自分が受けたいと思える医療を患者さんに提供したい

DOCTOR’S
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自分が受けたいと思える医療を患者さんに提供したい

これからのさらなる医療の進歩を願い、ロボット手術の普及を目指す北上 英彦先生のストーリー

恵佑会札幌病院 ロボット・内視鏡外科センター センター長
北上 英彦 先生

医師になることは、“夢”ではなく“目標だった” 

子どもの頃から、けがをするたびに整形外科医だった父に治療をしてもらっていました。私だけでなく、来院する多くの患者さんの治療にあたる父の姿を間近で見て、純粋に「すごいな」と感じ自分も医者になろうと考えたのは、私にとってごく自然なことでした。パイロットになることを夢見た時期もありましたがそれはあくまでも一時的な“夢”であり、幼少期からのほとんどは医師を目指していたように思います。どちらかといえば、医師になることは“夢”というよりも“目標”のような感覚だったかもしれません。

縁もゆかりもなかった北海道へ

医師になることを目標に、まずは医学部に入学するため勉強に励みました。しかし、大阪大学医学部を志望していた私は、当時の共通一次試験(現在の大学入学共通テスト)で想定よりも点数が取れず、志望校の変更を余儀なくされたのです。そこで私は、北海道大学の医学部への入学を目指しました。

ただ、愛媛県の出身ということもあり、私はおろか家族の誰一人として北海道へ行ったことはなく、受験のときに初めて北海道の地に降り立ったのです。当時は、その後こんなにも長く北海道で医師として働くとは、つゆにも思いませんでした。

のちにこれが、私にとっての大きな転機の1つへとつながっていくのです。

母の病気と父の言葉がきっかけで外科に

無事に北海道大学の医学部に入学し講義や実習に取り組むさなか、母が胃がんで亡くなりました。そのとき父が悔しそうにぼやいていた「整形外科医は局所を診ることはできるけれど、全身管理は苦手なんだ」という言葉は、医学部を卒業する直前まで私の頭から離れませんでした。

当時は、医学部卒業時に自身の診療科(専門領域)を決める必要がありました。ずっと母の病気と父の言葉が頭の片隅にあった私は、開業医だった父の医院を継ぐために整形外科へ進むか、外科の道へ進むか迷っていました。しかし、そんなとき父は「いずれ医院を継ぐにしても、まずは外科で全身管理を学んでから整形外科に進んだほうがいいんじゃないか」と、迷う私の背中を押してくれたのです。また、外科の先生が熱心に私を誘ってくださっていたこともあり、私は外科の道へ進むことを決意しました。

腹腔鏡下手術との出会い

外科医になってからしばらく経った頃、私は医局人事によって北見赤十字病院に勤めることになりました。北見赤十字病院では、当時副院長だった小澤(おざわ) 達吉(たつきち)先生が私の上司でした。小澤先生は「腹腔鏡下(ふくくうきょうか)手術(しゅじゅつ)を積極的に学べ」と常におっしゃっていましたが、小先生ご自身が腹腔鏡下手術を行っていたわけではありません。そこで先生は、私自身を腹腔鏡下手術の見学などのために別の病院に行かせてくださったり、ほかの病院から先生を呼んでくださったりしたのです。これが私の腹腔鏡下手術との出会いであり、現在のロボット手術につながる大きな転機でした。ご自身が腹腔鏡下手術を行っていなかったにもかかわらず、腹腔鏡下手術を学べる環境を整えてくださった小澤先生には、非常に感謝しています。

このように振り返ると、北海道大学へ進学したところから腹腔鏡下手術、ひいてはロボット手術を行うようになるまで、さまざまな巡り合わせがあったのだと実感します。

留学中の経験が今の私へとつながっている

こうして医師としてさまざまな経験を積みながら12年が経過したとき、私は海外への留学を決意しました。元々「一生に1度は留学をして海外の医療をこの目で見てみたい」と考えていたこともあり、ある程度キャリアを積んだこのタイミングでまた少し違う世界を知ろうと思ったのです。とはいえ、海外の大学へのつては何もありませんでした。しかし、当時私の姉が仕事の関係でジュネーブに住んでおり、ジュネーブ大学に留学してはどうかとすすめられたことから、臨床医として留学したいという意思をフランス語で手紙に書き、大学へ送りました。すると驚くことに、すぐに来てよいとの返事をもらうことができたのです。

こうして私は1年間ジュネーブ大学に留学し、ほぼ毎日手術に明け暮れました。留学中、もっとも日本との違いを感じたのは、常にエビデンスに基づき合理的に考えるという点でした。海外の手術を目の当たりにしてまず私が感じたことは「手技の丁寧さ・繊細さは日本のほうが勝っている」ということで、当然、私も丁寧に手技を行うことが善と考えていました。

しかし、彼らからしてみるとそれは“必要のない丁寧さ”だったのです。できないからやらないのではなく、やる必要がないからやらないのだ、と。実際、日本では当たり前のように行われていることを私が実践すると、ことあるごとに「なぜそうするのか」と問われました。そして、言葉の問題を差し引いても私には明確にその理由を説明することができない場面が多々あったのです。

留学を通じてあらためてエビデンスの重要性を認識しましたし、何をするにもその理由を説明できなくてはならないと考え、今もそれを常に意識しています。

加えて留学中、私に大きな衝撃を与えたものがあります。それが、手術用ロボットです。今から約20年前、日本にはまだ手術用ロボットが導入されていませんでしたが、ヨーロッパではすでに日常診療のなかで活用されていました。私にとってはそれが非常に衝撃的だったのです。留学先で手術用ロボットを目にしたことがきっかけで早い段階から手術用ロボットに興味を持ち、今では自分自身がロボット手術を実施していると考えると、この留学も1つの巡り合わせだったのだと思わずにはいられません。

学び、考え続けることをやめてはいけない

このように、常に自身が行うことに対して、行う理由を説明できるようにしておくということはもちろん、常に新たな医学情報を患者さんに説明できるようにしておくことも重要視しています。その最新の医学情報、たとえば新たな手術方法などにメリットがあるかどうかということはまた別途考え判断する必要がありますが、少なくとも“こういった手術がある”ということは知っておくべきであり、患者さんへの説明も行うべきだと思うのです。そして、それにメリットがあると思えば、自分自身が医師として現役である限りはできるようになる努力をしなくてはならないとも思っています。

また、手術をして終わりではなく、たとえ休日でも1日1回は手術を担当した患者さんの顔を見に行くということも大切にしています。患者さんの顔を見て一言二言交わすことで防げるもしくは早期に気付ける合併症などもあるためです。

これらは、私が大切にしていることであると同時に、私が受けたい医療でもあります。常に患者さんの目線に立って“自分が受けたいと思う医療を提供すること”こそが、私の目指すところです。そのためには、日々学び、考えることをやめてはいけないのだと感じています。

ロボット手術普及のためにも若い世代にバトンを

手術を行うだけの気力と体力がある限り、やはり自身の手で患者さんを治したいと思っていますが、最近では後進の育成にも力を注いでいます。私は若い頃にしかない“感性”があると考えており、そうした感性を持った若い世代こそが、手術支援ロボットを用いた新たな手術法を生み出してくれるのではないかと期待しているのです。そのためにも、私が教えられる“今のロボット手術のベスト”をしっかりと若手に伝え、安全に、そしてより患者さんにとってメリットがある形でロボット手術が普及していってくれればよいなと思います。
 

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