日本人の死因1位であるがん(悪性腫瘍)。その中に「希少がん」という領域があることをご存知でしょうか。希少がんとは人口10万人あたり6例未満の珍しいがんの総称です。その種類は200近くあり、全て合わせるとがん全体の15%ほどを占めますが、1つ1つがまれであるため、診断や治療が難しい・患者さんが情報を探しにくいという課題があります。今回は希少がんの1つである「骨軟部腫瘍*」と診断された患者さん(女性、30歳代、診断当時に福岡県在住)のお話を基に、治療までの経緯やその過程で感じたことなどをまとめました。
*骨軟部腫瘍:骨や筋肉、脂肪組織などから発生する腫瘍の総称で、肉腫とも呼ばれる。
※本記事の内容はあくまで1つの例です。同じ病名であっても、病気の性質や体の状態などにより経過や治療選択は異なります。
※「希少がん対策ホームページ」はこちらをご覧ください。
※本記事は、厚生労働省「希少がん診療ガイドラインの作成を通した医療提供体制の質向上班」研究による企画を転載したものです(研究代表者:名古屋大学大学院医学系研究科消化器外科学 教授 小寺泰弘先生)。
職場の定期健康診断を受けた際、胸部X線検査(レントゲン検査)で異常が見つかりました。健康診断を担当した医師から総合病院を紹介してもらい、そこで胸部X線検査とCT検査を実施。しかし、それらの画像検査の結果からは病名が分からず、翌日にMRI検査を受けました。それでも検査の結果「悪性の腫瘍である」ということが分かっただけで、「希少がん」というキーワードにはたどり着きませんでした。
腫瘍の場所が心臓と肺の背面側(後縦隔)ということで、心臓血管外科のある病院を紹介され、そこでまた一通りの画像検査を受けました。それでも、10cmほどの悪性の腫瘍があることは分かるけれど病名までははっきりと分からなかったのです。
振り返ると、このときが一番つらかったというか、困惑していましたね。診断がつけば自分でもいろいろと調べることができますが、当時は病名も分からず待つしかない状況だったので、とても不安でした。自分としては自覚するような症状はなく元気だったのですが、それに反して担当医は「これは明らかにおかしい」という切迫した様子で話していて、不安な気持ちになったことを覚えています。
病名の付かないまま「まずは手術して病理検査(採取した組織や細胞を染色し、顕微鏡で観察する検査)をしてみましょう」ということになり、大きな病院で手術の予約を取りました。数週間後に手術で腫瘍を摘出し、数日入院したあとは自宅で療養していたのですが、その間もずっと病名は分からなかったのです。診断が付かないため次の治療に進めない、というもどかしい日々が続きました。
この時点で医師から可能性を提示されていたのは、葉状腫瘍(乳腺にできる腫瘍の中でも特にまれなもの)あるいは悪性孤在線維性腫瘍(SFT:胸腔内に発生する線維性腫瘍)、そのほか何らかの縦隔腫瘍(左右の肺に挟まれた空間である「縦隔」の中に生じる腫瘍)です。結果的に葉状腫瘍や悪性孤在線維性腫瘍ではなかったのですが、インターネットでそれぞれの病気についていろいろと調べました。
ようやく「骨軟部腫瘍」という病名が分かったのは、手術のおよそ3カ月後です。いくつかの病院で病理検査をしてもらい、最終的に国立がん研究センターで結果が出ました。
やっと病名が分かったので、担当医からすすめられ同じ病院の腫瘍内科で診てもらうことに。診察の際に言われたのは、骨軟部腫瘍の中でも珍しい部位にできた腫瘍だということ、腫瘍が大きいので切除して終わりではなく追加の治療をしたほうがよいということです。
病名が分からず病理検査の結果を待っている間、担当医に「仕事をしたい」と相談しました。しかし「悪性腫瘍であることは分かっているので、病理検査の結果が出るまで仕事はしないでください」と言われ、仕事を続けることができませんでした。それに伴い、一人暮らししていた自宅も賃貸契約を解約し、しばらくは同じ県内に住む両親の元で療養することにしました。
診断を受けたとき、初めに両親に相談しました。骨軟部腫瘍(肉腫)という病名をインターネットで調べると「予後不良」という言葉ばかりが出てきてしまい、それが心に重くのしかかりました。珍しい病気なので治療法も豊富にあるわけではなくて。
がんを切除した後、抗がん剤治療(全身化学療法)を行うかどうか選択する際には、両親にたくさん相談しましたね。父と母の意見は分かれたのですが、最終的には抗がん剤治療を受けてみることに決めました。理由は、担当医に「この抗がん剤治療は手術後の再発防止として行うので今のタイミングでしかできない。1〜2年先に同じように抗がん剤治療をしようと思ってもできない状況」と教えてもらったからです。そのときにできることを最大限やってみようと思い、抗がん剤治療を受けることにしました。
骨軟部腫瘍であると分かったのが6年ほど前で、2020年に再発しました。そのときに希少がんについて前以上に調べ、初めて国立がん研究センターの中央病院など希少がんに詳しい病院があることを知りました。住居は九州から関西圏に移っていましたが、東京の病院に通うという発想はありませんでした。国立がん研究センターのホームページには希少がんのことも詳しく載っているので、情報収集に活用しています。
それから、日本サルコーマ治療研究学会(肉腫<サルコーマ>の診療と研究に携わる医師、研究者、患者さんなどが登録する学会)にも登録し、診療ガイドラインに目を通してみました。
※日本サルコーマ治療研究学会のホームページはこちらをご覧ください。
学会などで新しい情報を集めながら、居住地から通える病院に通って抗がん剤治療を続けています。脳への転移については手術と放射線治療を済ませて経過観察中です。また、体への転移に対しては分子標的薬(がん細胞だけをピンポイントで狙い撃ちする薬)で増大を抑えつつ、増大して薬での制御が追い付かない箇所に関しては腫瘍の位置や大きさに合わせて手術や放射線、凍結療法(腫瘍に特殊な針を刺してがん細胞を凍らせ、細胞膜を破壊・壊死させる治療)などを組み合わせて選択しています。
治療を受ける病院を選ぶときには、家族ともよく話し合い、通いやすいところを選びました。信頼できる担当医にも出会えたので、これからも頑張って治療を続けます。
希少がんに関してインターネットで検索すると、公的機関や病院などの情報よりも個人のブログ(体験記など)が多くヒットすると思います。そこで自分にとってよい情報に出合えるときもあれば、そうでない場合もあります。同じ病気や状態の方であっても、最終的には自分と違うケースであることを忘れないことが大切かもしれません。いろいろと調べていくと、徐々に知識が蓄積されて自分の判断軸のようなものができるはずなので、ほかの人の情報に一喜一憂せずに、ご自分の病気や生活と向き合うのがよいと思います。
今回の希少がんについては、幸い切除が可能でもあったので、まず手術をして病理検索という方針は正しかったと思います。
そのうえでお伝えしたいのは、骨軟部腫瘍に関しては国立がん研究センターに限らず骨軟部腫瘍の診療を得意とする病院が全国にあるということです。現状では国立がん研究センターの「希少がんホットライン」で相談されるのがもっともよいと思いますが、希少がんの相談窓口を設けるべく準備を進めている病院はほかにもあります。このような知識を日本中に拡げる必要がありますね。
また、地域の医師としては、各地域でどこに紹介すればよいのかを知っておく必要があり、まずは全国で腫瘍を診療する医師にこのような情報を拡げる必要性を感じました。今後も希少がんを診療する施設を把握し、その情報を医療者や患者さんに伝える努力を続けます。
将来的にはもう少し正しい情報を入手しやすくなるはずです。ただし、同じ病名でも病気の性質も体の調子も人によって異なりますので、個人の体験記は参考程度に留めていただければと思います。
※希少がん患者さんの関連記事は以下をご覧ください。
1)悪性リンパの1つ「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」の患者さんのお話
※「希少がん対策ホームページ」はこちらをご覧ください。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。