滋賀医科大学医学部附属病院・病院長の松末吉隆先生は、ひざ関節などの軟骨が損傷した部分に自身の軟骨を骨ごと採取して移植する「モザイクプラスティ(自家骨軟骨移植)術」を世界で初めて関節鏡を使って成功させました。開発の経緯について、松末先生にお伺いしました。
関節鏡と呼ばれる内視鏡を使ったひざ関節の手術は、日本で1980年代に入って、普及しました。特に、ひざ関節を安定に保つ「前十字じん帯」の損傷や、関節に加わる体重の負荷を和らげる「半月板」の損傷の手術に使われてきました。
ところが、関節の骨の表面にありクッションの役割を持つ「関節軟骨」については、いったん傷つくと修復しないといわれ続けており、古くから整形外科医にとって関心の的でした。「前十字じん帯」の損傷で起こる明らかな軟骨損傷は約20~30%あるといわれています。当時、軟骨損傷の治療法としては、骨に穴を開けて削り、骨の内側にある骨髄から未分化の細胞が出てきて、これが線維性の軟骨のような組織に分化を遂げることで表面を覆う方法がありました。ただ、この軟骨性の組織は質が落ち、耐久性にも乏しいものでした。
一方で、当時、若い人がスポーツなどで傷めて軟骨が剥がれ落ちる「離断性骨軟骨炎」の治療において、ひざの端のほうから軟骨をノミでブロック状に切り取って欠損部分を埋める手術法が報告され始めたころでした。
あるとき、内視鏡でじん帯の手術をしているときに関節軟骨も傷んでいたため、同時に治せないかと思いました。そのとき、ひざの周辺の体重のかからない辺縁部分からブロック状ではなく円柱状にした軟骨を取ってきて欠損部分に埋め込みました(モザイクプラスティ術)。
手術から2年後に抜釘(ばってい)をする際、患部を確かめてみると、欠損した軟骨部分が軟骨で覆われ非常にきれいに治っていることがわかりました。田植えのようなイメージで、小さな苗が大きくなるとすき間がなく埋まっていくように、軟骨が一体化していたのです。そこで、関節鏡を使った世界初のモザイクプラスティ術として英文ジャーナルに発表しました。1993年のことです。
この手術で最も重要なことは、軟骨を取る部分において、障害を絶対に起こさない程度に非常に控えめに軟骨を取るということです。加えて埋め込んだところへの効果がプラスに出るというケースに限って、という考えのもと行いました。
その後、次々に欧米の外科医によって軟骨切除のための新しい治療機器が作られ、関節鏡を使ったモザイクプラスティ術が10数年かけて普及していきました。今ではとくに若い人の関節軟骨欠損や離断性骨軟骨炎の一般的な治療として世界的に定着しています。