DOCTOR’S
STORIES
医師としてのすべての経験を患者さんに活かす山口悦郎先生のストーリー
北海道大学医学部卒業後、私は北海道大学第一内科教室へ入局しました。当時の北海道大学は東京大学のナンバー内科に倣い、第一内科、第二内科、第三内科に分かれていました。第一内科は大正から昭和初期に猖獗(しょうけつ)を極めた結核診療に端を発し、呼吸器疾患の診療が主体の科でした。私がこの第一内科教室への入局を決意した理由は大きく分けて2つです。
1つ目は第一内科が腎臓以外すべての内科領域をカバーしていたからです。学生時代私は最後まで自分の入局科を決めかねており、網羅的な知識を学んでから自分の専門を決めたいと考えていました。そこで卒業前に学内ローテートを唱えて、1人で病院と交渉したほどでした。結局それは果たせませんでしたが、幅広い疾患の知識と経験を元に、医師として多様な病態に対応できるようになりたいという気持ちが強かったのです。当時の第一内科はそのような希望がもっとも叶えられそうな科でした。
2つ目の理由は、第一内科教室の雰囲気に大きな魅力を感じたからです。当時の第一内科学教室は北海道大学の内科のなかで最も歴史の長い教室であったために、同門会員数が多くその結果関連病院数も最多で、非常に活気のある教室でした。また当時の教授であった村尾 誠先生は非常に品格があり、多弁ではありませんでしたが片言隻句(へんげんせきく)に重きが感じられるお人柄でした。私が入局を決めたのは「自分もあのような医師になりたい」と思う気持ちが大きかったといえます。
入局後は私の希望通り診療グループの垣根を超え、呼吸器疾患は同然のこと内分泌疾患、神経疾患など実にさまざまな疾患の患者さんを担当させてもらえました。幅広い疾患の患者さんを受け持つことはその都度文献検索と考察の連続で、大変ですが非常にやりがいのある仕事でした。
また、北海道大学第一内科教室は非常に優秀な医師が多く、教授だけでなく先輩医師や同僚、後輩たちからも多大な影響を受けました。当時を思い返すと、みんなで切磋琢磨しながら成長していくことで、自分自身も引き上げられた部分があると感じています。実際同教室でともに育った先輩や後輩には、現在大学の教授を務める方も多く、そのことからも先輩と同僚にとても恵まれたすばらしい環境であったと回顧されます。
そんな折、私が数ある診療科のなかから呼吸器内科を専門とするきっかけになったのは、リンパ球の表面マーカーとの出会いでした。
北海道大学第一内科教室に入局し、大学病院や関連病院のさまざまな診療科で研修を積んだ私は、医局に戻る半年前にとある国立病院の血液内科にレジデントとして勤務することを希望しました。きっかけは関連病院で勤務中に伝染性単核球症疑いの患者の診断にたいそう苦労し、血液疾患の診療能力が劣っていることが身に染みて分かったためです。
当時の血液内科は、ちょうどリンパ球の表面マーカーを用いて悪性リンパ腫やリンパ球性白血病を診断する取り組みが始まった頃でした。配属された血液内科部長が厚生省研究班の重要メンバーとして活躍していたこともあり、私はそのトピックを間近に目にし、非常に興味を惹かれました。
しかし、そこでの研修が終わり教室に戻ると、もとより白血病の診療は第一内科では非主流でした。そこでリンパ球の表面マーカーに関連しで他にできる研究はないかと考えたところ、呼吸器系のなかで免疫応答が強く関与する疾患が浮かび上がってきました。たとえばサルコイドーシスや過敏性肺臓炎に罹患した際も、肺にリンパ球が多数集積します。そこで、リンパ球にまつわる呼吸器疾患を研究しようと思いたち、免疫・アレルギー性呼吸器疾患研究グループに入ることにしました。
北海道大学第一内科教室で研究と診療に没頭していましたが、2003年、ご縁があって愛知医科大学 呼吸器・アレルギー内科教室へ教授として赴任します。こちらでは、研究環境も教室規模も大きく異なり、自分自身の立場も教授になったことで役割が大きく変わり、最初は戸惑うことも多くありました。しかし、そんな私の糧となったのは、第一内科で培った「内科全般に広く対応できる力」と「自ら行った実験に基づく研究体験」でした。
呼吸器内科医にとっていうまでもなく呼吸管理は重要です。しかし全身の血液は必ず肺を通過することから分かるように、他臓器疾患の影響を大いに受けるのが肺です。特に高齢の患者さんでは、心不全であったり低栄養であったりして全身の器官の機能が低下していることも多いため、呼吸器内科医は特に患者の全身に何が起こっているかを判断し、種々の病態にある程度対応することが不可欠になります。私は第一内科教室における領域をまたいだ幅広い診療経験をもとに、当教室の医局員にも「常に他臓器の影響を忘れないようにして肺の病態を考えるよう」指導に励んでいます。
また、自身も実験をしながら研究を行ってきたことで、後進の若手医師に研究の大切さ、面白さを説くことができます。医師の間では「研究のできる医師は臨床もできる、その逆も然りである」とよくいわれますが、本当にそのとおりだと私も思っています。研究は仮説を立てて実験や観察を行い、得られたデータをどのように解釈して、所定の結論を導き出すかという作業です。理論的に物事を考えられるようになると、臨床の現場でも患者さんの症状や病態を正確に把握し「この方の場合にはどんな治療が必要なのか」「なぜあの薬でなく、この薬のほうがいいといえるのか」を的確に導き出せるようになってきます。また文献を読む習慣をつけることで、患者さんに最善の治療を提供できる可能性が高くなります。
「自分が医師人生で学んだことを後進にも伝えていきたい」
その思いで、私は今愛知医科大学で教鞭をとり、患者さんを診療するなかで身をもって呼吸器内科医としての姿を体現しています。
2003年に愛知医科大学へ赴任してから10年以上の歳月が過ぎました。今、私がここで志していることは、「愛知医科大学 呼吸器・アレルギー内科教室を担っていけるような中堅医師をたくさん育てること」です。もちろん今も当教室で活躍している医師は大勢いますが、今いる若手医師をしっかりと育て、新しい医師を迎え入れることで、教室のさらなる成長を目指しています。
呼吸器内科医には肺以外の臓器にも常に目配せをしながら、呼吸管理と時に循環管理を通して全身を診る技術が必要です。また患者さんが高齢者であるがために積極的治療の差し控えや人工的水分栄養補給の是非を判断したり、肺がん診療においては治療限界が迫った際の対応など、患者・家族の意思と主治医の死生観を刷りあわせて、調和のとれた方針を決める役割を果たす必要があります。すなわち魂を含めて全身を診ることができる医師を育て医療に貢献することこそ、今の私の目標です。
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愛知医科大学病院
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