今日までの精神医学ではどちらかといえば、統合失調症・認知症など「病気」への対応を中心としてきました。しかし今後は、自殺・自傷行為・依存・反社会的行動など「行動」への対応という視点が重要性を増してくるでしょう。ただ、それは「これは疾患だ」「これは行動だ」と単純に切り分けていくことではありません。これからの精神医学のあり方について、日本の精神医学におけるオピニオンリーダーである京都大学精神医学教室教授の村井俊哉先生に、前の記事(これからの精神医学のあり方(1)―病気と行動)に引き続きお話をお聞きしました。
前の記事では、「行動」という切り口から考えたほうがわかりやすい精神医学の分野についてご説明しました。一方で、「病気」からの考え方のほうがしっくりくる分野もあります。
たとえば、「統合失調症」は「病気」として捉えるほうが見通しがよくなります。統合失調症の患者さんに対しては、統合失調症という「病気」の結果としてさまざまな行動(幻覚や陽性・陰性症状)が出現するという説明を行います。アルツハイマー病の場合も同様です。「病気」の結果として周辺症状と言われるようなさまざまな行動(徘徊、妄想など)が出現すると考え、たとえばご家族にはそのように説明します。
つまり、「病気」からみていく方法と「行動」からみていく方法のどちらが有用であるかは、対象となる病態によって様々に異なってくるのです。それぞれの病態に応じて、見通しのよい説明を医師の側が行うことができれば、患者さん自身も今自分自身に何が起きているのかについて理解がしやすくなります。
うつ病の場合には、前の記事(「これからの精神医学のあり方(1)―病気と行動」)で説明したように、病気の説明と行動の説明のどちらが有用か難しい面もあり、精神科医にとっては応用問題ともいえます。うつ病という同じ診断名であっても、「病気から」の説明が起きていること全体を説明する上で整理をつけやすいこともあれば、逆に「行動から」の説明が有用なこともあります。同じ人のいくつかの症状については病気からの説明を行い、別の症状については行動からの説明を行うこともあります。
かつて精神科の受診が今日よりずっと敷居が高いものであった時代には、公式診断でうつ病に該当する人の中では、病気からの説明のほうが有用だった人のほうが行動からの説明が有用な人よりも多かったのではと思います。しかし、あくまで私の感覚ですが、昨今ではこの割合が反転しているように感じています。
このように、精神医学の領域では、病気モデルに加えて行動モデルを考えていったほうが見通しのよくなる分野は多々あります。それによって、精神医学はずっと柔軟なものとなるのです。
ただし、ここまで述べてきたことを覆すようでもありますが、病気と行動の観点を持ちつつも、どちらかひとつを選べと言われれば、精神医学が基本的に相手をするのは「行動」というよりは「病気」であるという視点も大切であると考えています。
精神医学の対象をさまざまな行動に広げていくと、結果として私たち人間のあらゆる行動が精神医学の対象ということになり、きりがなくなってしまう、ということは容易に想像がつくと思います。ですから、まずは精神医学が対象とするのは「病気」である、という観点を持ち、そして「行動」を対象とする場合にも、それらの行動の中で「病的といえるレベル」と「病的といえないレベル」の間に線引きをすることが必要になります。そうして決められた枠の中で私たちは治療をしていくことになるわけです。心の現象のように数値化が難しい現象には、当然ながら明確な境界線というものはありません。しかしそれでも、どこまでが精神医学の対象であるかについての大まかな枠組みが必要です。こうした枠組みに基づいて、健康保険の対象も決まってきます。
最後に、精神医学の治療についても短く言及します。
精神科の治療には生物学的・心理学的・社会学的な3つの側面からのアプローチ(「バイオサイコソーシャルモデル」と呼ばれます)の組み合わせが大切であるということがしばしばいわれます。ただし、ここで重要なことは、3つのアプローチを全部やればいいという単純な話ではないということです。個々人にとってどの角度からの治療や介入が最も有用であるのかについて、専門知識を総動員して考え、そして最適な治療・介入を選択していくことが必要となるのです。バイオサイコソーシャルモデルが、複数の方法を組み合わせるところから折衷主義と言われるのに対して、最適な治療・介入を選択するという考え方は多元主義と呼ばれます。
精神医学では、治療ひとつをとっても薬物療法に加えて様々な心理療法があるように、他診療科と比べても非常に複雑な状況にあります。こうした複雑な状況の中で、専門家が日々の臨床行為を行っていく上で、多元主義という考え方は有用な指針となっていくでしょう。