DOCTOR’S
STORIES
医療の進歩と共に外科医人生を歩んできた塚本忠司先生のストーリー
「医師になりたい」と心立ったのは、高校生の頃でした。実家は医師家系というわけではなく、特別何かきっかけがあったわけでもありません。将来の道を考える段階になって、ただただ医師という職業に対する憧れが、徐々に強くなっていったと記憶しています。
大阪市立大学医学部に進学し、医学に励むなかで、外科医に憧れを抱くようになりました。「この診療科は楽」「この診療科は開業に向いている」などの理由から医局を選択する医学生もいますが、私は医師を志したときと同様に、純粋な憧れが軸となり、外科医を志すようになりました。
私が医師になった当時は、医師免許を取得したら母校の医局に入局することが当たり前の時代でした。希望する医療機関でさまざまな診療科を回る2年間の初期研修を済ませたのちに、自分が勤める診療科を選択するという近年のような制度は、ほぼなかったのです。つまり、医師免許を取得して医師になったときには、自分が進むべき診療科を決めておく必要がありました。
外科の分野には、一般外科以外に脳神経外科や整形外科などもあります。とにかくさまざまなことにチャレンジしたいと思っていた私は、心血管、呼吸器、消化器、乳腺・甲状腺、小児など領域を絞らず幅広く研修できる「第二外科」に入局しました。第二外科では、入局から2年間の研修を経たのちに、担当する領域を選択することとなります。私はこの2年間で、肝胆膵外科に進むことを決意しました。
肝胆膵外科に進んだ理由は、3つあります。1つ目は、私が入局してから手術の手ほどきをしてくださった、ラグビー部の先輩で、恩師であり憧れの医師である廣橋一裕先生が肝胆膵外科に所属していたこと。2つ目は、困難に立ち向かってでも積極的に患者さんを救いに行く医師の姿勢に憧れを抱いたことです。当時の肝切除手術は、今と比べれば治療成績もよくなく、術後に患者さんが亡くなることもありました。そうした困難な状況でも、手術を担い闘い続ける医師に憧れていたのです。3つ目は、いよいよ日本で肝移植が始まる機運が高まってきていた時代だったこと。実際、1989年に日本で初めて生体肝移植が行われました。好奇心旺盛で何事にもチャレンジしたい、新しいことをしてみたいと思う私には、肝胆膵外科はとても魅力ある診療科だったのです。こうした理由から、肝胆膵外科医としてのキャリアがスタートしました。
私が医師になった1980年代前半は、先にお伝えした通り、肝切除手術はリスクが高いものでした。肝臓は血管の塊のような臓器であるため、胃や大腸などのほかの臓器よりも、手術時の出血が多くなる可能性が高い臓器です。手術における重要な要素は、この出血をしっかりとコントロールできるかどうかでした。当時は、切離する面の肝臓をあらかじめ焼灼凝固して切除することで、出血量を抑えたりもしていました。それでも多量に出血する症例も多々あり、輸血することが当たり前の時代。肝切除手術の際には、ご家族の方々に院内で待機していただき、輸血が必要になったときにご家族から採血して輸血することもありました。
初めて私が主導で肝切除手術を行ったのは、医師9年目のときでした。それまでは先輩医師の指導のもとに手術を行っていましたが、私と後輩医師のみとで肝切除手術をすることになったのです。巨大肝がんを患っている患者さんの手術をすることもありました。肝切除をすると、大量の出血。私のこれまでの外科医人生のなかでも、もっとも多い出血量だったように思います。
「もし、この患者さんを救えなかったら」という考えが頭を過り、とても大きな恐怖を感じることもありました。しかし、術中はとにかく無事に手術を終えることに専念し、患者さんが元気に退院されたときには、本当に喜びをかみしめたことを覚えています。
私はこのような経験から、出血量が少なく、より患者さんの負担が少ない安全な手術を探求していました。医師として過ごす年月が経てば経つほど、医薬品や医療機器が目まぐるしいほどに進歩していきました。そんななかで出会ったのが、腹腔鏡下手術です。
これは患者さんにとって恩恵があると思われ、肝切除においても腹腔鏡下手術を導入し、安全性を確認しながらstep-by-stepにその手技を確立し、適応を拡げていきました。
私が常々心にとどめている言葉として3つのCで始まる英単語、3Cがあります。それは「Change」「Challenge」「Create」です。
「Change」には、物事や体制、考え方を変えていきたい、あるいは自分自身を変えていく、という意味を込めています。医師になりたての頃は、「たくさん経験されてきた先生方がおっしゃることだから、それが正解なのだろう」と、先輩の医師が言うことを鵜呑みにし、それをそのまま後輩に教えることもありました。しかし、真理が明らかでない可能性もあります。そうした経験から、意識や文化を「Change」することで、よりよい医療を患者さんに提供できる可能性はないかを探求することが重要であると考えるようになりました。
「Change」には新しいことを「Create」し、それに向かって「Challenge」することが必要です。目まぐるしく進化していく医療の世界で、新しいことに挑戦することや新しい分野を確立していくことは重要なことであると考えています。私が肝胆膵外科医を目指した理由のひとつにもあったように、肝移植という新しい分野に「挑戦」したいと思ったことや、腹腔鏡下肝切除術に関しても黎明期から「挑戦」してきたのもこのようなことからだと思います。
このような「Challenge」「Create」を意識した姿勢は、我々医師にとっては大事なことであると考えています。
「Change」「Challenge」「Create」は、医師となって20年目の頃、私が就寝中にみた実際の夢の中で、私自身が口にした言葉でした。その夢をみたのは、勤務先の病院から旅立つ医師たちへの、はなむけの言葉を考えていた頃でした。私は、夢の中で口にしたこの言葉が気に入り、爾来、旅立っていく仲間の医師たちに向けて、この言葉を贈るようになり、また、自分自身のなかでもそれができているのかを、常に自問するようになりました。
医学部に入学すると、これまでとは一変した世界に感じる方も多いかもしれません。日々刺激的な世界にいると、考え方にも変化が生じると思います。それは悪いことではありません。しかし、「どうして医師になったのか。どのような医師になりたかったのか」という初心だけは忘れないでいただきたいと思います。どのようなときでも、医師を志した理由を忘れず、理想の医師像を追い求めてください。
肝胆膵外科で医師として働くことは、体力的に大変な場面もあるかもしれません。たとえば肝切除手術を行う場合、7~8時間かかることもあります。しかし、私は患者さんによりよい医療を提供するために、新しいことに挑戦したいし、その分野を開拓していきたいと思っています。だからこそ、ずっと外科医であり続けたいと思っています。
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