患者さんの感謝と喜びの声が医師としての原動力

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患者さんの感謝と喜びの声が医師としての原動力

患者さんの抱える排便に関する悩みを改善するために努力を積み重ねる齋藤 徹先生のストーリー

医療法人伯鳳会 大阪中央病院 外科 特別顧問
齋藤 徹 先生

クラスメイトの病死をきっかけに医師を目指す

尊敬する偉大な父を超えたいと世界で活躍する外交官になろうと考えていました。ですが、高校2年生のとき、クラスメイトが白血病で亡くなって。このことがきっかけで医師になろうと思い、医学部進学を決意しました。

第一志望であった大阪大学医学部を受験しましたが、現役時は力不足で不合格でした。YMCA予備校の医学進学コースで実力をつけ、「合格確実」と言われていたため、翌年は自信満々で受験しました。しかし、大学の授業内容まで学習していたほど得意な数学の問題に苦手である行列式とベクトルの問題が5問中2問出題され、リベンジはなりませんでした。そこで、二浪はせずにほかに合格していた大学の中から三重県立大学医学部(現在の三重大学医学部医学科)に進学することを決めたのです。

自分自身を高められる環境で医師としてステップアップすることを決意

私が進学した1年後に国立大学となった三重大学で、医学生として知識や技術を獲得するべく努力を重ねていました。診療科を選択する際に、外科系の診療科に進むことは決めていたのですが、どの診療科に進むか、また三重大学に残るか否かを悩んでいたところ、胸部外科の准教授と消化器外科の准教授のどちらからも「うちに来ないか」と誘っていただいて。実力を認めていただいたことは大変嬉しかったのですが、最終的には「自分をさらに高められる環境で学びたい」と、京都大学の系列病院に勤務することにしたのです。

恩師である谷村 弘先生のご指導の下、医師として知識を深める

さらに成長したいと入局した京都大学医学部第二外科で講師をされていた谷村 弘(たにむら ひろし)先生に熱心に指導していただきました。ある日、資料をどさっと渡されて「齋藤君、このデータを明後日までに頼むわ」とおっしゃいました。何かと思って確認すると、治験のデータと30ほどの英語論文をまとめて、明後日までに論文を書けというわけです。それで、2日間徹夜してなんとか仕上げた論文を見て、谷村先生が実力を認めてくださって。それから消化器外科の領域に限らず、薬理学や栄養学、細菌学などについても幅広く学ばせていただきました。

私も頭の回転ならば人には負けないと思っていたのですが、ご指導いただくなかで谷村先生の知識量と熱意を肌で感じ、「谷村先生には敵わない」と思ったものです。

胃がんをきっかけに患者さんに真摯に向き合う大切さを再認識

患者さんと向き合うことが好きだった私は、消化器外科の臨床医として日々の診療などに熱心に取り組んでいました。41歳のときに胃がんになったことをきっかけに、人生を粗末にできないと考えて。そこから一人ひとりの患者さんに対する向き合い方も少し変わりました。

手術日から勘定して10日前に、25歳のときに“41歳で胃がんになる”という予知夢のような夢を見たことをふと思い出して。特に症状はなかったのですが、念のため内視鏡検査を受けると、夢で見たのと同じ場所にがんが見つかって、鳥肌が立ちました。がんが粘膜層にとどまっていたため幸い助かりましたが、発見が遅くなっていたら致命的という状態で、本当に命拾いしました。

自分自身が胃がんを患ったことで、患者さんに対する思いやり、そして気持ちに寄り添うということをよりいっそう重視するようになったのです。また、手術後の疼痛(とうつう)を経験したことで、それからは患者さんの痛みを軽減することの重要性を痛感して、日常診療に生かしています。

手術で根治可能な領域に魅力を感じ、肛門外科を専門とする医師として歩み始める

関西電力病院で消化器外科の副部長をしていた私に、部長への栄転人事がきました。前任で部長を務められていた先生が肛門疾患(こうもんしっかん)を専門にしていたので、それがきっかけで1995年から肛門外科を専門とする医師への道を歩み始めました。そこから、さらに肛門疾患の勉強や手術の実績を重ねて専門性を高めることで、患者さんの数を増やしていきました。このような経緯はあるものの、やはり肛門疾患は良性疾患が中心で、手術で根治できるという点が、肛門外科を専門とする今の道を選んだ決定的な理由です。

肛門外科における直接の恩師はいません。けれども、黒川梅田診療所で院長を務める黒川 彰夫(くろかわ あきお)先生には、非常にお世話になりました。黒川先生は、当時私が勤務する病院に患者さんを紹介してくださる医師の1人だったのですが、組織病変に関する疑問に答えていただいたり、治療に関する相談に乗っていただいたりと、共に働いていない私に対して丁寧にご指導いただきました。黒川先生のご指導がなければ、肛門外科医としての今はないと強く感じます。

院長の経験を経て、現在は肛門外科で診療と後進の育成に注力

私は京都大学の卒業生ではないので、出世したとしても関連病院の部長止まりが通例です。ましてや国の運営する(後に民営化)病院の院長にはなれるはずがないのですが、53歳の若さで病院長になりました。

病院長の仕事は多岐にわたり、大変なことも多くありました。しかし、幼い頃に父から「私は出世で苦労したからお前は本を読んでおきなさい」と言われ、すすめられた経営学や心理学などの本をたくさん読んでいたことが、院長の役目を全うするうえで役に立ったと感じています。

10年間病院長を務めた後、2015年に現在勤務する大阪中央病院に特別顧問として異動し、肛門外科において診療や後進の育成にあたっています。後進の育成には、厳しさと優しさのどちらも欠かせません。ですから、過ちは正し、よいところは褒める。それと同時に自分が持っている知識や経験で必要だと思うことは積極的に伝えることを心がけています。

また、立場にかかわらず相手を尊重し、意見を聞くことも大切です。こういった一つひとつが意見を言いやすく、質問しやすい環境をつくり、成長につながる場となればと願っています。

肛門疾患に起因する患者さんの悩みを改善したい

手術が無事に終わった瞬間、特に難しい手術であればあるほどに達成感を感じます。それは、手術を終えた患者さんから喜びと感謝の声をいただけるからにほかなりません。

「先生に手術していただいてよくなりました」「今まで悩んでいた排便について悩まなくて済むようになりました」などの患者さんからの言葉と笑顔はとても嬉しく、医師としての原動力になっています。

患者さんの悩みが治療で改善されること。それが私の目指す医療であると考えています。手術で治療することにとどまらず、診察時の会話などで患者さんに誠実さと思いやりを持って向き合い、よりよい医療の提供に努めてまいります。

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