現代社会に生きる人間は、仕事や学校、家庭などでさまざまな「ストレス」にさらされているといわれる。言葉の正しい意味は本文に譲るとして、ストレスは時に心も体もむしばみ、頭痛や倦怠感(けんたいかん)、不眠など多様な症状を引き起こす。そうした心身のつらい症状は、漢方薬で緩和できるかもしれない。東北医科薬科大学精神科学教室教授で日本東洋医学会認定漢方専門医・指導医でもある山田和男先生に、そもそもストレスとはどういうものか、漢方薬はどう効くかなどについて聞いた。
痛み止めの使用過多で片頭痛が慢性化し、通学に困難をきたした学生の患者さんがいました。私は頭痛専門医(日本頭痛学会認定)でもあり、診察して「抗CGRP抗体」という片頭痛予防薬を投与した結果、通学は可能になるまで回復。ところが、試験や気が進まないイベントなどがあると頭痛が出て学校に行けません。現状でもっとも効果が期待できる予防薬も効かないので「抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)」という漢方薬を追加したところ、いやなことがあっても頭痛が起こらず登校できるようになったのです。
この患者さんはもともとあった片頭痛という病気を予防薬で抑えていたものの、学校があまり好きではないことから気が進まないイベントなどのストレス要因が引き金となって症状が再燃していました。体質と症状に合った漢方薬を処方することで、ストレス要因で起こる症状を緩和することができたのです。
「ストレスで胃が痛む」などと言いますが、これは「ストレス」という言葉の誤った使い方です。
ストレスとはもともと「ひずみ」という意味の理工学用語で、医学・生物学でも使われるようになりました。「生体にひずみを生じさせるもの=ストレッサー(ストレス要因)と、それに対する生体の防御反応」の総称が「ストレス」の正しい意味です。我々の生体にひずみを生じさせるストレッサーとは、「ホメオスタシス(恒常性)」を乱すものであり、物理的、化学的、生物学的なものもあります。ただ、おそらく多くの方が気にしているのは人間関係や過重労働といった精神的な要因、すなわち「心理・社会的ストレッサー」でしょう。
ストレッサーによって神経症状や身体症状が起きるメカニズムを、我々精神科医は▽神経系▽内分泌系▽免疫系――の3つの要素から考えます。
ストレッサーによる神経系の変化は、自律神経のうち交感神経が副交感神経よりも優位に働くようになることです。それによって頭痛やめまい、疲労感、不眠、動悸、息切れ、便秘、下痢などの身体症状が現れ、それらを通称「自律神経症状」と呼んでいます。
内分泌系で起こる変化には2つの系統があります。1つはカテコールアミンとよばれる種類のホルモンで、具体的にはアドレナリンやノルアドレナリンなどの分泌が増え、それによって心拍数や血圧、体温などの上昇が起こります。もう1つはコルチゾールと呼ばれるホルモンが上がります。その作用として血糖値や血圧の上昇、胃潰瘍の原因となる胃酸の分泌促進、神経興奮、抗炎症作用などが起こります。
免疫系に関しては「サイトカイン」が増加します。インターロイキンやインターフェロン、腫瘍壊死因子(TNF)など、免疫細胞から分泌されるタンパク質の総称で、増加することで発熱、全身倦怠感、頭痛など自律神経症状に近いさまざまな症状が現れます。
なぜ、このような反応が起こるのでしょうか。
たとえばウイルスや細菌に感染する(=生物学的ストレッサーを受ける)と、体が“臨戦態勢”になります。交感神経のはたらきを高めることで免疫機能の向上や体温の上昇など、体内に入った病原体と戦うためのさまざまな反応が起こります。また、人類の祖先がアフリカの草原で生活していた時代は、ライオンなどの野生動物にいつ襲われるか分からないような状況に置かれていました。敵との遭遇は心理・社会的ストレッサーであり、「闘争・逃走反応」が起こります。心拍数を上げ呼吸を浅く早くしたほうが戦うにも逃げるにも有利になります。
ストレッサーに対して太古からある体内のシステムが動き出し、それらは本来自らを守るための反応だったわけですが、現代社会で生きる人間には不快な症状として現れることがあるのです。
同じストレッサーを受けたら誰もが同じ反応を示すわけではなく、人によって頭が痛くなったり胃が痛くなったり疲労感が強くなったりといったように、現れ方に違いがあります。
症状は2つに分けることができます。1つは「心身症」と呼ばれ、本態性高血圧や片頭痛、胃潰瘍、気管支喘息など元々あった体の病気が、ストレッサーによって発症したり悪化したりすることをいいます。もう1つは、体の病気はないけれどストレス反応によって起こる不調で、精神医学では「身体症状症」という病名がつけられています。
どちらも現れる症状に共通性がありますが、治療は異なります。心身症であれば、もともとの体の病気をしっかり治療し、なおかつストレスに強くなる=抗ストレス作用を強める治療をします。身体症状症に対しては、薬や自律訓練法という精神療法によってリラックス状態をつくり、自律神経のバランス回復を図る方法で治療します。治療薬として抗うつ薬を使う医師もいますが、漢方薬も昔からよく使われてきました。
現在の日本で通常行われているのは、西洋医学に基づく診療がほとんどです。それとは別に、江戸時代前期まで日本で唯一の医療だった漢方(漢方医学)があります。西洋医学は精神と身体は別という心身二元論に立脚するのに対し、漢方は精神と身体は相互に関連しているものと捉えて心身全体の調和を図ることを治療の目的とし、これを心身一如(しんしんいちにょ)と称しています。
心身症がストレッサーによって悪化している場合、西洋医学だと体の病気だけを治療し、ストレッサーに対しては精神安定薬(向精神薬)で対応するといった考え方をします。これに対して漢方では精神と身体を同時に考えて治療します。
ストレス反応が起こりにくくなる「抗ストレス作用」のある生薬として桂枝(ケイシ)・桂皮(ケイヒ)、柴胡(サイコ)、酸棗仁(サンソウニン)、大棗(ナツメ)、杜仲(トチュウ)、人参(ニンジン)、半夏(ハンゲ)、白朮(ビャクジュツ)などが知られており、症状に応じてそれらを含むさまざまな漢方薬が治療に使われます。
ストレッサーは外からかかってくるものなので、厳密には女性の更年期にみられる不定愁訴と呼ばれる症状はストレス反応とはいえないのですが、ほとんどが自律神経症状でストレス反応に近いものと考えることができます。そうした症状にも漢方薬が有効な場合があります。
漢方には「証」という概念があります。体質・体力・抵抗力・症状の現れ方などの個人差を表すもので、証に合わせて薬の処方を決定します。合わない薬では、効果がみられなかったり弱まったりすることもありますので、ストレス関連症状に限らず漢方治療を受けたい方は、証を見極められる医師に相談するのがよいでしょう。一番確実なのは日本東洋医学会のウェブサイトで専門医を検索することです。住所と西洋医学の分野などから同学会認定の漢方専門医を探すことができます。心身症の要素がある場合には、それぞれのもとになっている病気の専門家で漢方もよく分かっている医師を探すとよいでしょう。特に体の病気がないけれど調子が悪いという方は精神科医や内科医から探してみてください。
私も東北医科薬科大学の若林病院(仙台市若林区)で漢方外来を受け持っています。お近くでストレス関連症状に困っている方がいれば、紹介状なしでも受診できますのでお問い合わせください。
「ストレスとうまく付き合う」などと言われますが、実際にはなかなか難しいでしょう。たとえば「気象病」の原因となる気圧低下のような物理的ストレッサーは避けようがありません。多くの方のストレス要因となっている心理・社会的ストレッサーも回避は難しい場合が多いでしょう。
しかし、ストレス反応を出にくくすることで、ストレッサーによる不調を軽減できる可能性があります。その方法の1つとして先ほどお話しした自律訓練法があります。動画配信サイトでさまざまな訓練方法が紹介されているので、参照するとよいでしょう。ある種のアロマにも抗ストレス作用があることが知られていますので、アロマセラピーも効果が期待できます。もちろん、漢方薬もストレス反応が起こりにくくなるための武器になると思います。ストレス関連症状でお困りの方は、これまでの話を参考に適切な医療を受けることもご検討ください。
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