父親は病理学を専門とする医師です。病理医とは、解剖による死因や病態の解明などを行い、病気の確定診断を行う医師のこと。普段から患者さんの前に出てきて治療を行う医師ではないため、一般の方には馴染みが薄いかもしれません。それでも病気の謎を明らかにするために日々顕微鏡を覗く父の姿は誇らしくみえたものです。物心がついたときには、私も父のように、世の中の謎を解明するための研究者になりたいと思っていました。
一般の研究職ではなく医師を志したのも、私自身が自覚してないところで父親の影響があったのかもしれません。そして父親の背中を追いかけ、同じ北海道大学医学部へ入学。医師の道の一歩を踏み出しました。
私は医学部入学当初から、研究者として生きていくのだろうと、漠然と考えていました。しかしせっかく医師免許を取ったのだから、一定期間は臨床医として医学に接し、きちんと人の病気を理解したうえで、研究生活を始めるのがよいだろうと感じ、大学卒業後は国立国際医療研究センター病院で2年間の研修生活を送りました。
そこで目にしたのは、日々多くの患者さんを診療しながらも、ただ患者を診るだけではなく熱心に研究をする先輩医師の姿。国立国際医療研究センター病院は研究所も併設された病院という背景もあったのでしょう。臨床も研究も手を抜かず、素晴らしい功績をあげる先生がたくさんいました。
臨床の面白さがどんどんわかってくる中で、臨床と研究とのいずれも諦めることなく医学に貢献している多くの先生方の姿は、当時の私には衝撃的でした。
呼吸器内科研修中の一人の若い患者さんとの出会いが、私が呼吸器内科医としての道を選んだ大きなきっかけになったような気がします。発熱、肺の多発結節、低酸素血症、心不全。今から思えば、サルコイドーシスという難病であったと思いますが、当時は患者さんの病態がなかなか理解できずに頭を抱えてしまっていました。一方で患者さんの体の中で起こっていることをあれやこれやと考えることが楽しく、多くの論文にあたり、寝る間も惜しんで勉強しました。
気管支肺胞洗浄という検査は、肺の一部に気管支鏡というカメラと生理食塩水を入れてそれを回収し、顕微鏡で回収した細胞を観察します。この患者さんの肺の細胞のようすを顕微鏡で観察しながら、肺の中で起こっていることに思いを巡らせ、とても気持ちが高ぶった経験が今でも忘れられません。
この患者さんに限らず、呼吸器疾患にはアレルギーなどまだまだその本態が解明されていない疾患が多くあり、呼吸器内科での研修は、研究に対する興味も大きかった当時の自分を強く刺激してくれました。
国立国際医療研究センター病院で勤務した後は、母校でもあり全国的にも知名度の高かった北海道大学の呼吸器内科へ戻りました。当時は学内に100名近くの医局員が在籍しており、診療業務だけに追われることなくじっくりと論文を読み、研究に触れることもできました。早くから研究にも携わっていきたかった私には、最良の環境であったと思います。
そして、その時、私は生涯、心血を注ぐこととなる研究テーマを教授から言い渡されます。
教授に指示されたのは、アレルギーの発症に関わる遺伝子の探索。当時、日本では分子遺伝学の研究は端緒に就いたばかりで、モデルとなる研究はほとんどない状況でした。研究を始めようにもその道筋には、明確な指針もありません。欧米の最先端研究を参考にしながら、見よう見まねで研究を始めました。あらゆることが手探りの状態で思うような結果もなかなか出ませんでしたが、生来の好奇心と研究者気質のおかげで、研究を苦痛に思うことは一度もありませんでした。
ジョンズホプキンス大学への留学を経て、長い間一つの研究を進めていくうちに、徐々にアレルギー疾患の病態の一角に迫るような研究成果を得るようになってきました。
アレルギー疾患のひとつである喘息を例にあげましょう。喘息はアレルギー反応によって気道に炎症が起こり、その結果、気道がいろいろな刺激に対して過敏になり、気道の平滑筋が収縮することで呼吸困難に陥る病気です。気管支が狭窄して息が苦しくなる、という症状は同じですが、実は患者さんによって病気を発症するに至った遺伝的な背景や発作を引き起こす要因は均一ではなく、極めて多様であることがわかってきました。
ほこりやダニなどのアレルゲン以外にも、感染やたばこの煙、さらには精神的なストレスによって発作が起こることもあります。喘息の発症や発作の背景にある遺伝的な体質が人によって異なるのであれば、当然効果的な治療のアプローチも変わってくるはずです。喘息というシールを貼り付けて画一的、標準的な治療を行うアプローチだけでは限界があるのではないかと考えるようになりました。
医学の進歩は日進月歩です。多くの病気でガイドラインが充実し、多くの患者さんがガイドラインに基づいた治療による恩恵を受けるようになっています。そのおかげで喘息のために亡くなる患者さんの数も年々減り続けています。しかし、ガイドライン通りのアプローチでは治らなかった患者さんはどうでしょうか。ガイドラインの治療では改善しないから、うちでは診られないと医師にいわれ、苦しい症状を抱えながら生きていくことになるでしょう。ガイドライン通りにいかない症例に対して医師に切り捨てられてしまった、ガイドライン難民ともいうべき患者さんがいます。
「アレルギー疾患の遺伝子解析を通して、アレルギーの病態の多様性をより深く理解し、患者さん一人ひとりに最適な治療を実践できるための基盤づくりをしたい」
こんな思いが今の私を支えています。
現在、アレルギー疾患の遺伝学的解明はまだ発展途上の段階です。しかし目の前に苦しい思いをする患者さんがいるのであれば、臨床医として、研究者として立ち止まるわけにはいきません。
臨床の醍醐味に魅せられながらも、父親から遺伝的に受け継いだであろう探求心に支えられ、今まで研究を続けて来ることができました。東京での研修医生活が終わり、北海道大学の呼吸器内科の門を叩いたときに漠然と考えていた、一臨床医であると同時に一研究者として目の前の患者さんに力になれる医師になりたいという、当時の理想の姿が現在の自分と重なってきたような気がしています。
頭が知識であふれ、まるで百科事典のようになったとしても、本気で患者さんに関心を持って、患者さんのことをとことん理解しようとする気持ちがなければ、臨床医としては失格だろうと思います。
私の働く筑波大学は、茨城県の地域医療を担い、特に呼吸器内科においては最後の砦のような役割があります。他院では治療が難しいといわれた患者さんが私どものもとを訪れます。
私どもを頼ってやってきた患者さんの今までの苦労は計り知れないものでしょう。できるかぎり手を尽くし「患者さんがどうしてほしいのか」「どうしたら患者さんの力になれるのか」を常に意識して診療を行うようにしています。それは、知識や技術だけでカバーできるものではなく、ある意味その医師の人間としての在り方が問われているのだと思います。どれだけ卓越した技術を持っていても、心を持って患者さんに接することができなければ、医師は患者さんをサポートすることはできません。
病気だけではなく、患者さんの価値観、人生観も含めて、患者さんを支えることの大切さを、後進の医師にも伝え、これからも臨床と研究を続けていこうと思っています。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
筑波大学附属病院
筑波大学 医学医療系整形外科 准教授
國府田 正雄 先生
筑波大学 医学医療系 放射線腫瘍学 教授、筑波大学附属病院 副病院長・陽子線治療センター部長
櫻井 英幸 先生
筑波大学 医学医療系血液内科 講師
栗田 尚樹 先生
筑波大学 医学医療系血液内科 教授
千葉 滋 先生
筑波大学 脳神経外科 名誉教授、医療法人健佑会いちはら病院 頭痛センター長
松村 明 先生
筑波大学 体育系 准教授
渡部 厚一 先生
筑波大学 大学院人間総合科学研究科 疾患制御医学専攻 神経内科学分野(医学医療系 神経内科学) 教授
玉岡 晃 先生
筑波大学医学医療系臨床医学域腎臓内科学
山縣 邦弘 先生
筑波大学 医学医療系腎臓内科学 講師
金子 修三 先生
筑波大学 医学医療系 皮膚科 教授
乃村 俊史 先生
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