「ひきこもり」という言葉は今では広く普及し、認知されるに至りました。こうなるまでには、この問題の本質に気付き、何とかしなくてはと苦労した先人たちが積み重ねてきた歴史があります。その先人の一人が稲村博先生です。かつて稲村先生に師事し、現在ひきこもり問題の世界的な第一人者である、筑波大学社会精神保健学分野教授・斎藤環先生にお話をお聞きしました。
現代ではひきこもりという言葉が浸透していますが、最初は「社会的ひきこもり」という言葉から始まりました。ひきこもりという言葉を作ったのは斎藤環であるとよく言われます。確かに、有名にしたのは私かもしれません。しかしこれは決して私による造語ではありません。
当時、アメリカ精神医学会が編纂したDSM-Ⅲという精神科の診断基準に、Social Withdrawal(ソーシャル・ウィズドローアル)という言葉が記されていました。これは診断名ではなく、統合失調症やうつ病の精神症状の一つだったのです。直訳すれば「社会的ひきこもり」です(「社交不安障害」と同様に「社交的ひきこもり」が適切であると言う人もいますが、字面が語義矛盾にみえるのが難点です)。この言葉のルーツは元々、英語だったのです。
私は大学院生時代、稲村博先生に師事しました。稲村先生は東京大学医学部を卒業し、筑波大学に助教授として赴任してから帰国子女や自殺の研究を経て、当時は思春期のさまざまな問題の治療に取り組んでいました。熱意と使命感にあふれ、研究よりも臨床を優先する姿勢には大きな影響を受けました。
ただ、残念ながらその熱意は、時に“暴走”することもありました。私が入学する直前まで、不登校児の入院治療を民間の単科精神科病院で行っており、これはメディアから激しく批判されました。当時は、精神科医と両親の同意さえあれば、不登校児に対して強制的な入院治療を行うことができたのです。増加し続ける不登校問題を憂えてのこととはいえ、これは明らかに行き過ぎでした。
もちろんそうした稲村先生の手法を高く評価する方もいましたが、学会からは批判の声のほうが多かったと思います。ただ、非常に先見の明のある先生であったことは確かでしょう。おそらく日本で一番初めに、今でいうところの「ひきこもり」の問題(参照:「ひきこもりとは何か。ひきこもりの定義とその特殊性」)や、不登校との関連に気付いていたのですから。
稲村先生は1980年代から、不登校の問題にどう対応すべきかを考えてこられました。「この不登校問題というのは子どもだけの問題ではない。不登校問題が終わったあとも家族は困っている、困り続けている。これはいつしか大きな社会問題にもなる。そもそもひきこもっている本人が来てくれなければ治療にならない。なおかつ家族も相談を拒むことが多い。どうやって介入すれば良いのだろうか―」という問題意識を持たれていたのです。
当時は(現在もですが)、あまり不登校について深く踏み込もうとする精神科医はいませんでした。そもそも家族相談(患者さん本人からではなくご家族からの相談)に対応しない精神科医は、ひきこもりの方にも不登校の方にも出会うことは困難です。家族相談や訪問支援(医師らが家庭を訪れ直接問題に対処すること)という当時ではイレギュラーな手段をとっている人でなければ不登校の一部が持つ潜在的な危険性に気付くことはなかったでしょう。その点、かなり早い段階から家族のカルテを作るなどして積極的に家族相談を引き受け、踏み込むことができた稲村博先生は、当時この問題の先駆者でした。
私は稲村先生のおかげで不登校の持つ潜在的な危険性にも気づくことができましたし、「ひきこもり」に深く関わることもできました。私の現在の問題意識は、稲村博先生との出会いがなければありえなかったと思っています。
今思えば、当時稲村先生は焦られていたのかもしれません。「不登校がいかに危険性を孕んでいるのか、なんとかして社会に知らしめなければならない」という焦りです。
そんななか、ある日大きな事件がありました。「不登校はいずれ無気力症になる」と稲村先生が発言した、という取材記事が全国紙に掲載されてしまったのです。この記事をきっかけに、強烈なバッシングが始まりました。「不登校で悩んでいる何万人もの親子を不安に陥れてどうするのか」「そもそも“無気力症”などという病名はない」といったものです。確かに、この発言には配慮が足りなかった点があるでしょう。学問的にも不正確な表現ですし、メディアとの付き合い方にも軽率なところがあったと言われてもしかたありません。
この事件以降、稲村先生は実質的に学会からも追放されました。私自身も「あの稲村博の弟子」という理由で批判・冷遇されることが良くありました。私自身の不登校やひきこもりに関する見方は、稲村先生とはかなり異なっていたにもかかわらず、です。学会でひきこもりについて発表しても、そうした反発をしばしば受けました。不登校やひきこもり青年の人権を踏みにじる悪徳精神科医、という先入観がついて回りました。
しかしその一方で、社会がその存在にほとんど気づかないまま、ひきこもりの問題はだんだん深刻化していきました。そうした危機感を感じていたおりに、おりからの新書ブームで、私のところにも依頼がありました。学会の体質に絶望していた私としては渡りに船で、さっそく博士論文を新書として書き直しました。今と違って、その書き下ろし作業にすべてのエネルギーを投入できましたので、私の著作の中でも充実した一冊になったと自負しています。
もちろんひきこもりの原因や記述については古くなった部分もありますが、対応に関しては、現在でもあまり訂正の必要を感じません。同時期に原著論文も発表しましたが、基本的には一般書を通して社会に向けて注意喚起を続けてきました。『社会的ひきこもり――終わらない思春期』が出版された当時はそれなりに話題になり、1万部ほどは売れました。ただ、その段階では政策に影響を及ぼすまでには至りませんでした。
しかしそこから、さまざまな事件を経ることによって徐々に「ひきこもり」という言葉・概念の認知度が広まっていきました。これについては、次の記事「引きこもりの歴史(2)—引きこもりの概念が広まった事件」で説明していきます。
筑波大学 医学医療系社会精神保健学教授
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