DOCTOR’S
STORIES
外科医として技術を磨きながら、とことん患者さんと付き合う梶政洋先生のストーリー
「自分も医師になり、人の役に立ちたい!」
幼い頃に出会った医師に憧れを抱き、そう思ったことを覚えています。漠然と「将来は人の役に立ちたい」と思っていた私にとって、病気の患者さんを治療する医師は、まさにその願いを叶えるにふさわしい存在でした。
その一方、私は幼い頃から高校球児であった父の影響で野球に力を注いでいました。ポジションはピッチャー。野球は大学まで続けるほど熱中していましたし、プロ野球選手に憧れたこともあります。
小学校で同じチームでエースピッチャーを争っていた同じ左腕の同級生は、プロ野球に入って大成しました。彼は、今ではパ・リーグ 福岡ソフトバンクホークスの監督にまでなっているのですが、「自分も野球の道を選んでいればどうなっていたかな」と夢想することはあります。
しかし、実際のところはプロ野球選手になるほどの自信はとてもありませんでした。一生の仕事としてやりがいのある仕事は何かと煎じ詰めて考えていった結果、最終的に選択した職業、それが幼い頃から夢に描いた医師だったのです。
なかでも外科医を選択した理由は、技量を磨くことによって直接患者さんに貢献したいという思いがあったからです(もちろん、外科医以外であっても医師は皆そうなのでしょうが、外科医は特に技術的な要素が強いと感じていました)。
技術を磨き、手術により直接患者さんを治すことができる外科医こそ私の目指す医師の姿だと思い、強い憧れを抱き外科医になることを決めました。
外科医は最初に色々な分野を広く修行してから専門を選ぶのですが、学生時代から憧れていた恩師であり、呼吸器外科の泰斗(たいと:その道の大家)である正岡 昭教授の門を叩きました。特にがんの治療に携わりたいという思いから、肺がんの治療を専門とする呼吸器外科を選択します。
当初から「直接患者さんの手術に携わって貢献したい」という強い思いはあったものの、研修医にはまだ執刀できるほどの技術も手術をする機会もありません。
また、外科医の仕事は手術だけで終わりではなく、術後の患者さんの管理、特に運悪く合併症を起こしてしまった方の治療や、がんが再発してしまった方、さらにはがんが進行し終末期に入ってしまった方の診療にあたることがとても大切です。
テレビで観る外科医の仕事といえば、何よりも手術。しかし、現実はまったく違いました。医師と患者さんの間には、もっと泥臭い人間対人間の付き合いがあったのです。
この気づきは私の目指すべき外科医像を変えるとともに、ある強い思いが生まれました。
それは、「手術をしたらおしまい、の外科医にはなりたくない」という思いです。手術が終わった後もとことん患者さんと付き合う外科医になりたいと思った私は、改めて、何よりも実際の現場である臨床を大切にしたいと強く思うようになりました。
当時私が所属していた大学では、大学及び関連病院で4年間修業し、卒後5年目には大学に戻り研究に従事し学位を取得するというのが通常のコースでした。しかし、このまま学位を取得し、医師として赴任することになったとしても、手術の経験も不足しており外科医としての実力が足りないことは明らかでした。
「今は研究よりも、とにかく外科医としての技術を身につけたい」
芽生えた強い思いとともに、大学を飛び出した私が目指した場所。それは、超一流の外科医がそろうといわれる国立がんセンター(現・国立がん研究センター)でした。
念願叶い国立がんセンターで働き始めた私は、実際に先輩医師たちの手術を見て、その高い技術力に、大きな感銘を受けたことを覚えています。
「やはり超一流は違う!ここで研鑽を積み、外科医として技術を磨きたい」
当初の予定は3年間でしたが、外科医としてさらに技術を磨きたいと思った私は期間を延長し、結局、国立がんセンターには5年間在籍することになります。
国立がんセンターは、当初の目論見通り、技術や知識を学ぶにはぴったりの場所でした。最先端の現場で研鑽を積む先輩医師たちの手術を間近で見て、一緒に手術に入り、直接教えを受けられるといった経験は大きな収穫でした。
直接手ほどきを受けた先生方はみな現在の呼吸器外科の重鎮となられています。たとえば、近藤晴彦先生(現・杏林大学医学部教授)、中山治彦先生(現・神奈川がんセンター部長)、淺村尚生先生(現・慶應義塾大学医学部教授)といった錚々たる面々です。特に淺村尚生先生には大きな影響を受けました。
淺村先生は肺がんの分野では、世界的な医師です。初めて淺村先生から指導を受けたのは医師になり5年目のことで、そこから23年もの月日が経ちましたが、今でも一緒に手術に入っていただき指導を受けることがあります。
現在でも厳しい指導を受けることが多々ありますが、教わる度に、基本に立ち返ることや新たな発見につながっています。身近にこのような方がいること、さらに相談ができ、指導を受けられる環境は非常にありがたいことだと思っています。
外科医は、いくつになっても日々の修練が必要で、最先端の技術から遅れないでいることは、非常に重要であると考えています。
自分の知っていることだけで動いてしまうと、井の中の蛙になってしまいかねません。それを避けるためには、外科医は外からの刺激を受けながら、常に自ら技術と知識をブラッシュアップする必要があります。
国立がんセンターで経験を積んだ私は、出身地である名古屋に戻りました。大学の医局では手術を主とした臨床を行いながら、医学博士の学位をとるための研究も行うという日々を送りました。
研究は当初、色々と試行錯誤しましたが、当然といえば当然ですが誇れるような結果はなかなか得られませんでした。しかし最終的には、「MMP」というがんの浸潤に関与する物質を研究することで、学位を取得することができました。
無事に学位を取得することができた私は、「ここからは、外科医として念願の手術を中心とした仕事にどっぷりつかることができる環境に身を置きたい」と考えました。
名古屋に腰を据えてやっていこうと思っていた矢先、国立がんセンター時代にお世話になった国立がんセンター総長の末舛惠一先生と副院長でいらした成毛韶夫先生(ともに呼吸器外科の重鎮です)に思いもよらない打診を受けます。
それは、東京都済生会中央病院の呼吸器外科へのお誘いでした。予想外のことではあったのですが、呼吸器外科医として尊敬するお二方と共に働くことができるなら、と快諾し、2005年、私は東京都済生会中央病院の呼吸器外科にやってきました。
お話ししたように、私にとって国立がんセンターは、外科医として技術を磨き成長させてくれた大切な場所です。たくさんの手術を経験し、勉強になったことは間違いありません。数多くの手術を経験することはもちろん重要ですが、術後も患者さんとつながりを持ちながら、手術のみにとどまらないサポートを実現することができる現在のポジションに、私は喜びを感じています。
医師になった当時から、「手術だけの外科医にはなりたくない」と思っていた私が望むトータルなサポートができる環境が、ここにはそろっているからです。
現在、私が所属している東京都済生会中央病院では、呼吸器内科と呼吸器外科が同じ病棟にあります。そのため、もしも再発などにより患者さんが呼吸器内科に転科したとしても、同じ病棟にいるため、すぐに患者さんに会いに行くことができますし、相談に乗ることもできます。
もちろん、再発し、抗がん剤などの内科的治療を施す場合には、専門的な知識が必要とされるので、外科医だけで取り組むことは難しいです。専門的な治療は、専門家に任せるべきだと重々理解しています。それでも、なんとか縁を切らず、患者さんとつながりを持ち続けたいと考えています。
なぜなら、手術を担当した外科医は、患者さんの術前の状態や術後の経過を詳細に知る存在です。そんな外科医だからこそ、内科医とはまた違った面から患者さんに寄り添ったサポートができると信じているのです。
患者さんにとって、がんの再発は非常に辛いことです。私は、その不安や辛さを、少しでも軽減できたらと思っています。たとえ困難な状態であっても、残っている選択肢のなかでなんとか目標を持ち、前向きに進んでいただけるようなサポートを心がけています。
呼吸器外科の医師になってから、たくさんの肺がんの患者さんに出会ってきました。彼らのような患者さんの役に立ちたいというのが、医師になった頃から変わらない私の思いです。肺がんに罹患したことを知ると患者さんは大きなショックを受けますし、その後の経過が悪い方も少なくありません。
そんな患者さんの力になりたいと医師を続けてきました。患者さんのお役に立てたなら、それは非常に嬉しいことです。たとえば、手術後に患者さんが5年や10年、再発なく過ごせたときは、やりがいというとおこがましいのですが、役に立てたような気がして喜びを感じます。
逆に経過が悪く、がんが再発し最後には亡くなってしまう患者さんに出会うと、「もっとできることはなかったのか」と、その度に無力感に苛まれることもあります。
日常の臨床の現場は本当に色々なことが起こり、いくつになっても日々が修練であり、毎日人生勉強をさせてもらっています。
外科医は、とかく手術をして、「患者さんが元気になったらおしまい」になりがちです。しかし、私はそのようなスタイルが好きではありません。がんの患者さんは、その後も「がんが再発するかもしれない」という不安を抱えて過ごしていますし、実際に再発する方、転移してしまう方も少なくないのです。
私は手術を担当した患者さんとは、その後も含めた一生のお付きあいをしたいと思っています。呼吸器外科、呼吸器内科の役割分担から難しい面もあるのですが、本音をいうと、私は再発もしくは転移し、内科に移ってしまった患者さんでも、できる限りずっと関わりサポートしていきたいのです。
最近になり、20年前に手術をした患者さんが私たち病院職員のご家族であることがわかりました。その方が今でも私のことを覚えてくれていることを知り、「自分の目指す医療が実現できていたのかもしれない」と、とても嬉しかったです。
とても平凡ではありますが、「人の役に立ちたい」。
その思いだけで私は医師になりました。時には、達成感よりも無力感に打ちひしがれることもあります。それでも、とことん患者さんと付き合い、自分の理想とする医療を実現していきたいと思っています。
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