目指すは“日本一やさしい病院”

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目指すは“日本一やさしい病院”

佐藤 貴久先生のあゆみと医療にかける思い

医療法人清水会 理事長、相生山病院 院長
佐藤 貴久 先生

地域の高齢患者さんを多く診療する相生山病院は、日本一やさしい病院を目指し、患者さんに“まごころ”を届けられるような医療を展開しています。今回は、相生山病院の院長である佐藤貴久先生に、現在に至るまでのあゆみや医療にかける思いについてお話を伺いました。

父の背中を見て育ち、医師の道へ

私の父は、相生山病院の前院長です。父は、毎日夜遅くまで仕事をし、日曜日もほとんど家にはいませんでした。そのため、幼少期に父に遊んでもらった記憶はほぼありません。それでも、医師として身を粉にしながら患者さんと向き合う父を見て、いつしか私も自然と医師になりたいと思うようになりました。

患者さんの命を預かっている以上、仕事を投げ出すわけにはいかない

藤田保健衛生大学医学部を卒業後は、同大学で2年間の研修を行い、名古屋第一赤十字病院へ赴任しました。

忙しい父を見てはいたものの、実際に自分が医師になってみると、その忙しさは想像以上でした。最初の数年間は、食事や睡眠の時間も十分に取れず、早朝から深夜まで仕事をする日々でした。昼食は2分で済ませ、病院の近くに借りていたアパートには数時間だけ寝に帰るといった状況がしばらく続きました。そのような状況であっても、頭は120%にフル回転させて仕事をしなければなりません。正直なところ、「医師になんてならなければよかった……」と思ったことも幾度となくありました。

しかし、私たちは患者さんの命を預かる仕事をしています。突然、仕事を投げ出すことで、目の前の患者さんの命が失われてしまうかもしれないのです。「泣き言は言っていられない!」と自分を奮い立たせ、日々患者さんに真摯に向き合ってきました。

外科医になろうと思っていた私が循環器内科医を目指した理由

研修医の頃は、外科医になろうと思っていました。それは、あるとき外科の先生から「佐藤、お前は体力もあって、協調性もあるから外科医に向いている」と言われたことがきっかけでした。しかし、私は相生山病院の後継ぎという立場でもあり、悩みました。そこで、父に外科医になろうと思っていることを話すと、父は「そうか……外科医になるのか。そうなると、きっとこの病院には戻ってこないだろうな」と残念そうにつぶやきました。その言葉を聞いて、父を悲しませてまで外科医になることはないと感じた私は、内科のなかで、もっとも外科に近い循環器内科医の道へと進むことにしました。

循環器内科は、患者さんの全身を診る力をつけることができる診療科です。将来、かかりつけ医の立場になったとき、患者さんの全身を診る力がきっと役立つと思ったことも、循環器内科を選んだもうひとつの理由です。

医師の仕事を全うすることをあらためて決意させた友人の言葉

医師としての私の人生に、大きな影響を与えた言葉があります。それは、友人が自身の結婚式のスピーチで述べた「人様のお役に立てるような人間になりたい」という言葉です。

ありふれた言葉のようにも聞こえますが、そのときの私には、とても深い言葉に感じられ、脳天を撃ち抜かれた気がしました。

「僕は誰かの役に立っているのだろうか、あるいはこれから先、役に立つ人間になれるのだろうか……」と自問自答したとき、医師の仕事を全うすることこそが、人様のお役に立つことにつながるのではないのだろうかと思ったのです。当時、研修医だった私に、これからも医師の仕事を全うしていこうとあらためて決意させた瞬間でした。

今も、常にその言葉を胸にしながら、医師という仕事と向き合っています。そして、病院の職員にも、「医療に携わる仕事は、それを全うするだけで人様のお役に立てるような尊い仕事なのだ」と、いつも説くようにしています。

人としてのイロハを教えてくれた上司

大学病院で勤務していた頃の上司である、近藤 武(こんどうたけし)教授から指導を受けたことも、今の私に大きな影響を与えています。

近藤教授の指導でとても印象的だったのは、論文の指導でした。近藤教授は、正しい日本語を使うことをとても大切にされていた方で、論文を添削してもらうと決まって日本語の修正が入るのです。そのほかにも、正しい行いをすること、間違っていることは間違っていると言えばよい、など、医師である以前の人としてのイロハを教えてくださいました。

また近藤教授からは、病態で理解することの大切さも学びました。たとえば、心不全で、静脈還流量が増えていることが問題ならば、利尿剤を使用し、静脈還流量を減らす治療が有効だろう、というように病態をひもときながら、治療方針を立てていきます。病態に基づいて発想していく力が、医療を行ううえで重要であることを、近藤教授は教えてくださいました。

*静脈還流量:心臓に戻ってくる血液量

トライアスロンで日本1位に!

36歳で相生山病院に戻ってくるまで、名古屋第一赤十字病院、藤田保健衛生大学病院で勤務を続けてきましたが、その間は忙しさのあまり、仕事以外のことをする時間はなかなか取れず、昔から好きだった運動もできていませんでした。

相生山病院に戻って来たタイミングで少し時間ができたとき、何かまた運動をしよう、と思い、始めたのがフルマラソンです。フルマラソン選手の多くは、42.195kmを3時間以内に走破する“サブスリー”を目指します。1か月で300km走る練習を、3年間すれば狙うことができるといわれている高き壁ですが、私自身、もともと凝り性という性格もあり、毎日トレーニングを重ねた結果、2年間でサブスリーを達成することができました。

さらにその後は、福岡国際マラソンの出場資格である2時間42分を目指し、自己ベストが2時間43分であった私は、クロストレーニングとして、トライアスロンを始めました。トライアスロンは、水泳、自転車、ランニングの3種目を連続して行う競技です。

トライアスロンを始めると、3種目ある分マラソンより楽しく、むしろトライアスロンが主戦場となりました。トライアスロン歴は7年ほどになりますが、2017年にはJTU(日本トライアスロン連合)が主催する年間ランキングで、年代別日本1位になることができました(45~49歳:ロングの部)。今も、少しの時間をみつけては、トレーニングに励んでいます。

トライアスロン

トライアスロン

トライアスロン

日本一やさしい病院でありたい

患者さんの雨の日にそっと寄り添う

患者さんの“雨の日”にそっと寄り添う

デパートや遊園地が、ウキウキと楽しい“晴れの日”を扱う場所なのに対し、病院は“雨の日”を扱う場所です。病院に来る患者さんは、雨に打たれ、弱っています。そのような方々に、そっと寄り添い、傘をさしてあげることが、私たち医療従事者の役割です。

そのため、折に触れては職員に向けて、「日本一やさしい病院にしよう」と話すようにしています。患者さんからは、感謝の言葉をいただくことも多く、職員が私の心を理解し、慈愛の気持ちを共有できているからだと思っています。

病気というのは、本来の道から少しだけ外れた状態です。それを、私たちがほんの少しサポートしてあげるだけで、人間は簡単に本来の道に戻ることができます。しかし、その力加減が強すぎると、今度は逆方向へ突き抜けてしまいます。つまり、過剰な治療や投薬が、かえって逆効果となってしまうことがあるのです。体力のない高齢の方であればなおさらです。

当院には高齢の患者さんが多くいらっしゃいます。そして、患者さんから求められる医療は、不安やつらさに共感し、自分の家族に接するように親身になり、不安やつらさを取り除いてもらえるような医療であることが多いと感じています。当院では、患者さんやご家族が望む医療を行うことを第一に考え、日々の診療にあたっています。これから先も、患者さんにやさしく寄り添っていける病院であり続けます。

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