DOCTOR’S
STORIES
経験に裏打ちされた技術とともに、患者さんに寄り添い続ける品川俊治先生のストーリー
私の曾祖父は、富山の立山町、旧釜ケ淵村の村長をしながら、漢方を扱っていたそうです。その子どもであった祖母は、医師になり開業。父は内科医で母が看護師という、代々医療に携わる家系です。ですから、医師というものがどんなことをしているのかというのは、幼い頃から身近に見聞きしていました。
とはいえ、祖母や父の時代の医療現場は、今とは大きく事情が異なります。時間外でもなんでも、患者さんの調子が悪くなれば主治医のところに連絡が来る。そうすれば、医師は全て対応していました。そのため、我が家では父の不在は当たり前だったことを覚えています。夏休みでも全然休みをとらない父でしたから、友達が父親にどこかへ連れて行ってもらったという話を聞くと、羨ましいなと思っていました。
それにもかかわらず、医療という仕事は人助けをするもの。それが、自身の生活の糧になると幼いながらに感じていた記憶があります。ですから、自分自身の進路という点では、医療以外の道というのはほぼ考えませんでした。
父は、夜中だろうが自分の体調が悪いときだろうが、病院から電話で連絡を受けても声を荒げたり、面倒くさがるようなことがまったくありませんでした。淡々と病院に向かう姿を見て、「すごいなあ」と思っていました。いつも、「自分よりも患者さん」というスタンスを貫いていたのですね。
さらに父は学術的な人で、常に学会誌や論文を書いていました。一般教養の面でも、クラシック音楽を聴いたり、博物館や美術館でいろいろなものを見聞きするのを好んでいました。文学書や哲学書も読んでいて、本の虫みたいな人。とにかく興味の範囲が広い。今も元気にバイオリンを弾いていますからね。医師は、理路整然とロジックを持って患者さんを治療する冷静な判断力が必要ですが、当然のことながら患者さんは心を持っている生き物です。その患者さんに向き合うためには、医師たる者はさまざまな教養を持つべきだということを体現していたように思います。
大学を出て自分のスペシャリティを決めるときには、父が内科医だったこともあって、漠然(ばくぜん)と自分も内科医になろうと思っていました。しかし、当時はまだ呼吸器内科という区分はない時代です。どんな方向に進もうかと悩んでいたとき、父の同級生であり、金沢大学 (旧)第3内科にいらっしゃった松田先生に相談しました。そのなかで、呼吸器は結核病の流れから内科医が診ているけれど、学問としてはまだまだ浅い領域で、専門医がいないということを教えていただきました。それならば、呼吸器をちゃんと勉強して知識をつけたいと決心したのです。
しかし、実際に臨床の場に出ると、呼吸器というのは、経験や知識が非常に求められる分野だなと痛感しました。呼吸器は文字通り呼吸する臓器なので、おいそれと切除するわけにはいきません。患者さんに負担のかかる検査を何回もするわけにもいかない。そうなると、1枚のレントゲンからさまざまな病気の可能性を想像する力が求められます。
治療にあたっても、患者さんが地域でどんなふうに過ごしたいかという点を考えると、さまざまな方法があります。薬物治療なら薬物吸入の指導、リハビリも必要です。場合によっては胸部外科的な手術を検討することもあります。患者さんやそのご家族の希望を聞きながら、さまざまな職種にお願いして、医師がベストな治療をコーディネートしていくというオーダーメイド感覚が必要になる。これはある意味で全人的医療とも言えます。それらが全てできるためには、医療だけではなく、人としての経験と知識も求められると思います。
呼吸器内科に限った話ではありませんが、医師に必要なのは、まずはしっかりしたスキル。つまりは診断や検査の技術です。そういうものをベースにして、最終的には患者さんに寄り添うことが必要だと思っています。私が考える「寄り添う」というのは、患者さんのことをさまざまな角度から考えること。この患者さんにとっては何がいい選択なのか、医師として何ができるのかということを考えます。
しかし、医師も人間ですから、感情があります。体調が悪かったり、疲れているときには思いやりや共感が欠けてしまう。そんなときでも、いかに顔に出さずに対応できるかというのが医師として非常に大事な資質だと思っています。これを私は今までの環境や、父を含めた先輩方に教わりました。患者さんの病態に応じて青くなったり赤くなったりしていたら、たちまち患者さんに伝わりますからね。そうなると患者さんは、「なんか頼りないな」とか「この医師は本当に大丈夫なんだろうか」と不安になってしまう。だから、ポーカーフェイスでいられるということは、とても大切だと思います。でも、淡々としつつも、冷静に患者さんのことを考えるようにしています。
患者さんが「ありがとう」と言って帰られる姿は、その人たちの人生によい影響が与えられたと思える瞬間です。この瞬間のために医師を続けているのだと思いますが、それは治す技術だけではなし得ないことなのですよね。治すための技術に加えて、癒す技術が必要なのだなと、私自身が年を重ねて思うようになりました。
父や諸先輩方といった身近に接した医師たちが、皆とても教養深い人たちでしたから。いろいろなことに興味を持っていたし、多趣味でした。そういう方々に影響を受けたことも多分にあると思います。私も最初は治すための技術を身につけようと、緩和医療学会に行ったり、本を読んだりして、がん患者さんの葛藤を勉強しました。すると、関連してくる医療の倫理や心理的なことを理解するために、哲学的なことにも興味が広がりました。ひいてはさまざまな宗教の宗教観にも興味が出てきたのです。私自身はクリスチャンなのですが、ほかの宗教はどんな教えをしているのだろうかと調べたりしています。個人的には、宗教というものは医学と切り離せないと感じていて、「人生の最期に何かに頼りたい」という気持ちは、自然と出てくるのではないかと思うのです。頼る対象が医療の場合もあれば、宗教の場合もある。共通して必要なのは、癒す技術だと思います。
医療の癒す技術という点で必要なのは、「医者たるもの人格者であれ」ということだと思っています。人格者たるためには、学問書だけ見ていてはいけない。人のさまざまな面を知って、全人的な立場から医療に当たることが求められます。そのためには、科学や宇宙、宗教も大事です。芸術も文学も必要。いろいろなことに、たくさんの引き出しを持つべきでしょう。そのうえでこそ、患者さんに寄り添って、その方のベストな医療、生活まで見据えたような全人的な医療ができるようになるのだと思います。
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