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患者さんの身体と心を癒す医師でありたい

DOCTOR’S
STORIES

患者さんの身体と心を癒す医師でありたい

若手医師の見本としてトップに立ち続ける小椋祐一郎先生のストーリー

名古屋市立大学病院 病院長、名古屋市立大学 理事
小椋 祐一郎 先生

暗闇の世界に、光を取り戻す喜びを

眼科医になると決めたのは、学生時代、臨床実習で各科をローテーションしていた時に出会った眼科の教授に強烈な憧れを抱いたからです。卓越した手術手技、見た目のスマートさ、滲み出る荘厳な雰囲気、そして溢れる知性。教授とはこんなにもカッコいいのかと、全身に電気が走るような感動を覚えました。

こんな医師になりたい。その教授の姿に少しでも近づきたい私は、後日開催された眼科の入局説明会に参加し、眼科について様々なことを聞きました。そのなかで印象に残った言葉が「ハーバード大学のトップは眼科に行く」「眼科医は患者さんの喜びを実感できる」の2つです。これらの言葉で私はさらに眼科医への憧れを強めたのです。

たとえば胃がんを切除して、患者さんの身体からがんを取り除けたとしても、患者さんには治療の前後で目に見える劇的な変化がなく、病気が治ったという実感がなかなか湧きません。これとは対照的に、目の治療の効果はとても明確です。見えていなかった世界が、次の日から見えるようになる―。患者さんは目が見えるようになった喜びを通して、病気が治った事実を実感することができるのです。この点に惹かれ、私は眼科医になる決意をしました。

失明した患者さんから受けた声なき「ありがとう」

眼科医となり、今年で早37年。名古屋の地で教授になった今でも、25年以上前に担当した、ある患者さんの姿をふと思い出します。

当時は今ほど治療技術が進歩しておらず、治療不可能な眼科疾患が多くありました。眼科医として駆け出しだった30歳過ぎの頃に出会ったその患者さんは、当時の技術では治すことが難しい病気を抱えておられました。

自分ができる最大限の努力を、と私は何度もその方に手術や治療を行いましたが、治療の甲斐なく、患者さんは失明してしまったのです。自分は眼科医なのに、患者さんを治すことができなかった―。技術的な限界があったとはいえ、それは医師としての力不足を痛感した瞬間でした。

そして、無力感に苛まれながらも、患者さんの退院をお見送りすることになったのです。お別れの挨拶をする時のことです。目を閉じた患者さんは静かに胸の前で両手を合わせ、私を拝むような仕草をしました。

「小椋先生、一生懸命に治療してくれてありがとう」

声のないやりとりでしたが、私にはそう聞こえてくるようでした。

その時、治療の結果だけでなく、患者さんに満足してもらえる医療を提供する医師であろうと心に誓いました。

どんなに凄腕の医師でも、すべての病気を治すことはできません。辛い結果に終わることもあります。そんなとき、最終的に患者さんの心を決めるのは医師とのつながり、つまり心と心の対話です。医師と患者さんがしっかりとつながっていれば、患者さんの心の光まで失われることはないのだと思います。

若いうちに持つべきは、研究に没頭する時間

私が医師になってから、眼科学は著しく進歩しました。

今でこそ日帰りで可能になった白内障手術ですが、私が医学部を卒業した1980年当時、それはとても大掛かりな手術でした。角膜または強角膜を大きく切開して水晶体を取り出し、眼内レンズも入れず、今では信じられないかもしれませんが、術後は一昼夜絶対安静が強いられていたのです。

私の専門である網膜硝子体手術も白内障手術と同様、この37年の間に飛躍的に進歩しました。眼科学の進歩とともに医師としてのキャリアを重ねてこられたのは大きな喜びと言えるでしょう。

特に深く眼科学の進歩に向き合ったと感じるのは、2回にわたるアメリカ留学期間です。私は1985年からの1年間、1989年からの2年間の合計3年間留学していましたが、その期間は臨床の現場には立たず、完全に研究室のテクニシャンとして実験研究に専念しました。

留学のメリットは、臨床から一時的に離れることで時間に余裕が生まれ、気兼ねなく論文閲読や執筆、実験に没頭できることにあります。

3年間純粋に研究を続けたからこそ、眼科学の進歩がもたらした新しい技術を素直に受け入れられるのだと思いますし、今もこうして網膜の専門家として、多少なりとも網膜疾患治療の発展に貢献できているのだと思います。

カッコいい背中の教授でいたい

名古屋市立大学医学部には毎年、医師を目指す若者が入学してきます。教授として大学に身を置く現在は、若い方々が成長していく過程を見るのが最大の楽しみです。若手を育てるために、大学に在籍しているといっても過言ではありません。

価値観も能力も背景もひとりひとり異なる大人の教育は、子どもと同じようにはいきません。ですから私は、若手医師に手取り足取り指導はせず、「教授の背中を見て学びなさい」とだけ伝えます。

たとえば手術手技の教育においても、私自身が手本となれば若手医師がそれを見て学ぶことができます。私が一生懸命働いて超一流の医師になり、若手医師に「カッコいい」と映る存在でいられるなら、それが彼らにとって一番わかりやすい指針になると思うからです。

手術の腕を磨き、教授を目指せ!

時代小説が好きで、池波正太郎や司馬遼太郎の作品をよく読むのですが、幕末に活躍したこれらの作品の主人公には共通点があります。彼らは総じて剣の腕が立つということです。坂本龍馬しかり、高杉晋作しかりリーダーになる人物は、他の素質を持つ前提として、まず剣術に長けているのです。

外科医の世界では、手術の腕がこの剣術にあたると感じています。だから私は今でも手術の腕が落ちないように努力をしていますし、手術の腕はまだ若い先生には負けない自信があります。

最近の日本の若い医師は、教授を目指さなくなったといわれています。現代の教授は明治時代と異なり、その地位によって生活の質が飛躍的に向上するわけでもなく、むしろ負担が大きくなるだけという現実的な考え方が普及したからでしょう。

しかし、医師が忙しい合間を縫って論文を書き、手術を重ねる理由の1つには、教授になるという目標があります。若手医師が教授を目指さなければ論文も生まれず、手術実績も伸びませんから、日本の医療の質が低下してしまいます。

日本の医療の未来に貢献するためにも、私は教授としてカッコよくありたいと思います。教授が毎日ボロボロの白衣を身にまとい、疲れた顔で診療をしていては、誰もその地位を目指そうとしないでしょう。裏を返せば、かつて私がそうだったように「自分もあんな医師になりたい」と思える教授に出会えれば、若手医師は勉強も論文作成も自発的に行い、成長を遂げていくはずです。

彼らに輝かしい未来を知ってほしいから、私は常にカッコいい教授であり続けようと思っています。

プライベートでは社交を大切に

プライベートでも社交的に活動し、人との関わりを多く設けるようにしています。私はワインとフライフィッシングが趣味で、世界各国で外国の友人たちとともに釣りに行ったり、ワインを飲んだりして、プライベートな時間を大いに楽しんでいます。こうした仕事以外での交流により、自分自身の知識や眼科医同士のネットワークも大きく広がっていると感じています。

アイダホの川で米国の眼科医と釣りをした時の写真

特にワインは、英語以上に万国共通の文化です。ワイン好きのネットワークが広まったおかげで、フランスのボルドー大学の教授やイタリアのフィレンツェ大学の教授など、世界中に眼科医のワイン仲間ができました。彼らとは今でも学会のたびに時間を作り、仕事の話やワインの話をして盛り上がっています。こうしたネットワーク構築の力も、若手医師の見本になればいいと思っています。

昨年主催した日本臨床眼科学会の世界各国の招待演者とともに

 

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