インタビュー

これからの精神医学のあり方(1)―病気と行動

これからの精神医学のあり方(1)―病気と行動
村井 俊哉 先生

京都大学医学研究科 脳病態生理学講座 精神医学教室 教授

村井 俊哉 先生

この記事の最終更新は2015年07月12日です。

今日までの精神医学では伝統的に、統合失調症認知症など「病気」を診断し、その治療を行うというスタンスをとってきました。しかし今後は、「病気」というよりは、自殺・自傷行為・依存・そして前回お話しした反社会的行動(「反社会的行動とサイコパス」参照)など「行動」への対応も重要となってくるはずです。こうした問題について、日本の精神医学におけるオピニオンリーダーである京都大学精神医学教室教授の村井俊哉先生にお話をお聞きしました。

一般の方が精神医学について誤解されているのでは、と私が思うことのひとつに、「病名の重要性」があります。つまり、病名を非常に重く考えて、ある病名の有無が、何かその後の人生が決まってしまうほどに重く受け止められてしまっているのではないか、と感じることがあります。

思い切って述べるならば、たとえばうつ病という病気は無いといえば無いし、あるといえばあるという曖昧な状態なのです。精神医学ではうつ病を気分がある程度一定期間落ち込む「状態」と決めて、こころやからだの状態がその方向を向くことをうつ病という「病気」と定義しているのです。もちろん、そうした診断は実践的には大きな意味を持ちます。専門家が専門知識を動員して、ある方が統合失調症ではなくうつ病であると診断したとすれば、治療方針が大きく変わってきます。そして、専門的知識を持たない人があてずっぽうで診断するのと比べれば、治療の成功率が大きく変わってくることになります。

しかしだからといって、「うつ病」という実体は、画像検査で脳の中を詳しく見ても、採血データを詳しく解析しても、そこに見つかってくるものではありません。診断とは、治療方針を決める上での一つの指標・参考資料である、といった程度で考えておくべきものなのです。

つまり診断とは、それが有用であるから行うわけです。そういう意味では、精神医学において有用な方法は「病気」の有無の判断という方法に限られるわけではありません。それはどのような「行動」か、という視点から見ていく方法も有用であることが多々あります。

ちなみに、「病気などというものは一切存在しない」という極端な考え方をする医師もいます。「病気」派の対極のラジカルな考え方です。私自身は、それはそれで極端に過ぎると考えています。

私の基本的な考え方は、「病気と行動、双方向からバランスよく物事を見ていく」ということです。そのことを、いくつか例を挙げながらお話ししていきます。

例えば、家を出るときに何度も何度も戸締まりを確認する、確認しないと不安でいてもたってもいられない……ある一定の「行動」が止められず、社会生活の妨げになることがあります。こうした状態に対しては「強迫性障害強迫症)」という病名がついています。つまり、我々はその「行動」に対して強迫性障害という病名をつけているわけです。

しかし結局のところ、そのような人にとって大事なことは、強迫性障害という目に見えない「病気」を消滅させることというよりは、「社会生活の妨げとなっている戸締まりの確認『行動』をどうすれば減らせるか?」ということなのです。つまり、「病気」を治すというよりは、どうすれば「行動」を変化させることができるか、といった視点のほうがすっきりする部分もあるのです。

精神医学では、背景に病気があったとしても、病気中心の考え方よりは行動中心の考え方のほうが見通しがよくなる分野が存在します。たとえば、松本俊彦先生(現 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部 部長)が専門とされる「自傷行為」です。もちろん、自傷の原因にうつ病があるケースなど、基礎疾患としてはいろいろなパターンがあるでしょう。しかし、自傷行為という「行動」に共通する特徴を理解することは、その長期的な予防という観点においても見通しをよくするのです。

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