格を得ることを目的とした勉強ではなく、将来、医師になったときに役に立つ「生きた勉強」をしようと心がけていました。
「なぜ、そうなるのか?」
覚えるのではなく、理解する。仲間とともに背景や理由を考え、ときに議論しながら学ぶ日々。それがとても楽しかったことを、今でも覚えています。
なかでも、内分泌の領域は抜群に面白いと思いました。内分泌の分野は、その仕組みを理解しようと勉強すると実に奥が深いのです。その面白さにすっかり魅了された私は、内分泌の道へ進む決意をします。
大学卒業後は、内分泌を専門とする高いレベルの医局に入りたいと思っていました。そんな私が選んだ場所は、遠藤 辰一郎先生が教授を務める医局でした。
遠藤先生は、内分泌外科医のみならず、消化器外科医や脳神経外科医としても活躍されていた医師です。なかでも、内分泌の領域にあたる甲状腺の分野では、全国レベルの仕事をされていました。
しかし、遠藤先生の教室の門を叩いた理由は、それだけではありません。遠藤先生の授業が非常に面白かったからです。遠藤先生は、教科書をそのまま伝えるような授業をすることはありませんでした。きちんと理解され、その道を極めた人だからこそできる「生きた言葉」で話されていると感じたのです。
こうして内分泌を志し医局に入門したものの、予期せぬ形で、私はあらゆる経験を積むことになります。
当時は現在とは異なり、あらゆる領域を担当する外科医が一般的でした。後に再編されることになるのですが、私が入局した医局も、内分泌外科のみならず呼吸器外科や消化器外科なども担当していたのです。
お話ししたように、私はもとから内分泌を志していましたが、ほかの分野の手術が苦手というのは嫌でした。ですから、消化器外科や呼吸器外科の手術など、ほかの分野の習得にも力を注ぎました。たとえば、肺がんの胸腔鏡(内視鏡)手術に尽力していた時期もあります。
もともとの希望とは異なりましたが、これらの経験は、後に内分泌外科を専門とした際に大いに役立ちました。たとえば、胸腔鏡手術を経験していたおかげで、内分泌の内視鏡手術にも対応できるようになりました。
いろいろなことを経験した結果、切除範囲が広い、進行した腫瘍であっても、対応することができるようになったのだと思い、今ではこれらの経験に感謝しています。
私は、「手を握る暇があったら勉強しろ」をモットーにしています。
それは、医師ができることは、技量を上げ、知識や技術で患者さんの役に立つことであると考えているからです。
診療の際に丁寧に患者さんに接することは、もちろん大切ですし当然のことと考えています。しかし、医師たるもの、「患者さんを的確に治療する知識や技術で信頼されなければならない」と信じています。
もちろん100%は難しいかもしれません。しかし、医師として常に技術の向上を目指すことを忘れてはいけないと思っています。
外部の病院から大学に戻った私は、33歳でチーフに就任しました。これは、当時の史上最年少の就任です。まだ若いということもあり、自分が教わったことがないような手術にも対応しなければいけませんでした。経験したことがないでは済まされません。
先輩の手術をみて学ぶだけでは足りないので、あらゆる論文を読み漁りました。論文を読み込みながら、ひとつずつ技術を習得していくことは苦しくもありましたが、この積み重ねが現在の私の大きな糧になっています。
内分泌の面白さは、原因と結果が明確なところです。原因が必ずあり、それが結果に反映される面白さがあるのです。それは手術だけにいえることではありません。外来の診療においても同様です。
私は、内分泌の分野は、特に医師としての技量が試される分野であると思っています。将来、医療の世界にAI(人工知能)が登場したとしても、内分泌の分野では、まだまだ医師が負けることはないでしょう。
また、その答えは単一の臓器だけに関わるわけではないのです。内分泌の場合、全身に関係しているケースがほとんどです。たとえば副腎の疾患は、さまざまな臓器や下垂体と関係しています。全身を考えなければ、なかなか答えにたどり着くことができず、その過程は非常に面白いと思います。
内分泌学は、世界的に見ると長い歴史があり必要とされてきた領域ですが、日本ではあまり注目を集めてこなかった分野であると感じています。
私が教授に就任する際にも、
「内分泌外科というのは本当に必要なのか」
と尋ねられたことがあります。私の答えは、もちろんイエスです。これほど、高い知識や技術が必要とされる分野はないと思っています。
また、ある出来事がきっかけとなり内分泌の分野は、近年、その重要性が見直されています。
それは、2011年に起こった東日本大震災です。2011年、福島では東日本大震災の原発事故の対応で、甲状腺検査をかなり大規模で実施しました。その検査を主に担当したのは、私が教授を務める福島県立医科大学の甲状腺・内分泌学講座(その前は旧器官制御外科学講座)です。
さらに、検査の結果見つかった甲状腺がんの手術も、私たちの医局で担当しました。
このような経緯があり、近年は内分泌領域が日本においても見直されるようになりました。今後は、内分泌を専門とする医師の活躍の場を、より増やしたいと考えています。たとえば、日本内分泌外科学会理事長として、新専門医制度の外科のサブスペシャルティの一つに内分泌外科専門医を加えることに尽力し、実現することができました。
お話ししたように、私は外科医として複数の領域で医師として活動してきました。しかし、どんなときでも内分泌を忘れず、離れることはありませんでした。
その積み重ねが糧となり、内分泌の分野に現在でも携われていることを、とても嬉しく思っています。40歳を過ぎたあたりからでしょうか。私は、力を注いできた内分泌学をできる限り続けたいと願うようになりました。
今は教授として後進を育てる立場でもあります。一人でもこの面白さが伝わればという思いで指導にあたっています。
私は、内分泌学は、日本がオリジナルの仕事ができる分野であると思っています。実際に、日本の仲間の仕事が海外へ逆輸入されるようなことも起こっているのです。あまり知られていないことかもしれませんが、日本の内分泌外科の成績は、世界のなかでも非常に良好です。
日本のレベルは非常に高いという実態があります。それは、日本では、個人に合わせたきめ細かい診断や治療がなされているからではないでしょうか。今後は世界に向けて、このような日本の技術力の高さをアピールしていきたいと思っています。
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二本松病院
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